大正フォール

1/10
前へ
/26ページ
次へ

大正フォール

1日約77.8万人と、ギネス記録に認定された世界一乗降客の多い新宿駅に初めて来たのは小学2年生の時で、茨城の田園に囲まれて育ったココナは、当時、憧れの都会に圧倒されたが、東京での生活に慣れた今は、無駄に人が多いだけの街という印象に変わってしまっていた。 「ちょっと早く来ちゃったな…」 携帯で時間を見てから、西口の壁の前で人が少ないところを探し、Instagramでフォローしている好きなモデルの新しい投稿がないか確認しながら、人を待っていたココナの耳に、喧騒のなかでもよく通る声が侵入してきた。 「ねえ、5万でどう?」 ココナがあからさまに不機嫌な顔をして見上げると、両手をズボンのポケットに入れた、仕事開けのホストを思わせるよれたブランドスーツ姿の男が、何度も舐め上げるように視線を動かしながら立っていた。 前に同じような言葉を掛けられた時は意味が分からなかったが、後で意味を理解して吐き気がしたのを思い出す。 元々顔立ちがくっきりしていて、髪型もメイクも大人っぽいものが似合うからそうしていて、確かに基本的に同年代には見られないし、ミニスカートを履いてお腹が出るトップスを着ているせいか、そういう目線で見られることが多い。でも、だからといって目立たないような地味な服を着るのは負けた気がして、ココナはこのスタイルを貫いている。 「私、15歳なんですけど」 「やば。犯罪やん」 髪型だけイケメンなその男がぼそりと呟き、そそくさと逃げるように歩道のエスカレーターへとUターンしていった。 ……不愉快な思いをさせられた代償は払ってもらわないと。 ココナはお腹の前で両手を包み込むような形にして集中する。すると、指の隙間から何かの小さな手が出てきた。ココナが両手を上向きにすると、そこには鮮やかなピンク色の小さな両生類がいた。ウーパールーパーだ。 「位相」を感知できる人以外には見えないそのウーパールーパーは、歩道を行き交う人々の足元をするすると器用にすり抜け、エスカレーターの右側を一段飛ばしで上っていく男に追い付くと、ズボンの裾からひょいと中に入った。 「!?うびゃあ!」 男は突然ズボンに入ってきた生き物の感触に驚いて奇声を上げ、仰け反った勢いでそのまま後ろに倒れると、ステップに後頭部や背中をゴツンゴツンと打ち付けながら、一番下まで転がり落ちた。 「ううう…」と唸りながら、しばらく動かない男に「大丈夫ですか?」と近くにいた老婦人が声を掛けると、男は返事をせず恥ずかしそうに周りの視線を気にしながら、痛む身体を押さえてよろよろと立ちあがり、「最悪や……」と呟いて、群衆をかき分けていった。 ココナはその様子を一部始終、携帯の動画に収めており、その場で素早く編集してTiktokにアップロードした。 「いいね2000ぐらいいくといいな」 反応を予想して鼻で笑うと、足元にウーパールーパーが帰ってきてココナを見上げている。 「良い子」 ココナが右手を差しのべると、ウーパールーパーは手の平の上にひょいと跳び乗り、顔の前まで持っていかれた。 「ありがと」 ココナがその唇に軽くキスをすると、それは細かな紙吹雪となって風に消えた。 「なにそれ。あ!またいたずらしたでしょ?」 「ユノ」 黒のセットアップを着た、最近イメチェンしたショートボブがよく似合うユノが、ニヤニヤしながらココナに歩み寄ってきた。 「これ見て」 ユノがココナの目の前に閉じた右手を差し出し、パッと開いた。 「いぎゃあっ」 ユノの手の中にいたのは、来る途中に土手で見つけた、小さなアマガエル。先ほど自分でカエルを使役していたはずなのに、世界の終わりのような悲鳴を上げたココナに、周囲の人々の視線が集まる。 ココナは慌てて何事もなかったかのように、すぐに平静を装った。 「ココちゃん、自分でカエル出せるのに、人のカエルは苦手ってほんと変なの」 ユノはエヘヘといつもの笑い方をし、ドッキリに使ったアマガエルを近くの植え込みに逃がした。 「どこで見つけたのそれ」 「隅田川」 「よく触れるよね……やっぱ若いわ」 「2つしか違わないでしょ。ちっちゃくてかわいいのに、ビビりすぎ」 「しょうがないじゃん。生理的に無理なの」 ココナは口をすぼめて肘を曲げ、ぶりっ子ポーズでユノを見上げた。 「あざとかわいい。でも今日の依頼人には、そのノリやめといたほうがいいかも」 「真面目キャラ?」 「おばあちゃんだって」 「おばあちゃんか。場所はどこ?」 「錦糸町。ノノカが先に行ってる」 「行き方わかる?」 「まだ東京慣れてないけど、乗り換え案内検索すればわかるよ!自分だって茨城県民でしょ?」 「もうすぐ東京住んで一年になるし」 「ちっさいマウンティングやめてよ。ほら、行くよ」
/26ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1人が本棚に入れています
本棚に追加