父の首

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「――」  彦七の手はただ、「洗う」という行為にだけ集中している。  それでも妙美の乳房は、彼の体温、塗りつけられる泡の一粒一粒、包み込んで撫でる手のひらの動き、その全てに対して不誠実な反応を示し続けた。  ひっきりなしに喘ぎながら、思った。  ……彼は、妙美を酷く苦しめたと言う。  そうだろうか。  全てこの時のためだった。この喜び、甘い疼き。心も体も一挙に押し流されてしまいそうな、この濃厚な多幸感に溺れて死ぬためのことだった。  そもそも、この身がこんなに醜いのは全く彦七のせいなどではない。道端に転がる石ころにもわかるであろう(ことわり)だ。  それに、妙美は報われた。十分過ぎるほどに。  彦七が謝る必要などないのだ。生きていて初めての喜びを与えてくれた、地上唯一の存在が。  こんな悲しい目をして妙美を見つめなければならない理由など、どこにも存在しないはずなのに。…… 「……俺も、あなたに嫌われるのを恐れずに言うならば」 「あっ、あっ……?」 「俺の仕事は……俺が鬼瓦において与えられている役割とは、夜毎(よごと)女性に買われることなんです。物心つく前から……男としての機能など何も始まっていなかった頃から、ずっとそうでした」 「……っ」 「仕方のないことです。俺は弱い。生まれる時に母を死なせはしましたが……それ以外には、まだ人を殺したこともありません」 「ん……あ、ああっ――」 「せめて言葉や演技が巧みなら、人を転がしたり騙したりする仕事が手伝えるのに……嘘を吐くのも下手です。本当に何の取り柄もない男なんです」 「あーっ……あーっ……!」 「壮さんは俺に無茶は言いません。必ず、俺にでもできる仕事だけを命じます。今夜はあの家へ行って喜ばせろ、明日はあの屋敷へ行って慰めてこいと、いつもそれだけです。……だから」
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