父の首

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「い、いやぁーっ! 落ちます……!」 「落ちません」 「怖いぃ……!」 「怖いですか……」 「どうして!? どうして突然私をお抱えになったの!?」 「妙美さんが可愛くて、つい……。すみません、まさかこんなに不評だとは」 「怖いぃ……! ああーっ……!」 「泣かないで……」  妙美自身、もっと彦七を信じて身を委ねた方が可愛げがあるのではないかと気づいてはいる。  わかってはいるのだが、全裸で宙に浮くというのは誰にとっても怖いのではないか。しかも足元はいつ滑るかわからない環境であるし、御影石も大理石も大変固い。  怖いが、どんなに怖くとも、回した両腕でそのまましがみついているしか術がなかった。  彦七は脚を一本ずつ上げ、湯舟の縁を跨いだ。ざぶざぶと満ちた液体の揺れる音がする。 「妙美さん、湯に入りましたよ。ここなら落ちても怖くないでしょう」 「いやぁっいやぁっ! 落とさないで……!」 「落としません。言葉の綾でした、すみません……」  彦七は困った眉をして妙美の泣き顔を見ている。  ふと、その視線が首の下、鎖骨の下へと移った。  無論、そこには乳房があった。妙美が打ち震えるにつけ、縮こまった仰向けの体の上で、ふたつの肉袋がぐにゃぐにゃ、たぷたぷと……眼下の水面(みなも)とほとんど同じように波打っている。 「……」 「……!?」  ビクッと全身が跳ねた。  尻の辺りに、何か固い棒状のものが勢いよく張り付いてきたのだ。  彦七の左腕は背中、右腕は膝裏に回っている。だのに、その他、一体何が妙美に触れてくるというのだろう。  何が……。 「……」 「……」  しまったという渋面の彦七。それを見つめながら、妙美はみるみる赤くなっていく。  ひっ、ひっ、と泣きじゃっくりを上げて……けれど彼の(うなじ)から腕を引く勇気は全くない。不格好に揺れ動く乳房を隠す方法がどこにもなかった。 「……すみません」と、彦七は本当にすまなそうに言った。
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