父の首

64/98
前へ
/179ページ
次へ
「う……うう――……。ひ……彦七さんは……本当に、私のことが……好き……?」 「好きです」 「ひこ、彦七さんに……触れて、頂きたいの……。お胸に、また、触って頂きたいのです……!」 「触りたい。触りたいです、俺も……」  長い睫毛、瞳が至近まで迫った。  滑らかな額。ゴツリとこめかみにぶつけられる。  ――熱い。 「ひこ、しち……さ、ん……っ」  呼吸が短く、極めて浅くなっていく。  がたがた震える体、胸から、少しずつ左腕を剥がしていく。  ――右の乳房が露わになった。  ――左の乳房も、音もなく溢れ落ちた。  手首の鍵がヂャリヂャリとぶつかり合って鳴いていた。顫動(せんどう)に満ちた左手を、無理やり黒御影石に張り付けた。  それを確認してから……彦七は、ゆっくりと額を離していく。 「はっ――はっ――う、う、うううぅ……!」  彼は――見た。  美しい漆黒の双眸に、ふたつ、映り込んだ。 「……!」  妙美は固く目を閉じた。  ぼろぼろと泣いた。肥大化した軟体生物、それぞれが人の頭部じみて大きい肉袋を震わせながら、激しく絶叫してしまったと思った。  ……けれど実際に喉から振り絞られたのは、ふたりきりの浴室に響いたのは。  か細い懇願、ただひとつのみだった。 「嫌いにならないで……嫌いにならないで……!」
/179ページ

最初のコメントを投稿しよう!

26人が本棚に入れています
本棚に追加