1.苦さを探して

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「1つ歳下の後輩が育休から復帰するタイミングとチカの産休入りのタイミングが被ってな。会社では会う機会が無いから会ってくるってさ」 「お前の周りはお祝いばっかだなぁ。いい事だ」  男性は伝えられた金額をカウンターに置き、足元に置いてあった大きめのマザーズバッグを肩にかけ理香ちゃんを抱き上げた。 「やっ、それぜんぶのむのっ」  視線が高くなった理香ちゃんはイヤイヤと首を横に振り、じたばたと身体を捩らせながらマスターがカウンターから引いて行ったオレンジジュースの入ったグラスを指さした。彼とマスターが顔を見合せ、苦笑した男性が再び椅子に腰を下ろしていく。  理香ちゃんはマスターから差し出されたグラスに小さな手を伸ばす。不相応な大きさのグラスを握り締め、はむっとストローを口に咥えた。男性が理香ちゃんの背中から腕を伸ばし、マスターから引き継ぐようにぐらつくストローとグラスを支えている。 「理香ちゃん、お姉ちゃんになるんだね」 「うんっ。わたし、おとーとが、できるんだって」  ふわふわと揺れ動く髪。明らかにご機嫌そうな様子の彼女を微笑ましく眺める。……最奥に陣取る千歳もじっと彼女を見つめているようだった。 (……)  何を考えているのか。いつだって読めない――千歳の、視線。  豆を砕くコーヒーミルの音がする。マスターは私が注文したブレンドを淹れる準備を進めているのだろう。和やかな空気感の中、ズズっと吸い上げる音ともにグラスが空になり、男性が再び理香ちゃんを抱きかかえた。バイバイ、と大きく腕を振る理香ちゃんにそっと手を振り返す。 「チカちゃんにお産頑張れよって伝えてくれな」 「ん。産まれたらまた連絡する」  穏やかに笑みを刻んだマスターの表情。パタン、と扉が閉められてチリチリとベルが鳴った、次の瞬間。ニヤリと笑みを浮かべたマスターが、揶揄うように私に視線を滑らせる。 「で? やよい。今度は何でフラれたんだ?」
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