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「おめでとう悠理。初オファーだ」
ある朝。社長は古びたソファーに座り、神妙な面持ちで言った。
「やっ、たぁぁぁぁアアアア!! って、なんでそんな顔? やっと来た初オファーだよ? 菊川プロダクション秘蔵タレント鏑木悠理十九歳、のデビュー作になるかもなんでしょ? もっと喜んでよ」
高校を中退して家を飛び出し、芸能事務所の門を叩いた俺。もちろん華々しくデビュー! なんて夢のまた夢で、上京してニ年、エキストラか、お情けでもらった端役しかやったことがない。
菊川プロダクションの所属タレントは俺含めて三人。いずれも端役で、アルバイトで生計を立てている先輩ニ人に、マネージャーと雑用も兼ねる社長。そんな弱小事務所ではプロモーションもままならない。
それでも、家出同然で路頭に迷っていた未成年の俺を拾ってくれて、母親を説得した上、住まいを兼ねる事務所に一緒に住まわせてくれている社長には感謝しかない。
いつか芸能界でナンバーワンになって、事務所を潤わせてやるからなと熱い闘志を胸に抱いているのだ。
だから初オファーなんて言われたら喜ぶに決まってんじゃん。社長だってそうだと思ってたのに。
「いや、喜んでるよ。ただ、この仕事は過酷だ。いいか、悠理。絶対に逃げるんじゃないぞ。これがポシャったらお前は、いや、この事務所はもう終わりだ」
そう言った社長の顔は心なしか青ざめて見える。
「ええ? なに、それ。熱湯に飛び込むとかクマと闘うとかじゃないよね?」
「ああ、ドラマだ……セントラルプロモーションの権藤さんからのご指名だ」
「権藤さん? ほんとに? 大御所じゃん。これは確かに失敗できないね。で、俺、どうしたらいいの?」
権藤さんといえば、強靭な肉体に凄みのある演技が定評で、極道物や時代劇の敵の親玉役として必ず名前が上がる有名俳優だ。そんな人からのご指名を受けるとは、以前、権藤さんに殺られるチンピラの役Bで出た時に俺の可能性を見出したか……。
「十時にセントラルに呼ばれてる。台本読みをして最終的に決めたいそうだ」
「うっわ、本格的。わかった。社長、俺、絶対役を取ってくるから。もう時間がないから行くね!」
俺は、意気揚々と事務所を飛び出し、駆け出した。
「おい、待て悠理。権藤さんは……!」
背中に社長の声は届いていたけれど、俺の頭の中は花畑になって、浮かれまくっていたんだ。
俺は社長の言葉もドラマの内容も確認せず、セントラルプロモーションへと向かったのだった。
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