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「ただな、それはお前の弱さだ。女性にとっての30代っつうのはな、比喩でもなんでもなく人生の瀬戸際なんだ。やよいの時間を踏みにじったお前に俺は怒っている」
「……ごめん」
「それは俺にいう言葉じゃねぇだろ」
「…………」
鋭く言葉を放てば、びくりと千歳の身体が震える。罪悪感に苛まれながらも、この5年間あの手この手で必死にやよいを繋ぎとめてきたのだろう。
「……僕は、どうしたらいいかわからない。やよさんにそばにいて欲しいと思う。けど、彼女の願いは叶えてあげられないかもしれない。自分がちゃんとした親になれるかわからない。僕は気が長くないから、いつか自分の子どもに同じように『失敗作だった』っていいかねない。そんな不幸を繰り返したくないんだ……」
焦点を無くした千歳の瞳がじわりと濡れる。
「やよさんが書置きを残していったとき、本当に苦しかったんだ。いつだって無理をしたように笑うあの表情が頭から離れなくて、でも、僕がきっとそうさせてるんだって思ったら、諦めるべきだと思った。でも……傷つけられても立ち上がろうとするやよさんが、どうしようもなく……好き、なんだ。自分でも理由がわからないくらい、やよさんのことが頭から離れない」
テーブルに肘をつき、頭を抱えながら震えた声で千歳の吐き出した言葉に、俺はふたたびゆっくりとため息を落とす。千歳は自分に厳しく、誰かに優しすぎるがゆえに苦しんできた。生まれてきてから、ずっと。
千歳がやよいに惹かれる理由。自分にはない強さを持っているところ。祖父が興したグループへの人脈に繋がる欲を筆頭に『あわよくば』を狙う人間に囲まれ、鈍色の世界に生きてきた千歳に光を与えたのが、裏表を全く持たないやよいなのだろう。
やよいは職業柄なのか、裏表を持たないように意識して日々を過ごしてきたのだ、と俺は思っている。ライターという職業は対象者から真っ直ぐな感情を引き出すのが仕事だ。裏表を持たず、誰とでも実直に会話を交わすことで自分の仕事に向き合う……一本、芯の通った人間だ。だからこそ、千歳はやよいに執着してしまっているのだろう。
凝り固まった千歳の価値観を崩すことは出来ない。俺はそんな大層な人間ではない。こんな時にはほんのちょっとしたアドバイスしか出来ない――けれど。
「俺はな。嫁もいねぇしもちろん子どももいねぇ。結婚願望もねぇし、この先もずっと一人で生きていくって決めてる」
「……」
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