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薄暗いゴミ捨て場に教室のゴミを運び込み、これで私の掃除当番は終わりだ。退屈な毎日、放課後はどうしようかなといつも考えている。
教室へ戻ろうとすると、私のすぐ後ろに女子生徒が俯きながら立っていた。
「うわっ」
音もなく現れたものだからつい変な声を出してしまった。
制服のリボンの色から二年生で、私と同級生であることが分かった。ただ、俯いた顔に長い髪がかかっていて顔と表情がよく見えない。こんな人いただろうかと、記憶を辿るがピンとこない。
「あの」
その人が俯いたまま、よく通る高い声で話しかけてきた。
「助けて欲しいんです」
「いいよ、どうかした」
私は即答したが、自分の軽率さを呪った。簡単に済む用事ならいいが、そうでない場合は厄介だ。日々退屈を持て余しているが、退屈しのぎがなんでもいいわけではない。
「探し物をしてて……」
そんなことで見ず知らずの私を頼らなくても、私は心の中で悪態をついた。落とし物として届いている可能性があるんだから先生に聞けばいいのに。
ただ、一度了承してしまったからには、もう断れない。
「何を探してるの?」
「目を」
女子生徒が顔を上げると、そこには両目だけがなくなった顔があった。本来目があるはずの場所は肌で覆われのっぺりとしている。のっぺらぼうの目だけがないイメージだ。
「ぎゃあああああああ!」
そんな超常現象とも言える顔に、平凡な女子高生の私は耐えられず悲鳴を上げた。
「お、落ち着いて、だれかに見られるとまずいから」
両目がない女子高生が慌てて私の口を塞いでくる。
当然私は必死に抵抗する。こんな複雑怪奇な人に触られたくない。私の身に何が起こるか分かったものではない。
しばらく攻防が続いたが、害もないし悪い人ではなさそうだったので一旦落ち着いた。
私たちは地面に正座し向き合った。
「私は丸目藍」
両目がない女子校生が名乗った。
「宮田まどか」
私もとりあえず自己紹介はした。何だろうこの状況は。
「宮田さん、一緒に私の両目を探してほしいの」
両目を探す? 両目は外れるのか、いや普通の人は外れない。丸目さんは私のことが見えているのか。仮に両目が外れるとして、そもそもなくすのか、私は無限に湧いてくる疑問とツッコミを抑え込んだ。
「えっと、分かった」
本当は何も分かっていない。さっさと終わらせて、今後は極力関わらないようにしようと決めただけだ。
「助かる! 本当にありがとう!」
「どういたしまして。……で、どこでなくしたの」
「いやあ、それが全然覚えてなくて」
丸目さんは少し恥ずかしそうに顔を赤らめた。
覚えていない、とかあり得るのか。仮にも自分の体の一部だ、その瞬間に気がつかないわけがない。
またしても湧いてくるツッコミと苛立ちを抑え、必死に平静を保った。
「ちょっとは考えて。丸目さんの一部でしょ。見つからなくても私は何も困らないんだから」
「ちょっと考えて思い当たるなら、自分で探しているよ」
丸目さんの真剣みの足りなさに私はわざとらしくため息をつき、無言で立ち去ろうとした。
「あああ、うそ、ごめん。助けて」
丸目さんが必死にすがるものだから、私は大人しく座った。目をなくしているにも関わらず正確に私を捕獲してくる。
「じゃあ、思い出して」
「……思い出せはしないけど、今はどこかの教室が見えてる」
……見えてるんだ。私の知らない間に人体は進化したのだろうか。私の脳では処理が追いつかない。
「見えてるなら、もうほぼ解決したじゃん。おめでとう。じゃあ私はこれで」
再び立ち去ろうとしたが、丸目さんは私の手を握り、必死に引き留めようとする。
「私一人だと無理なの!」
「どうして」
「考えてもみて。両目のない人が平然と歩いていたら、学校中がパニックだよ」
それはそうだ。私も今は普通に喋っているが、初対面のときのあの恐怖は忘れられない。「でも、私にできることなんて何もないでしょ」
私は一刻も早く立ち去りたかったが、丸目さんは許してくれる気配がない。
「あるよ。私の前に立って壁になってほしいの」
私の後ろに丸目さんが立って、死角に入ろうということか。それに丸目さんが俯けば長い髪で覆われるから顔を見られるリスクをより減らせる。
「分かった。さっさと回収しよう」
私たちは立ち上がり、丸目さんが私の背中に隠れるように歩き始めた。
「丸目さん、目がないのに私のこと見えてるんだね」
私は後ろを振り向くことなく、話しかけた。
「いや見えてないよ。視覚以外の五感で補って、正確に宮田さんの位置とか把握してるだけ」
「よくそんなことができるね」
「しょっちゅうなくすから自然と」
盲目の人が同じようにして生活を送っていると、どこかで読んだ気がする。それと同じなのだろうか。それより、今しょっちゅうなくすって言った? 呆れて喋る気力すら湧かない。
校舎の玄関に入る直前、丸目さんが突然呻いた。
私は驚いて振り向くと、丸目さんが蹲り、真っ青な顔をしていた。
「どうしたの?」
私は慌てて丸目さんの傍に寄り、しゃがみ込んだ。
「……酔った」
「は?」
丸目さんの口からよだれが一筋流れ、目が虚ろで、辛そうな表情をしている。とても人に見せられる顔ではない。
「どうやら、だれかに蹴られたみたい。それで世界が急に回転し始めて」
目が物理的に離れていても見えている、ということはこういうことも起こってしまうのか。便利なのか不便なのか分からない。いや、便利なわけないか。
ここで私はある考えに至った。
「蹴られたってことはだれかに見られたかもしれないってこと?」
「そうなるね」
喋るのも辛いからか、丸目さんの返事はぞんざいだ。気持ちは分かるが、もう少し危機感を持ってほしい。目玉が落ちてるなんて状況に遭遇したらどうなるか分かったものではない。
「でも、大丈夫。今見えてる範囲にはだれもいないから」
ひとまずは安心していいようなので、胸をなで下ろした。ただ、さらに悪い考えが浮かんだ。
「踏まれたりしないの?」
それはあまりにもグロテスクすぎる。踏んだ人はトラウマになるだろうし、丸目さんも視力を失う。痛覚はどうなのだろうか。目を蹴られたらしいが、痛がる様子がないということは、痛覚は分離しているらしい。考えれば考えるほどミステリアスだ。
「するかもね」
あまりにも平然と言ってのけるから、私は二の句が継げなかった。
「早く拾いにいこう」
しばらく固まってから一言絞り出すのが精一杯だった。
「そうだね」
丸目さんは回復したのか、しっかりした足取りで立ち上がった。
「それで、今何が見えてるの?」
「えっとねえ、石膏かな、これ。顔がいくつもある」
校舎四階の美術室か。私たち二年生の教室は校舎二階で、美術の授業はない。それがどうして四階の美術室にあるのか不思議だが、丸目さんには一般的な理論が通じなさそうなので問い詰めるのはやめた。
「さっさと行こう」
私は丸目さんの手を引き四階に向け足早に歩きだした。
「あ」
四階に辿り着いたとき、丸目さんが小さく声を上げた。
「どうかした」
「いや、生徒会長が入ってきたのが見えて」
この学校の生徒会長は品行方正、成績優秀、社長令嬢でありながら気取ったところがない、ということで生徒全員から人気がある。ファンクラブまで存在するらしい。
ただ、生徒会長は美術部ではないはずだ。美術部の友達がいるが、そんな話は聞いたことがない。それに今日は活動日じゃない。
「うっわ」
丸目さんが変な声を上げたかと思うと、顔を真っ赤にしている。
「どうかした」
「いや、その……」
丸目さんが言い淀み、思わず続きが気になってしまう。
「はっきり言いなよ」
「……えっぐいTバックが見えちゃって……」
それは知りたくなかった。知ってはいけない情報を握ってしまった。だれかに消されないだろうか。
「お」
今度は何が見えたのだろうか。
「副会長だ。……パンツは普通だよ」
副会長は仕事がすごいできるにも関わらず、ゆるふわ系というギャップが受け、生徒会長に次ぐ人気を誇っている。
生徒会室ではなく、美術室に何の用だろうか。それと、パンツについての情報は欲していない。
私たちは美術室の前まで来て、いざ入ろうとすると丸目さんが私の制服の背中を掴み引き留めた。
「どうかした」
見るとさっきよりさらに顔を赤くしている。
「えっと、その……」
私はさっさと終わらせたく、丸目さんのことを無視し、扉に手をかけた。その瞬間、丸目さんに羽交い締めにされた。
「ちょっと、なに」
「静かに」
私の抗議の気持ちはは、丸目さんの真剣な声色によってしぼんでしまった。目がないから表情が分かりにくいが、おそらく真剣な表情をしているのだろう。
「何か問題でも」
私は声を潜め尋ねると、丸目さんは小さく頷いた。
「邪魔しちゃうのはちょっと……」
邪魔? どういうことだろう。
「えっとね、キスしてる」
女同士で? つまり百合ってこと? 生徒会長と副会長ができているという事実は確かに衝撃的だったが、目玉が取れる女子校生を知ってしまった今、動揺するほどではなかった。学校でそういうことをするのはどうかと思うが。
「でも、どうするの。早く目を回収しないと」
「目は入り口すぐ近くに落ちてるから、扉から手を伸ばせば取れるはず」
そう言って丸目さんは静かに少しだけ扉を開けてからしゃがみ、隙間に手を滑り込ませた。
目を取って、なんて言われなくてよかった。目玉なんか触りたくない。どんな感触なのか考えたくもない。
「あった」
丸目さんが小さく喜びの声を上げた。これで一件落着、私がほっとしたのも束の間、丸目さんが扉から手を引く抜くとき、扉に手を当てたのか、大きな音が響いてしまった。
「やば」
迂闊だった。丸目さんは自分の目を落とすほどの間抜けだ。これくらい予想できたはずなのに、どうして自分でやらなかったんだ。
後悔しても遅い。中からバタバタと慌ただしい音がし、扉が開かれた。
真っ赤な顔をした生徒会長が仁王立ちし、奥では副会長が今にも泣きそうな顔をしている。
「あなたたち……」
生徒会長の声には怒気が含まれているが、それは理不尽だ。私たちは何も悪くないのに、思わず萎縮してしまう。
助けを求め横を見ると、丸目さんの姿はすでになく、遠くに走り去る背中が見える。
逃げやがった。
私も回れ右をし、全力で廊下を駆け抜けた。後ろから生徒会長の声が飛んでくるが無視した。
私は階段を数段飛ばしで駆け下り、一階まで降りてきた。そこには裏切り者の丸目さんが待ち構えていた。
「丸目さん、よくも……」
私は息を整えるよりも先に丸目さんに詰め寄った。全身から変な汗が吹き出している。
「いやあ、びっくりしたね」
丸目さんも汗だくだが、口元が緩み、どこか楽しそうで、それが私の癪に障る。
気持ちを落ち着けようと深呼吸をした。目的のものが見つかったのだからこれ以上丸目さんに振り回されることはない。生徒会長から目をつけられないかだけが心配だが、学年が違うし大丈夫だろう。
「じゃあ私はこれで」
生徒会長に見つからないうちに立ち去りたかったが、丸目さんが私の右手を両手で包み込むように握り引き留めた。
「待って」
「まだ何か用?」
「まだ片目しか見つかってないよ。だからもう少し手伝って」
私は耳を疑った。片目だけ? 両目を落としたばかりか、それがバラバラになった? 丸目さんの体質と抜け具合に脱力する。
私は大げさにため息をつき、了承した。
「分かった。それで、もう一個の目はどこにあるの?」
「ベッドが見えるから、保健室かな」
保健室は一階の廊下の突き当たりだ。ここからなら比較的近いし、美術室や生徒会室に近づかなくて済む。
「さっさと行こう」
私は生徒会長が追いかけてこないか気が気でなく、足早に歩きだした。丸目さんも私の後ろにくっつくように歩きだす。
だれとも遭遇することなく、保健室の入り口に着いた。
「中にだれかいる?」
私は声を潜め丸目さんに尋ねた。
「井山先生と船本先生がいる」
井山先生は保健の先生で、船本先生は英語教師だ。二人とも女性の新任教師で、生徒と年が近いからか人気が高い。
「同期だから仲がいいのかな」
私はドアに手をかけた。当然保健室に用事はないが、具合が悪いとか言って適当に理由をこじつければいいだろう。そうすれば船本先生は出ていくだろうし、井山先生が私の相手をしている間に丸目さんがさっさともう一つの目を回収すればいい。
「あ、ちょっと」
丸目さんが慌てたような声を上げたが、私はすでに扉を全開にしてしまっていた。
ちょうど井山先生が船本先生をベッドに押し倒すところだった。二人は青ざめた顔で私を凝視し、私も動けなかった。
空気が固まった。
永遠とも思える時間が流れ、私は気がついたら叫んでいた。
「この学校の風紀はどうなってるんだ!」
翌日、私は頭痛をおして登校した。昨日はいろいろなことがありすぎてよく眠れなかったからだ。
あの後、二人の先生は気まずそうに無言で退出した。そのお陰で人目を気にすることなく丸目さんの目を探すことができた。
両目をはめ込んだ丸目さんは可愛らしかった。お礼に何か奢ると言われたが、あんな不気味で間抜けな人とはこれ以上お近づきになりたくなくて必死に断った。
丸目さん、生徒会長、副会長、井山先生、船本先生、計五人の秘密を握ってしまったことになる。この秘密を利用して悪さをするつもりは毛頭ないが、目をつけられるのは厄介極まりない。
生徒会長も先生もどうしてよりによって学校で、私は重い足取りを引きずり校舎の玄関を入ると、丸目さんが左手をスカートのポケットに突っ込んで待ち構えていた。今日はちゃんと両目がある。
「お、おはよう」
会いたくはないが、あいさつくらいはする。見ると丸目さんは困ったような表情を浮かべている。
まさか……。
「おはよう。宮田さん、助けて」
「嫌だ」
私は丸目さんに背を向け立ち去ろうとしたが、丸目さんがそれより少し早く、右腕をお腹に回し抱きついてきた。
「頼れるのは宮田さんしかいないの」
「……分かったから離れて」
好奇心に溢れた周りの視線に耐えられず、渋々頷いた。
丸目さんは右手で私をひっぱり、女子トイレに入った。だれもいないことを確認すると、個室に押し込まれた。
「それで、私にどうしてほしいの」
「実は……」
丸目さんがゆっくりと左手をポケットから出した。薄々察していたが、昨日はあったはずの左手がない。
「左手を探してほしくて」
退屈とは無縁な生活が始まりそうだ。
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