3話:憎い者

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◆◇◆  その日の夜、セイランはライゼンが戻ってくるのを待っていた。予想よりも早く戻って来た彼は直ぐに軍服を脱いで着替えてしまう。それを見定めて、セイランはライゼンの側へと近づいた。 「大人しかったな」 「……どうして、第6エリアを欲しがる」  少しキツい視線で見上げるセイランに比べ、ライゼンは何処までもポーカーフェイスだ。此方をジッと見て、僅かに口角を上げる、皮肉っぽく。 「エリアの拡大は革命軍にとって十分利益のある話だ。俺もこの第8エリアを預かる責任者で軍人、当然そういう事を考えるだろう」 「本当に、それだけなのか」  それだけではないように思える。もし本当にそれだけの理由なら、何故今なんだ。  それでもライゼンは語らない。本心を見せるつもりはないと言わんばかりに。 「……今、この第8エリア周辺は緊張状態という名の小休止にあるだろ。お前が今第6エリアを攻めれば、その均衡が破られる。この周辺で再び、大きな戦いになるんじゃないのか」 「ほぉ、なかなか賢いじゃないか」 「何故そうまでして!」 「あの豚が、俺は昔から嫌いだった。強者の影に隠れなければ何もできないくせに、自分より弱い者には理不尽を押しつけ身勝手な欲望を隠しもせずにぶちまける。いい機会だからな、掃除をする事にしたんだ」  それは、確かにそうだった。ブラン中佐という男は確かにライゼンが口にしたような矮小で卑屈で卑怯で醜い男だ。ただその行いは、今彼が言った言葉では到底足りない。あの男がセイランの大切な者を奪ったのだ。  こみ上げてくる怒りは青い炎のように揺らめく。静かに熱く憎しみを糧に燃えている。あの男を殺さなければセイランは自らを許す事もできない。  忍ばせていたリボルバーをライゼンへと向けた。狙いを定める目は本気だった。だが……この男は狡い。優しげな視線を此方へと向けて、まるで逃げようとしない。身構えもしない。そこに、困惑と戸惑い、そして躊躇いが生れる。 「俺を撃つか? その後、どうする」 「ここを出て、あいつに復讐する」 「できるのか? まず、ここから出られないだろう。俺の部下は皆、俺には勿体ないほどに優秀だ」  それはなんとなく分かっている。一日この部屋から外を見ていた。訓練を行う兵の練度も高い。自分がいた所とは大違いだ。何より皆、責任者であるライゼンを信頼しているのか目に生気があった。  第6エリアでは、見られない光景だった。 「俺を人質にして出た方が確実だとは思わないか?」 「なぜ俺をそそのかす! お前はどの立ち位置でものを言っているんだ!」  訳が分からない。思わず声も荒く言うと、ライゼンは楽しげに笑う。馬鹿にされているのかと思いきや、そうでもない。単純に此方の反応を見て楽しんでいるように思えて、それが余計に気に入らなかった。  ちょいちょいと指だけで挑発されたセイランは青筋立てて姿勢を低く落として走り込んだ。弱っていたが十分に休息も取れたし食べたから、体力は戻っているはず。逃げようというわけではないが一発殴りたい。  間合いを詰め、ライゼンの視線が此方へと注がれている事を十分に意識したまま、セイランは更に一段身を低くした。一瞬でも視界から消えたように見えてくれれば隙がつける。そのまま綺麗な顎をめがけて拳を突き上げたが、それは見事に空振りした。  空ぶった腕を掴まれ、焦る中でもう一方の腕も掴まれる。完全に動きを封じられたセイランへ、ライゼンは楽しげな笑みを浮かべて一瞬で唇を奪った。薄い唇は思いのほか柔らかくて、触れたのは一瞬。瞬きのような間に過ぎた事に、セイランは目をパチクリとした。 「動きはいいが、考えが甘い。俺に一発入れたければ死ぬ気でこい。俺は強いぞ」 「腹立つ!」 「単純で短気だな、お前は。少し意外だ」 「煩い」 「くくっ」  楽しそうに笑うばかりで手を離して解放してしまう人を、セイランは睨んだ。ただ、心境は複雑だ。  ライゼンはセイランからリボルバーを取り上げようとはしない。今ここで、セイランがこれを撃ったらどうなるのか。これだけ近い距離なのだから流石に外さない。致命傷を負わせられなくても重傷くらいは狙える。  なのに、何も言わない。今の事だって咎めない。まるでペットと戯れていたかのような扱いだ。これが帝国軍であったならば今頃吐くほど殴られ、蹴られ、地下の懲罰房に入れられている。  何を考えているのか分からない。今、自分の位置はどこなんだ。彼は何を求めているのだろう。 「俺は、お前にとってなんなんだ」  思わず零れた言葉に、ライゼンは静かに凪いだ顔をする。そして近づいて顎を取り、先程よりもずっと確かなキスをした。 「!」 「俺も今、それを見定めている。一度きりの相手なのか、特別になるのか。ただ、少し楽しいと思っている。それだけは確かだ」  卑怯者だ、口説くみたいに甘い顔をする。これがこの男のポーズだというなら質が悪い。人の心を弄んで何が楽しい。  でも今のキスは、何故か拒絶がなかった。 「さて、落ち着いたなら寝るぞ。お前も忙しくなる」 「忙しくなる?」 「復讐、したいんだろ?」  当然の様に言われる事に、セイランは目を丸くする。気づけば目の前の人の腕を掴んで顔を近づけていた。 「俺も参加できるのか!」 「まぁ、多少はな。ただし、この砦からは出さない。俺の目の届く範囲に置く。それと、ブランを殺すのは許可できない。あんなのでも使い勝手がいいからな、案外情報を持っている。吐かせてからだ」 「分かった!」  嬉しい、これで仲間達の無念を晴らしてやることができる。少なくとも彼等の苦痛を思い知らしてやる事が出来る。腐った男から第6エリアを解放できるかもしれない。  思ったら、たまらなかった。気づけば目の前のライゼンの首に腕を回して飛びついていた。 「おい!」 「有り難う、ライゼン! 俺は……仲間の苦痛をあの男に味合わせてやりたい。それが出来るんだな!」 「分かったから離せ! ったく、子供か」  長い髪をかき上げながらライゼンは溜息をつく。そしてポンと頭を撫でた。 「まずは寝るぞ。お前はもう少し体を治せ」 「あぁ、分かった」  溜息をつきながらもベッドの中に入るライゼンが、当然の様に手を差し伸べる。そしてセイランもまた、その横へと潜り込む。  温かく確かな腕は安心と安らぎを与えてくれるのかもしれない。落ち着いた気持ちで見つめる先で、ライゼンは当然のように目を閉じて深い呼吸をしている。  妙な人だ。立場上、セイランはこの男の敵になる。これは立派な殺害動機になるし、その為の武器もある。にもかかわらずこの人は隣でこうして寝息を立てる。セイランが引き金を引かないと信じ切っている。  どんどんイメージが変わっていく。戦場の悪魔だなんて、今はそちらのほうが作り物に思えてきた。本当のこの人は仲間を大切にし、仲間に大切にされ、温かく穏やかで親しい人には優しさを見せる。  まぁ、男色という噂は本当なのだろうし、見目のいい捕虜を食いものにしていたというのも本当そうだが。  まだ、何を求められているのか分からない。セイラン自身も、何を求めているのか分からない。  だが一つ確かなのは、今この時間がとても安らかだということだった。
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