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ココナの拳の隙間からにゅるにゅると無数の黒くて細長いものが溢れ出てきて、ノノカがボスにすがりつく。
「やばいよボス!ココナの梵使ってる!」
光子がココナに憑依したまま感心した。
「なるほど、この子が苦手な恐ろしいものを出現させることができるのか?面白い技だねぇ」
ぼたぼたと地面に落ちた細長いそれらはやがて、ぬらぬらとテカりを帯びた質感を帯び、地面を這ってしゅるしゅると迫ってくる。
ただの蛇じゃない。大量のマムシだ。
生理的嫌悪感を誘うマムシの群れにおののきながらもユノがスマホでココナを撮り、保存した画像に叫んだ。
「満員電車のオッサンの鼻息!」
技が発動し、ココナが拳を突き出したポーズのままビクンと固まる。
しかし、3人へ無数の触手のように這い寄るマムシの勢いは止る気配を見せない。ノノカも周りに電力施設が何かないか探すが、離れたところに水銀灯があるくらいで、マムシを阻止できそうなものはない。
「ボス!」
ボスの腕を引っ張って助けを求めるノノカ。
しかしボスは光子に乗っ取られたココナをじいっと見据えるだけで、何もしない。
「蛇は金縛りできない!ボス!」
ユノも後退りにしながらボスにサポートを請う。
「ほほほ……。さあ、もうおしまいだよ。あんた達じゃ私に勝てない。これ以上抵抗したところで、この子と同じように憑依して操られるだけだぞ?さあ、後から来た生意気なお前も一緒に、あやめの脱獄を手伝ってもら………」
身体は金縛りされているので、ココナの口ではなく自らの頭をココナの頭からずり出した光子が、高笑いを浮かべて要求を述べかけたその時、マムシ達の動きがおかしいことに気付いた。
一度前方に向かって進んでいたはずのそれらが、にゅるにゅると方向を変えて戻ってきている。
「………?なぜ戻ってくる。ほら、敵はあっちだよ!」
3人に迫っていたはずのマムシの軍団は、途中から標的を光子に変更し、頭だけココナの頭からずれて顔を出していた光子めがけて次々と跳ねて牙を向いた。
「ひっ!何のマネだこいつら!」
最初の数匹はかわし、ココナの身体に戻ってやり過ごそうとした光子だが、その首筋に一匹が噛みつき、光子が怯んだのを見計らって、他のマムシ達も次々と噛みついた。
「痛っ!いたたた!なんで痛みがあるのよ!あんたらの敵はあっちだって!」
ボスがその様子を見て、ニヤリと笑った。
「まったく、伝説の詐欺師が聞いて呆れる。まんまとハマりやがったな」
「あぁ?!」
「悪霊の最大の武器は憑依。こちらが背を向けた途端、誰か一人を狙って憑依してくるのはわかってた。狙うのは、得体の知れないこのあたしでもなく、周りに何もないから電力施設を操るノノカでもなく、嫌いなものを知らないと金縛りを使えないユノでもなく、動物を出現させるココナだ」
「あああ!痛い!痛い!このクソ蛇ども、離れんか!」
「その梵は、ココナの守護霊がココナの苦手な動物を克服させるために編み出した、霊力による具現化。その蛇たちはココナの守護霊そのものなのさ。守護霊は宿り主を間違えたりはしないし、ましてや苦しめる奴を許したりはしねえんだよ、このクソ間抜けが」
「おのれえええええ、あぐうあううああああぁあぁぁあ」
大量のマムシに顔や首を隙間がないほど噛みつかれ、そのままココナから光子が引きずり出されて、さらに身体じゅうに群がるように噛みつかれた。
「痛い!痛い痛い痛い痛いいいいいいいい」
「痛みは久しぶりだろ?霊なんだから。ありがたく味わえや」
「なめるなよ小娘ええええええええ」
光子が数えきれないマムシらに噛みつかれた状態のままふわりと空に舞い上がり、ばっと両手を広げた。さながら空飛ぶ巨大な髪の毛の塊のようだ。
よくみると周辺から細い紫の煙のようなものを吸い寄せ始めている。
「おいおいおい、そこらじゅうの蓮(ハチス)を取り込むつもりか!」
「ボス、ハチスって?」
「雑霊だよ、ノノカ。ネズミとか、虫とか、野良猫とか、その辺で死んだ生き物の霊さ。ひとつひとつは小さくても、集まるとなかなか厄介なものに成長する」
「なら早く止めないと……」
ボスを急かすノノカとユノ。しかしボスは無言で何もしなかった。憑依から解放されたココナがよろよろと立ち上がったからだ。
ココナは無言で両手を振り下ろす動作をし、光子に食いついていた無数のマムシをまとめて地上に落とした。
「あ!?目覚めたか。しかしもうどうでもいい。かき集めたこいつで、お前らの守護霊を砕いてくれる」
光子が広げていた両手に、細長い柄が生じ、その先に巨大な塊が形成された。いうなれば、雑霊でこしらえたバカでかいハンマーだ。
その真下で、ココナはお腹の前で指揮棒のように手を動かし、マムシらをまとめて、別のものの姿に作り変えた。
「おもしろいじゃん、ココナ」
ボスはココナが再構成した「それ」を見て、ニヤリと笑った。
ぼこぼこした岩のような皮膚と、ワニの3倍はある顎に鋭い牙がずらりと並ぶ肉食恐竜、ティラノサウルスの首から上の頭だ。
ユノが驚いて言った。
「ココナ、そんなんも出せるの?首だけ」
「私の力じゃ全身無理!」
「恐竜にがてなの?」
「ちっちゃい頃映画見てトラウマになったのっ」
真上から「やらせんぞお!」とハンマーを振り下ろそうとする光子VS、真下から大口を開けて迫るティラノサウルス。
その巨大な見た目に反してスピードが早かったのは、ティラノの顎のほうだった。
バクンと腰から下をまるごと噛みつかれる光子。
「ぎゃあぁーーー!痛い痛い!離せこのバケモノーーー!」
痛みのせいでハンマーを空中で霧散させ、悲鳴を上げながらもがく光子の金切り声に、ボスと3人がほぼ同時に突っ込んだ。
「お前が言うな!」
のたうつだけでそれ以上抵抗できない光子を尻目に、ココナがボスの前まで歩いていった。
「……ボス」
ココナがボスに深々と頭を下げ、ユノとノノカも追従して頭を下げた。
「あの悪霊をわざと憑かせたのは、私へのお仕置きですね……」
ボスは否定も肯定もせずに言った。
「誰かのために無償で頑張る気持ちは見上げたものだよ。だけど、今回みたいな嘘をつく霊もいるし、ユノとノノカも危険に巻き込んだ」
「……はい」
「かなりヤバかったが、いい勉強になったな。……しかし大正時代の詐欺師で、現世でいかれた信者どもに神扱いされるようなやつに遭遇するとはね」
ボスがティラノサウルスから抜け出そうともがき続ける光子に、腕組みをして目を細めた。
「これからどうするんです?霊は滅ぼせませんよね?」
ノノカがボスに疑問をぶつけた。
「そうだね………おい!光子!」
「うぐう……ふざけた真似をして、許さんぞ小娘!」
「許さねえのはこっちだよ。お前、元はあやめって子の守護霊だったんだろ?」
「そうさ!あのバカガキ、こっちが守ってやろうとしてもバカをさんざん繰り返した挙げ句にムショ行き。で、犯罪者になってくれたお陰でこっちはお役後免さ。利用価値があるから、監視はしてるけどな」
ボスは半音上げ「レ#」のコーラス音を発し、その両手の間に一本の糸を編み出した。
「守護霊は宿り主が犯罪者に堕ちた瞬間に任から解き放たれる。そして例外がある。守護霊も完全に堕ちたと神に判断された時の、一蓮托生の法則だ」
「神?そんなもん存在しないって、くたばってみてよくわかったわ」
「お前がこれまで存在できたのは、神に見つからなかったからだ。残念ながら神はそれほど万能じゃない。だからうちらみたいな人間が、使徒として代行するのさ」
「はっ!神の使徒とは笑わせる。たまたま生まれつき霊力が高いのを、勝手にそう解釈してるだけだ」
「あんたがどんな神を想像してるのかしらんが、私は何度も会ってるんだよ」
「なんだと……?!」
ボスがふっと糸に息を吹きかけると、糸はするすると空中を進み、光子の元へまっすぐに向かっていく。
「く、来るな!」
ひらひらと空中を進む糸が、接近を防ごうと突きだした光子の両手をすり抜け、その鼻の穴の中にするすると入っていった。
「うぐぐぐ……こんなもの…あぐっ!」
光子が自分の鼻の穴に指を入れてどうにか糸を引き抜こうともがくが、糸の反対側の先が空に向かってピンと伸び、光子が釣り針に引っかけられた魚のような状態になった。
「いだいいい!!鼻の奥が燃える!!」
「ココナ。もう恐竜解いていいぞ」
「わかりました」
ボスの合図でココナがティラノサウルスをふっと紙吹雪に変えて消失させ、鼻の穴から夜空にまっすぐに伸びた糸で釣られ、もがき苦しむ光子だけが残った。
「ここここ、これはなんなんだ。ひいいいいいぃぃぃぃぃーーーーー……………」
雲の彼方にいるカツオ漁師に思い切り釣り上げられるかのように、スモッグであまり星が見えない都会の夜空に体が小さくなった光子が引っ張りあげられ、一秒もたたないうちに完全に消え去った。
虫の声しか聞こえなくなるなか、ユノがきいた。
「……ボス。もしかしてあのおばあさん、てか悪霊ババア、宿り主のとこへ戻されたんですか?」
「そうだよ」
「あれだけの悪知恵と力があるなら、警察病院に入院しているあやめさんのところへ戻したところで、何しでかすかわからないんじゃ……」
「警察病院にコントロールできる信者みたいな奴がいなくて、憑依を使っても簡単には脱獄されられないから、ココナたちを騙して手伝わせようとしたんじゃないの?」
ココナはボスの言葉を咀嚼して、納得した。
「なるほど。言われてみれば…確かに」
「あの糸にはスサノオの願掛けがしてある。簡単に取れないし、悪さはできないよ」
ついさきほどまでの緊張感はどこへやら、キラキラした尊敬と信頼の眼差しで見上げるノノカが「さすがボス」と言い、ボスは「調子いいんだから」と苦笑いして頭をくしゃくしゃと撫でた。
「あの………」
ココナが申し訳なさそうにボスから一定の距離を保ちつつ話しかけた。
「まだ力残ってる?」
「さっきので、けっこう限界で……」
「でしょうね。オッケー、じゃ少しチャージしてあげる」
ボスはすたすたと歩み寄ると、前置きなしにココナと唇を重ねた。
「きゃあ!」
「ちょっとボス!」
ユノとノノカが思わず手で顔を覆う。
正確には唇は接触しておらず、ボスの口から流れ出る白い光が、ココナの口のなかに注がれていく。
ココナが、びくんと身体を震わせ、膝から落ちそうになるところをボスの手で支えられた。
「どう?いけそう?」
「……はいボス。ありがとうございます」
ココナは顔が真っ赤になっているのを悟られないように、すぐに顔を横に向けた。
「よし。ユノ、ノノカ、空から帰るよ」
振り向いて快活に宣言するボスに、ユノとノノカが駄々をこねた。
「ええー!あれ苦手なんすよ」
「もしたまたま『見える人』の目にとまったら大変ですし……」
「全員へのお仕置きもかねてるんだよ!ココナ、パワー戻ってるはずだから、いけるよね?」
「あー、わかりました……」
ココナは両手を組み、ほんの10秒ほど念じると、その細く小さな手から出現する仕組みが傍目には理解し難い、羽を広げた横幅が40mはあろうかという翼竜、プテラノドンの姿が、物理法則を無視してずるんと出現した。
琥珀を思わせる色で、ソフトボールぐらいある大きな鋭い目をしているが、その性格は従順で、後ろを向いて少し屈んだ。乗れという仕草だ。
ココナが一番最初にその首にまたがる。
「持つとこないし、高いのほんとダメなんすよ」
「これの肌触りがどうもニガテでして…」
半泣きで抵抗するユノとノノカの背中をボスがむんずと掴み、引きずるようにプテラノドンの背に乗せた。
ボスが背の中央を陣どり、その左右でプテラノドンの皮膚のつかめそうなところをあわあわと探すユノとノノカ。
「いくよ!」
ココナが号令をかけると、プテラノドンが両翼を大きく広げ、力強く数回羽ばたいてぐわり、ぐわりと上昇していった。
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