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「ったく、いくら連絡しても返事はないし。どうしようかと思っていたんだよ」  ぬるいエールを呷りながら、フレデリックはグチグチとこぼしてきた。 「悪い悪い!忙しかったんだよ。夜は特になかなか抜けられなくて…………」  大衆向けの安い酒場は今夜も賑わっている。踊ったり騒いだり、いつ喧嘩が始まっても誰も不思議に思わない。話をするにはちょうどいい場所だった。 「手紙にも書いただろう。クリスティーナの件だ。オステオ氏が亡くなって、息子のアレックスと屋敷に残っている。お前のことを探していて何枚も手紙が来ているよ。最後の手紙にはもうすぐ王都に戻ると書いてあったからこっちへ来るぞ。どうすれば、いいんだ?」  オステオはクリスティーナが身を寄せていた家の主で、隠居した貴族の老人だった。ありがたいことに彼がうちの借金を完済してくれたおかげで、とりあえず生き延びてこられたのだ。  クリスティーナは心配するなと言っていたが、俺はオステオとは何度か手紙でやり取りしている。お金も少しずつだが、返したいと申し出ると、不要だがどうしてもと言うならまとまった金額になったらでいい。いつでもいいからと返事が来た。心の広い人だと思って、少しずつだが貯めていた。  そのオステオが亡くなってしまったと聞いて驚いた。  クリスティーナをこちらに呼び寄せるのはいいが、今はどうにもタイミングが悪い。 「俺のことは分からないと言ってくれ。もし、こちらに来て住む場所もなかったら、俺が使っていた部屋に住まわせてくれないか?」 「それはいいが…………。そうだ、それより最近、お前の身辺を探ろうとするやつがいるんだ。うちにも何人か聞きに来ていて……、そっちは大丈夫なのか?」 「俺を?……いや、こっちは特に変わりない。というか、……後一歩かもしれない」  どういうことだと、フレデリックが小机に身を乗り出してきた。  そこで俺は先日、カーティスの屋敷で見つけたものについてフレデリックに話した。しかし、正確には伝えなかった。  まだ手にすることはできないが見つけたとだけ説明した。  本当は違うのだが……。 「黒帳簿を見つけたのか!?マジでお前の父さん無実に引っくり返るぞ!それで?盗み出せそうなのか?それが手には入ればさっさと出てこれるだろう」 「えっ……あっ……ああ、それが、なかなか監視が厳しくて……まだ……かかりそう……」  気を付けろよと言ってくれた友人を見ながら、俺は心の中でごめんと呟いた。  本当は黒帳簿はカーティスの部屋の机の上にドカンと乗っている。  もともとあったわけではない。ザックと会ったパーティーの翌日の朝、カーティスは先に出ていて、俺が一人で起きると突然置いてあった。無防備もいいところだ。  手に取って中身を確認したが、間違いないと思う。  あれがあるということは、カーティスが父の件に絡んでいるという証拠だ。王宮に持ち込めば、裁判のやり直しが審議されるだろう。  まさに俺の本来の目的がそこにあった。  それなのに俺は帳簿を元の位置に戻して、見なかったことにするようにして背を向けた。  持ち出すことは即ちカーティスとの別れを意味していた。  それが、どうしてもできなかった。  その日からカーティスの態度は変わってしまった。部屋に閉じ籠もることが多くなり、夜も呼ばれなくなった。  毎朝起こしに行くが必要最低限の会話しかない。  まるでカーティスだけ夢から醒めてしまったみたいだった。  俺だけ一人取り残されて、ここに来た目的を忘れて、カーティスの側にいたくて目をふさいでいる。  もし本当にカーティスの気持ちが離れてしまったとしたら……。  どうしたらいいのか分からずに、ぽっかりと空いた胸に冷たい風ばかりが吹き抜けていた。 「ハティー様?奥さまのパーティーですか?向こうの屋敷で?」  王都にあるレイヴン家の別宅には現在ハティーとその恋人が住んでいるはずだが、そこでパーティーが開かれることになったそうだ。  複雑だがレイヴン家が開くことになるので、みんな朝からそちらの屋敷に移動したりして準備が進んでいた。 「そうだ。招待状を忘れることなく送っておいてくれ」  執事長のルーカスも忙しいらしく、出かける支度をしながら、朝イチでどかっとリストと招待状の塊を渡された。 「はい……。分かりました」  一度部屋に持ち帰り、整理しようとして机に広げてから、招待状の中にパンドレア侯爵の名前を見つけた俺は手を止めた。  よく見れば反対派の連中の名前も次々と見つかった。ハティーが開くパーティーにしてはおかしすぎる。  これは何かあると俺は直感で感じ取った。フレデリックからも、最近の反対派の動きが怪しくて、陛下の周辺も警戒を強めていると聞いたからだ。  何かが動き出している。そしてこのパーティーは何か意味があるはずだ。  俺は急いでペンを手に取って、リストに名前を加えて、招待状を他のものに似せて書いた。  巻き込みたくないとは思っていたが、俺のことを調べているのは恐らく妹とオステオの息子、アレックスであると思った。そこで会えれば話が早いと思ったのだ。  しばらくはよく分からないパーティーの準備に俺もかり出されて、カーティスもルーカスだけを連れて屋敷を出ることが多くなり、ろくに会えない日々が続いた。  何をしていても、あの青色の瞳が悲しみや苦しさで曇っていないか気になってしまう。  けれどもう、求められていないのなら、俺は触れることもできない。  カーティスの部屋を外から眺めながら、ため息をつく日々が続いた。  パーティーを三日後に控えた日の夜、自室にいた俺はカーティスから呼び出された。  久々の呼び出しに心が踊ったが、すぐ押し寄せてきたのは嫌な予感だった。  夢から醒めたカーティスは、俺との関係を後悔していて、もう必要ないと言われるか、目障りだから消えてくれと言われるかもしれない。それくらいカーティスの気持ちが分からなかった。  重い足を引きずりながら何度も通った部屋の前に到着すると、重厚な扉はあっさりと開いた。 「やあ、夜中に悪いね。君に頼みたいことがあって」 「いえ、なんでしょう……」  ドアの付近に立って緊張しながらカーティスの方を見ると、カーティスは心を決めたような穏やかな顔をしていた。  まぁ座ってよと言われて椅子を用意されたので、カーティスの前に恐る恐る座った。 「さて、サムに頼みたいのは、ちょっとしたお使いだ。コリル地方のとある場所に行ってもらいたい。そこにいる人に届け物をしてもらいたいんだ」 「届け物?コリル地方ですか?少し遠いですね……」 「馬車は用意するし、宿は良いところに泊まっていいよ」  王都からコリル地方は少し距離がある。馬車に揺られて向かったとして、片道一日くらいはかかるだろう。どこかで宿をとったなら、パーティーまでに戻ってくるのは難しいかもしれない。 「パーティーの方はもう大丈夫だよ。準備は終っているし当日の手伝いも必要ない」 「……分かりました」  急な遠くへのお使いに不信感というより、不安がどんどん増していく、なぜかカーティスの側を離れるのが怖かった。 「…………明日の朝から行って欲しい。場所と名前は御者に渡しておくから…………、それと、箱を二つ渡すから、それを渡して欲しいんだけど中身は絶対に見たらいけないよ」 「ええ……それは……もちろん」 「いい子だ」  カーティスは柔らかく微笑んだ。久しぶりに見たカーティスの笑顔に触れたくなった手を強く握りこんで耐えた。  話はそれだけだよと言われて、俺は退室するためにドアに近づいて行った。  なぜだかすごく胸騒ぎがした。  このドアを出たら二度とカーティスには会えないようなそんな気がした。 「……サム」  震えるような声がしてカーティスが後ろから抱きついてきた。久々に体に伝わる重みと強さは、嬉しくも切なくもあり、ドキリと心臓が鳴った。 「振り向かないで、少しだけ……このままでいさせて……」  先ほどまでの淡々とした対応とは違う。カーティスの声には感情が込められていた。  俺を抱き締めるカーティスの手に自分の手を重ねた。カーティスの手は驚くほど冷たかった。  どれくらい時間が経ったのだろう。  そっと押し出されるようにして俺は部屋から出された。ドアが閉まる瞬間カーティスの方を振り向いたけれど、姿は見えずに無情にドアは閉まった。  閉まったドアに手を触れた。カーティスの心に触れているような気持ちだった。結局ルーカスに声をかけられるまで、ずっとそのまま立ち尽くしていた。 「サムさーん、後少しでコリル地方に入りますよー」  御者として一緒に同行してくれる、パウルという男は年下のまだ若い男で、馬の扱いに慣れていて、道中は困ることなく目的地まで早く着くことができた。 「ごめんね、急がせちゃって。どうしてもパーティーまでに帰りたくて」 「用事を済ませて軽く仮眠していけば、終わりくらいには間に合うかと。まぁ、いざとなればこいつに乗っていってください」  冗談を言いながら調子よく話してくれるパウルのおかげで、暗い気分にならずにすんだ。  俺の膝の上には二つの箱が乗せられている。屋敷を出るときにルーカスから渡された。  ルーカスは意味ありげに俺のことを見ていた。そして、できれば早く帰って来てくださいと小さく耳元で囁いて屋敷の中へ戻っていった。  見送りにカーティスの姿はなかったが、どこかで見られているような気持ちで俺は馬車に乗り込んだ。  そして言われた通り、大事に箱を守りながら馬車に揺られてきた。  コリル地方に入り、夜も遅かったのでそこで宿をとった。やはり仮眠程度でまた早朝に出発して、目的の町グースに到着した頃には夕方近くになっていた。  二つの箱を持って指定された宿屋の部屋を訪ねた。カーティスから指定された相手はアリシアという女性だと聞いていた。  アリシアさんと呼ぶと部屋の中から、金色の美しい髪の女性が現れた。両手に箱を抱えた俺を見て、薄茶の大きな瞳はもっと大きくなり驚いているようだった。 「もしかして……あなたが……?」 「サムです。カーティス様からの使いで……ええと、アリシアさんですか?」  女性の後ろ、部屋の奥から男が一人心配そうな顔で出てきた。こちらは優しそうな顔をした大人しそうな男だった。 「ハティー……、その方達は……?」  その男の言葉を聞いて俺は驚きで心臓が激しく揺れた。まさかその名前をここで聞くとは思わなかった。  全て分かっているように女性は微笑んでから、とりあえず中へと言ってお茶を用意してくれた。 「ご察しの通り私がパンドレア家の娘、ハティーです。カーティス様の妻……でした」 「でしたとは?」 「すでに離縁の手続きは終わったと思います。結婚はお互いの利益に基づくもので、カーティス様との結婚の時の約束でした。時期が来たら私達を自由にしてくれると……。二週間前連絡が来たので王都を出ました。私達はこの宿屋で待ち、カーティス様の使いが来たら国を出る手筈になっています」  二人の間に愛はなく合意の上での偽の婚姻関係であったことは知っていたが、ハティーを目の前にしても、まだ実感が湧かなかった。 「この箱を……渡すように頼まれました」 「では、クローバーの箱は貰います。薔薇の箱はサムさん、あなたに渡すようにと言われています」 「え?」  訳が分からなかったが、とりあえずハティーにクローバーの絵が付いた箱を渡した。  中身を確認したハティーは驚きの声を上げた。  中にはたくさんの金貨が入っていた。他国へ向かうハティーへの餞別にしては多すぎるくらいの量だった。会社を手放した時のものかもしれない。ハティーと恋人は抱き合って喜んでいた。 「確かに……すごく助かりますし嬉しいですけど、こんなにはいただけません。半分はお返ししますので、カーティス様によろしくお伝えください」  俺も恐る恐る薔薇の絵の箱を開けた。すると中には、俺が見ないように目をつぶっていたもの。あの黒帳簿が入っていた。 「ど……どうして……これを…………。まさか…………気づいていたのか……!?」  混乱する俺にハティーは封筒を差し出した。俺が来たら渡すようにとカーティスから言われていたそうだ。  俺は恐る恐るその封筒の封を切り、中の手紙を取り出した。  しばらくじっと手紙を読み続けた。最後まで読み終えることなく俺はバッと立ち上がった。 「…いっ…行かないと………あっあの、俺もう行きます。お二人ともお元気で、お気をつけて」  手紙を読んだ後、慌てて出ていく俺に二人は驚いていたが、そちらもお気をつけてと言って送り出してくれた。  俺は走って馬車まで戻り、パウルに声をかけた。 「サムさん。すいません、ここまで来るのに計算違いで少し時間がかかってしまって……。このまま急いで出てももうパーティーには…………」 「なら騎乗して行く!その方が早いだろう!」 「まっ……まさか……本気で……?道は大丈夫ですか?夜は野犬も出ますし……考え直された方が……」 「だめだ!今行かないと!早く行かないと……あの人は……!いやだ!絶対に行かせない!一人でなんて……絶対にだめだ……」  パウルからしたら必死の形相で支離滅裂な事を言っている俺はどうかしているとしか思えなかっただろう。それでも、半狂乱で取り乱す俺を何とか冷静にさせようとしながら、馬を馬車から放してくれた。 「いいですか!道は一本道です。王都の領に入ったら、太陽が上る方角を目指して進んでください。気休めかもしれませんが剣を持っていってください。どうかお気をつけて」 「ありがとう!パウル!」  俺は荷物を馬にくくりつけてから飛び乗った。  乗馬は久しぶりだったがやるしかない。勢いそのまま、俺は馬に跨がって走り出した。  どうか間に合ってくれとそれだけを思いながら、間もなく沈んでいく夕日を見ながら馬を走らせた。  一秒も無駄にはできなかった。  手紙にはカーティスがここに至るまでの経緯が書かれていた。レイヴン家の養子として育てられたが、途中でその事に気づいたこと。本当の両親に会いたくて探し回り、母を見つけたがすでに亡くなっていたこと。そして自分が愛ではなく憎しみの中で生まれてきた子供であったこと。その憎しみを晴らして人生に終止符を打つと書かれていた。  パンドレア侯爵との関係や、俺の父の件も書かれていた。パーティーで侯爵を追い込んで、罪を償わせること。  盗み出した帳簿は好きに使って欲しいと書かれていた。  俺は必死に馬を走らせながら、手紙の言葉を思い出していた。繰り返し繰り返し、何度も頭の中を駆け巡っていた。  ¨俺の事情を直接話すことができなくてごめんね。本当は全部君に話したかった。  俺はね、きっと君に初めて会ったあの時から、君に心を奪われたんだ。こんな気持ちになったのは初めてで、どうしても君が欲しくて欲しくてたまらなかった。  欲望に勝てずに君に手を出してしまった。君と過ごした時間は夢のようで、いつまでもこの夢の中で生きて行くことができたらどんなに幸せだろうと何度も考えた。  それでも、復讐を誓った俺の最後はもう決めていたんだ。だから、君を縛り付けて自分のものにすることはできなかった。  侯爵の信用を得るために騙して傷つけた人もいるし、なによりあの男の血を引いている自分が許せない。俺はやはり死ぬべきだと思うんだ。  本音を言うと未練があって、今になっても君の事ばかり考えている。  エリオット、俺に人を愛しいと思う気持ちを与えてくれてありがとう。  君を愛することができて、この世に生まれてきたことが幸せだと初めて思えた。  最後の瞬間、俺が思うのはエリオットのことだけだ。  君を心の底から愛した男がいたことをどうか忘れないで。  幸せを願っています。どうか幸せに、エリオット¨  最後の方が手が震えて上手く読めなかった。  パーティーでパンドレア侯爵の罪を認めさせた後、カーティスは死ぬつもりだ。  わざわざ俺を遠くまで行かせてパーティーから遠ざけた。未練を断ち切るために。  そんなことはさせないと思った。  俺はたとえ体がバラバラになったとしても、カーティスの元へいく。  絶対に絶対に諦めない。血を吐いても、カーティスの元へ行って助け出すと心に決めて、辺りが徐々に暗闇に包まれていく中、一人馬を走らせ続けたのだった。  □□□
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