偶然なる信条

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偶然なる信条

 ある日、響子さんの怒号の声が食事の配給の列に響き渡った。 「アンタらな、ここに何しに来てんの、ボランティアのつもりなん? 遊びやないんやで。手ぶらで来たアンタらは被災者の為の水や食べ物を飲んで食って、狭い寝床しか貰ってない被災者と同じ屋根の下に寝て、更にみんなのスペースを狭くしとる。なんで自分の食いもんと邪魔にならん寝袋くらい用意してへんのや。見てみい、あんたらみたいにダラダラ喋りながら適当な仕事しかせえへん連中と違って、他の真っ当な連中は自分の持ってきたメシ食うて、寒い外で寝てるやろうが。指から血を流して瓦礫を掘ったり、糞の中に手を突っ込んだりしとるやろうが。困った人にちょっとばっかしの善行して感謝されて自分のカタルシス満足させたいだけの自惚れた餓鬼はいらんのじゃ、野次馬の観光気分ならとっとと帰らんかい!」  僕はその声に驚いて走り寄り、オタマを振り上げている響子さんの激昂を宥めた。  怒鳴りつけられていた青年たちは僕の便所掃除を笑った連中だった。  間を置いてタカさんもやってきた。彼は臍を曲げて悪態を吐きながら場を去るボランティア青年たちの後を追った。 「面倒かろうばってん大阪まで行って、自分たち用の食べもんや寝袋ば買うてこんね。そしてまたここに来て力ば貸してくれんね」  そう言いながらタカさんはポケットから皺だらけの一万円札紙幣を数枚出して青年たちにの手に押し込むように渡した。怪訝そうにしていた青年たちは渋々それを受け取って避難所を後にした。  その後、青年たちがこの場所に戻ってくることはなかった。  響子さんの苛立ちは、妹の灯子さんの安否が分からないことが要因だった。彼女はボランティア青年に八つ当たりしたことを甚く反省していた。  僕らはタカさんの用意した水と缶詰や乾パンだけで毎日を過ごし、校庭の隅に停めたトラックの荷台の中で防寒着を着たまま汚れた毛布に包まって寝ていた。見かねた響子さんが温かい食事を差し入れようとしてもタカさんは断固として受け取らなかった。僕らだけではない。経験のある訓練されたボランティア連中は皆がそうしていたし、不平を口にする者もいなかった。だから響子さんは被災者の神経を逆撫でする似非ボランティアもどきに堪忍袋の尾が切れてしまったそうだ。    タカさんは響子さんの、その怒りが間違いだと諭した。  若者たちの行動に軽率さがあったとしても、この場所に訪れた奉仕の精神はかけがいないものだからと。誰かがちゃんと指導してやれば次からは問題を起こさないだろうと。頭ごなしに拒絶するのではなく、それを正しながらも相手を尊重することで、過ちを反省する機会を与え、そうやって学び、初めて「真なる献身」を知ることが出来ると。  威圧的な見た目で真っ先に怒り狂いそうな雰囲気を持つタカさんが、理路整然と響子さんに説くことに違和感があったが、何よりも驚いたのは彼が「真なる献身」という言葉を使ったことだ。  その言葉は叔父さんが僕に教えてくれた生きる為の信条と同じだったからだ。
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