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おばあさんは大きく頷いた。
「あやめを警察病院から脱獄させてほしいの。あの子ったらサイバー警察に販売ルートを突き止められて、ここに踏み込まれた時に証拠隠滅のために目の前にあったクスリをまとめて飲み込んで、意識不明になっちゃったの。幸い命は助かって今はある程度、歩けるようになったし、意識もある。あなた達がその技で手伝ってくれたら、きっと外に連れ出せるわ」
「無茶言わないでよ!うちら、犯罪に関わることなんて絶対にしない」
「あなたたちは未成年だから仮に捕まっても罪は軽いし、その技のことを裁判で証明なんてできやしないわよ」
「勝手なことを……。あなたはもう死んでるんだし、あやめさんが刑期を終えるまで待てばいい」
「懲役6年よ?隠していたクスリの在庫も尽きるし、レシピはあの子しか知らない。早めに帰ってきてもらわないと」
一方的に要求を並べるおばあさんに、ココナは怖さよりも怒りがたぎってきた。
「仮に脱獄に成功したって、またすぐに捕まるんだから意味ないじゃん。バカじゃないの?」
「大丈夫よ。あなたたちがいるんだし」
「え?」
事も無げに言うおばあさんに、ココナはスッと青ざめた。
「その技、脱獄のあとにもあやめと教団を守るために使ってもらうわ」
「……このインチキ教団に入信しろって?冗談じゃない。言いなりにはならない」
きっぱりと従わない意思を示すココナ。しかしおばあさんは表情を変えずにすぐ近くにいる男に指示を出すと、男がキッチンの奥にある冷蔵庫からコルクで栓をした試験管を一本取り出して、おばあさんの側まで持ってきた。
「これがあやめが生み出したクスリ、ニルヴァーナ。涅槃て意味らしいわ。大げさなネーミングよね」
「警察の押収から逃れたクスリでしょ?私に使うぶんもあるわけ?」
「教団の部屋はここだけじゃないのよ」
ココナがこの部屋の前に来るなり後ろから羽交い締めにされたことを思い出した。もしかしたら向かいの部屋にもこの連中の仲間が潜んでいたのかもしれない。
「これを嗅ぐと中枢神経が麻痺して快楽に支配されて、あたくしの言葉が脳に直接作用して、何でも言うことをきくようになるのよ」
男がココナの側まで歩いてきた。ココナは逃げようとして暴れるが、大人の男の力には敵わず、後ろからソファーに押し込まれてしまう。
男に鼻の近くまで試験管を寄せられ、コルクの栓に指を掛けるのが見えた。
「いやっ!」
ココナが必死に身体をばたつかせて抵抗するも、再び数人に押さえつけられて動けなくなってしまう。
「大丈夫。副作用もそれほどないし、心地良いものよ。数秒で何も考えなくていい、何でも言うことをきく木偶人形になるわ」
おばあさんの言葉に冷や汗がどっとふきだし、心も身体も恐怖に支配されて抵抗できなくなるココナ。
まさか、こんなことになるなんて…………
ココナが絶望し、その大きな瞳に涙を浮かべて震えていると、部屋の明かりがフッと消え、まだ完全に日が落ちていないのだが、重たい遮光カーテンを閉めきっているせいでほぼ完全な暗闇になった。
ココナはピンときた。これはノノカの梵!
押さえつけていた複数の手の力が急に暗くなった瞬間にほんの少し緩み、ココナはその隙を逃さず身をよじってソファーから床に転がり落ち、間違えて車道に出てしまった芋虫のように必死に這って、玄関のほうへと向かった。
すると正面から静かにココナに駆け寄る気配が。
また捕まる!と思ったが、耳元で囁かれた聞き覚えのある声に、全身の力が抜けそうになった。
「(じっとして)」
ユノだ。普段から気にして持ち歩いている前髪用のハサミで結束バンドが切られ、まだ痺れてはいるが、両手がようやく自由になった。
「あら、あなた捕まえられてなかったの」
おばあさんの声がした。突如訪れたら暗闇は目隠し越しでも信者どもを一時的に混乱させることに成功したが、霊であるおばあさんの姿はクスリの効果で彼らには見えているし、おばあさん自身にも無意味だ。
「この人数から逃げられる?」
おばあさんが両手でココナとユノを捕らえるようにスッと指示を出し、信者たちがどたどたと一斉に動き出す。
すると、ユノが彼らの前にすっと立ちはだかり、スマホのカメラをフラッシュありにしてパシャパシャと連写した。
信者たちが目隠し越しの光にほんの少しだけたじろぐが、すぐに体勢を立て直してわらわらと向かってこようとする。
「味噌汁」
ユノが撮った信者の画像に向けて命令すると、撮られた信者たちの動きがピタリと止まった。
「三角関数。ひのきの香りの入浴剤」
画像を切り替え、次々と技を発動して向かってくる信者どもの動きを止めていくユノ。
固まった信者が壁となり、後ろの信者が前に進めずに足止めを食らっている。
カメラに納めた被写体の画像に、苦手なものや嫌いなものを叫ぶのが、ユノの梵である金縛りの発動条件だ。ひとつの嫌いなものを連続で言ってもかからないという点に改善の余地あり。
「ひのきの香りの入浴剤?」
ココナがきくと「最近アレルギーってわかった。さ、早く」
ユノに手を引かれて玄関のドアへと走るココナ。目の前のドアが開き、ノノカが手招きした。
「エレ夫君のところまで走れば大丈夫だから!」
「エレ、誰?」
「エレベーター!」
ユノとココナが廊下に転がり出て、ノノカがドアを閉じた。
「電ちゃん、あの連中が追ってきたら真っ暗にして」
ノノカの声に呼応するかのように、廊下の電灯が点滅した。
「ちょっとした足止めにしかならないけど」
「ノノカもユノもありがとう。早く逃げよう」
脚の早いココナがユノとノノカより先行して廊下を駆け出すと、目の前に立ち塞がるようにおばあさんがふっと移動して現れた。
「すごい技ね。どこでそんな術を身につけたの?」
肩を怒らせたココナは、おばあさんを無視してそのまま直進してすり抜けた。
更に進むとまたおばあさんが再び目の前にふわりと現れる。
「あやめを助けて。守護霊の願いを叶えるのが仕事でしょ?お願いよ」
ココナはつかつかとおばあさんに直進し、また無視してすり抜けた。
エレベーターホールの前に3人がたどり着き、ノノカが「エレ夫くん」と呼び掛けると、中央の扉が開いた。
中におばあさんがいる。
「お願いをきいてくれるまで、しつこくつきまとってやる」
ユノが「きもっ」とスマホを向け写真を撮るが、おばあさんは写らない。
「霊に金縛りは無理か…」
「ユノ早く!」
ココナに手を引かれるユノ。3人が乗りこんだ瞬間に扉が閉じ、エレベーターは1階へとノンストップで自動的に下降し始めた。
おばあさんはココナ、ユノ、ノノカの眼前ギリギリに現れては消え「いくな!」「たすけて!」「おねがい!」と懇願してくる。
「ねえこれ、やばくない?取り憑かれちゃう」
怖がるユノ。ココナが両手をお腹の前で組み、目を閉じた。
その包み込む形の両手からわらわらと飛び出したものに、おばあさんが「ぎひい!」と悲鳴を上げて天井に張り付いた。
ココの手から溢れだしたのは、無数のネズミ。
「昔の人にとって、ネズミは身近な天敵でニガテな人が多かった。当たりだったみたいね」
不敵に微笑むココナ。床を覆いつくさんばかりに這い回るネズミに、ユノとノノカが足のやり場に困りつつ、「くすぐったい」と笑っている。
「どうして平気なのよ!?」
天井で震えるおばあさんを、ココナは鼻で笑った。
「うちらの世代はネズミなんてほとんど見たことがないし、ユノもノノカも私の技、何回も見てるからよ」
エレベーターが一階に到着し、扉が開く。
「じゃあね。親切心を利用するクソ守護霊がいるって、勉強になりました」
ココナが慇懃無礼に捨て台詞を残してエレベーターを出ると、目の前の風景に絶句した。
正面玄関へと続くロビーを、部屋にいたのとは別の白装束の集団が塞いでいる。
3人の背後から、おばあさんが楽しげに言った。
「惜しかったわね。このタワーマンションにいる信者は、あの部屋と向かいの部屋以外にもたーくさんいるの。管理人を含めてね」
「嘘でしょ!?」
「ココナ……」
青ざめるユノとノノカが、左右からココナにすがりつく。
「くそっ、こんなにいるなんて……」
ココナもどうしたら良いのか分からず、梵の大技で切り抜けたいが、焦ってなかなか突破できるようなアイデアが浮かばない。
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