父の首

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「っ……!」  息が詰まった。  涙の向こうに、眼下に、思いもかけなかった光景がある。  ――いや。  想像なら……した。  何度もしていた。自ら着物を脱ぎ、この浴室に入ってきた瞬間から。  彼の清らかな黒い瞳を感じながら、慎ましく麗しい声を聞きながら……実際、上の空でしかなかった。  白く優美な見た目のわりに、根深い剣だこがいくつもあり、ザラッと固い手のひら。それで肌をゆっくりと撫でられながら――。  しなやかにすっと長く、それでいて節々のごつごつと骨張り、強く筋張った十の指。それで皮膚の薄い箇所を擦られながら――。  妙美は、想像した。  何度も想像していた。  見たこともない景色を。経験したこともない快楽を。……自分でやったこともないというのに。  寝台の上でされたこと。着物の内側に入り込んだ彼の右手が、妙美の左乳房に対してやったこと。  あの時の感覚だけを頼りに、ずっとずっと想像を膨らませていたのだ。  ――ああ、あの大きく逞しい両手が、今度は両の乳房を鷲掴んでくれたなら。  強く、責め苛むように激しく、ぎゅうぎゅうと握り込んでくれたなら。……  そんな淫猥(いんわい)な幻想が、今、本当に叶えられている。彦七によって。 「――」  興奮で、とうに脳幹は焼き切れていた。  それでも現実だと判断できるのは、。  揺れる湯の温度など比にならない、彼の手そのものの熱が、浮き上がった妙美の意識をじりじりとした現実に引きずり込んだ。
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