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ロシア人の侵攻
シベリアの約1/4は北極圏内にある。
16世紀の中頃まではタタール人が作った巨大な「シベリア・カン国」がウラル山脈以東の広大な地域を支配していた。
このタタール人はもともとモンゴル人の一部族で、13世紀にはジンギスカンが率いるモンゴル同盟に加わっていた。
しかし15世紀の終わり頃になるとモスクワ大公国が台頭してくる。
『イワン大帝』として知られ、1462年から1505年までモスクワ大公の位にあったイワン3世がタタール人を打ち破り『ロシア大公』の名のもとにロシアを統一するべく動き出したのである。
モスクワ大公国はタタール人のカン領を次々に征服して勢力を伸ばしていった。
16世紀の中頃『イワン大帝』の孫にあたる『イワン雷帝』がモスクワ大公国の東部国境地域の警備を『豪商ストロガノフ家』の手に委ねた。
ストロガノフ家は国境沿いにコサックを配備した。
強力で効果的な防衛軍として活躍したこのコサックの軍隊はやがて攻めに転じ、ひたすらに東進を続けて1648年にはベーリング海峡に到達する。
厳しい極寒のこの地には、ロシア人の植民地化によってシベリア土着の70余りの民族が消滅してしまったという、凄惨で哀しい歴史がある。
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