平行方と交差方

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平行方と交差方

 行脚の末、やっと灯子さんらしい女性が見つかった。  収容されていた病院はまだ戦場だった。事態は幾分か落ち着いたらしいが、慌しく動く人々に溢れたその場所は病院独特の静寂感とは無縁だった。  不眠不休で最善を尽くしてきただろう果てしない徒労が顔に浮かんだ看護師に案内され、灯子さんのいる大部屋のドアを開けた。  姉と義兄の無事を祝う再会の喜びの声は、虚ろな目をした妹の表情の中の感情の不在に一瞬で打ち消された。    彼女は自分だけが瓦礫の下から救出され、連れ合いが二度と帰らぬ事実を受け入れることが出来ず虚無の中に佇んでいた。自分の愛する人が冷たくなっていくのを瓦礫に潰されたまま真横で見ていたそうだ。それが妹さんの正気を奪ったらしい。  響子さんは泣きながら教えてくれた。部外者の僕がこの場にいることが居た堪れなかった。  僕は横たわる女性の面貌を見つめたまま、また意識の中で近景と遠景が目まぐるしく入れ替わるのに混乱していた。  必死に焦点を合わせようと記憶の中の少女から焦点を外し目の前の女性だけを見続けた。  平行方で見ている過去と未来の二枚の画像が交差方に移行するように三重に変わり、両端の過去と未来がぼやけて現時点だけが立体視されたように浮き上がった。  僕は理解出来ない息苦しさに喘いだ。今、紛れもなく僕が重ねて見ているのは小春の顔だった。彼女の名前を口にすることが出来なかった。僕が小春として認識している女性は涙を流す姉から「灯子」と呼ばれ続けているからだ。  己を呼ぶ声に耳を傾けず無表情のまま宙を眺めている女性は小春に間違いない。不安材料は会わない間に成長してかなり大人びてしまったことだけだった。  女性の顔を見つめ続ければ見つめ続けるほど確信が揺らごうとするけれど、時を隔てた場所で小春に再会した偶然に疑問は抱かなかった。だって僕自身だって誤った近景の地平に立っているのだから。この事は誰にも言えない。自分で理解出来ない現象の立ち位置を他人が理解出来るとは思えない。残念ながら狂人と思われながら過ごしていくのに耐えられるほど僕の心は強靭ではない。だから僕は小春のことを「灯子さん」と呼ぶしかなかった。  時間乱視のことはタカさんや響子さんにも相談出来ずに秘めたままだ。この時代の叔父さんにだけは話したいと願っていたが、正しい時間の彼に会うのは今は不可能だし、誤った時間の彼を探し出すことも困難だった。  そんな僕の目の前に同じように会うことが不可能だと諦めていた小春が現れたのだから、それは奇跡とさえ呼んでいい。  皆が「灯子」と呼ぶ女性は、実際はもう少女と呼べる年齢ではなかった。二十四歳だった。  でも小春と灯子さんは単なる他人の空似だと納得出来なかった。  病床の化粧をしていない横顔に少女性は残っていたが、彼女は立派な大人の女性だ。彼女は小春なんかじゃないのに、どうしても彼女の中に小春の存在を感じてしまう。それはどうやっても打ち消せなかった。  彼女の顔に感情が不在しているのは自分だけが生き残ったからだと言う。 「自分だけが生き残ったって言うのは間違いよ。あんたのお腹の中の赤ん坊も無事だったんだから」  響子さんは辛辣な顔で妹を諭した。
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