2話:奇妙な関係

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2話:奇妙な関係

 セイランが目を覚ましたのは夜だった。まだぼんやりとした視界の中、とても温かく心地よい場所にいる事だけは理解できる。身じろぎ、すり寄るそれは確かに生きているものの温もりがあった。 「起きたか」  低い男の声に少しずつ脳が覚醒していく。そうして、セイランは色んな事を思い出して飛び起きた。  部屋は立派で温かみのあるものだった。重厚なカーテンに、大事に使っているのだろうテーブルセット。同じデザインの棚には本が多く、机の上には使い込まれたペンとインク。室内は柔らかな明かりが灯っている。  そんな部屋のベッドの上にセイランはいた。真新しく綺麗なシャツを着せられた状態で、先程対峙した相手と添い寝していたのだ。  一瞬、犯されたのかと思い奥歯を噛みしめ睨み付けた。だが、それにしては体に変化がない。違和感も、痛みもない。不快感は一切なく、むしろさっぱりと気持ちいいくらいだ。  隣に寝ていた男、ライゼンは上半身を脱いでいる。軍服も軍帽も脱いだ彼は顔立ちの美しさが際立って見える。更に言えば鋭さも半減していて、違和感が酷い感じだ。戦場の悪魔が、優しげに見えるなんて。 「どうして」  ズキリと痛む胸は怪我などではない。だが、気のせいでもない。死んでしまいたかったのにまだ生きている。その事実に絶望を感じ、助けたのだろう相手を憎んだ。  だが、ライゼンは涼しい顔だ。いや、面白がっているかもしれない。ニッと笑った。 「助けたのか、か?」 「……そうだ」  睨み付けるセイランを見て、ライゼンは可笑しそうに笑う。手が伸びて頬に触れてくる。その綺麗な手には不似合いな酷い火傷の痕があった。 「死なせるには惜しかったからな。どうやら俺はお前が気に入ったらしい」 「そんな理由で助けたのか。余計な事を」 「お前が捨てるなら、俺が拾う。いらないんだろ? 有効に使ってやる」 「余計なことを!」  此方の気持ちなど……事情など何も知らないくせに。  睨み付けるセイランの頬に触れる手が擽るように動き、次にはヒタリと触れる。温かな血の通う人間の手だ。 「お前が何を思って死にたかったのかは知らないし、知るつもりもない。だが、捨ててあるものを拾ったのは俺だ。お前は既に俺のもの、諦めろ」 「勝手な言い分だ」 「そうして生きてきた」 「飼い殺しにでもするつもりか!」 「そんな気はない」  言うと、ライゼンはベッドを出て机の方へと歩き出していく。裸の背中に揺れる黒髪。そこに僅かに見えるものに、セイランは驚いて声がなかった。  無数の鞭の跡だった。おそらく古いのだろうが、それでもくっきりと残る程の傷跡。それに、火傷の痕も。綺麗な人のそれだけが異様にも見えた。 「その傷……」 「あぁ、目がいいな」 「誤魔化すな!」  僅かに此方を振り向くライゼンは苦笑している。あまり気にしている様子もない。だが見た方は気になるのだ。何故なのかと。 「拷問の痕だ。火傷は戦いの時のものだな。どちらも随分古いものだ」 「拷問……」  卑劣な行いだ。確かに必要な事だとも認めるが、それでも著しくその人物の人権を無視し、苦痛や屈辱を与える行為はやはり嫌いだ。これが情報を得る為というならばまだ飲み込める。卑劣でも、そうしなければ仲間の命を犠牲にしかねない。だが帝国では意味が違う。情報は欲しいだろうが、それ以上に捉えた相手を加虐することが目的になっていることを知っている。 「……死んだ方がましだと、思わなかったのか?」 「思わないな。これをやった奴らを全員、死んだ方がましだと思うような殺し方をしてやろうとは思ったが」 「強いな」  セイランはそんな風には思えなかった。自分が生きている事で友が犠牲になった事を知って打ちのめされ、死にたいと思ったのだ。  そのセイランの目の前に、何かが無造作に落ちてくる。布団の上にポスンと落ちたそれを見て、セイランは目を丸くして放り投げたのだろう相手を凝視した。  一丁のリボルバーが、弾をフル装填した状態で目の前に転がっていた。 「お前に渡しておく」 「こんなものを捕虜に渡す非常識な奴があるか! お前、撃たれたいのか!」  何故か焦っているのはセイランのほうで、ライゼンはまったく動じていない。何食わぬ顔で戻ってきて、ベッドに再び潜り込む。その神経が信じられない。 「好きにしろ。俺を撃とうが自分を撃とうがお前の自由だ。だが、一つだけ教えてやる。死ぬ事は負ける事であって、逃げる事じゃない。生きた者勝ちだ。気に入らないなら壊せばいい。憎いならお前の手でその憎しみを晴らせばいい。それが許される世界だろ?」  それは、この世界の道理だ。欲しいものを掴みたければ己の力でつかみ取れ。弱ければ奪われ蹂躙されても文句は言えず、強ければ奪い取り己の望むように振る舞える。ここは、そんな世界だ。  だが、そうして奪われた命の上にセイランは立っている。それを思うと、彼の言葉を素直に受け取れない。 「他人を犠牲にしてある世界だ」 「死んだ奴が弱い」 「そうじゃない!」 「そういうものだ。踏みつけられる事を望んだ人間はどうしたってそこで終わる。どんな形でも踏ん張って生き残った人間の勝ちだ」  息が止まるような思いだ。そして、考えた。  死んでいった仲間達の顔を思い出す。一緒に上に上がれるのだと思っていたけれど、彼等の口から出てくるのは常に「お前だけは上に行ってくれ」というものだった。そうしてとうとう、独りぼっちになってしまった。あの時の仲間を、セイランは踏み台にしてしまった。 「今考えてもいい事はないぞ。さっさと寝ろ」 「……感情など、なければいいのに」 「……それこそ、人間じゃなくなる」  布団の上に正座したまま膝の上の手を握り、泣きそうに顔を歪ませるセイランの頭を大きな手が撫でた。その意外な優しさに顔を上げると、鋭く冷たいとばかり思っていた紫の目が優しく細められていた。  何故、敵のこいつはこんなに優しく温かい顔をする。傷つき、歪になる心を撫でるようで心地よく、温もりを分けてくれる。戦場の悪魔はこんな男だったのか。 「続きや事情は明日ゆっくりと聞いてやる。今は寝ておけ」  腕を引かれ、再びベッドへと引き倒される。ライゼンの胸に引き込まれたセイランは、その胸の鼓動を感じて妙な居心地の良さを感じた。  この男から不穏なものを感じない。肉欲も、殺意もない。ただ互いの体温を分け合う触れあいは案外悪くない。徐々に落ち着いて、瞼が落ちてくる。  久しぶりかもしれない穏やかな眠りに身を委ねたセイランは、この日優しい夢を見た。
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