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翠香が頷くと、彼は口を閉ざして草むらへ視線をうつした。背の高い雑草の茎に大きなカマキリの卵がついていて、何百匹もの幼虫が卵から這い出て茎をつたい地面へ向かっていた。
「なあ、翠香、覚えてるか? 昔、ここでさ」
廷珪は思い出したように言った。軒を打つ雨だれの音が弱くなっていた。
「……覚えてる。人買いに弟が誘拐されそうになって、あなたが私を呼びに来て」
昂った気持ちが少しだけ和み、翠香は小さく笑った。七年ぶりに再会したのに、ふたりは積もる話や思い出話をまだしていなかった。
「君、すごかったよな、長槍を担いですっ飛んで行って、あっという間に四人の男を倒しちゃった。あれ、何年前かな?」
「弟が十歳で私が十四歳だった。だから十年前」
「十年か」
「あっという間だね」
ふたりは懐かしい気持ちを共有して微笑みを交わし、少しだけ近況報告をし合った。廷珪は六年前に都で家庭を持ったが、子供に恵まれぬまま妻に先立たれたという。
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