669人が本棚に入れています
本棚に追加
26.音色が差し込む先の景色
「私はAliceさんのインディーズの頃の『復讐』という楽曲がとても好きでして。『私が見ていた空洞の世界 浸っていた悲しみの沼の底 漆黒の日々を打ち砕く準備はもうとっくに出来ている』という歌詞、あの一文に衝撃を受けました。……当時19歳であった少女が、どういった人生を生きてきたらこのような一文が出てくるのだろうと」
「あぁ、あれ! う~んと…あたしは自分で歌詞を書いているので、歌詞やタイトルに織り込んだある意味センセーショナルな言葉で誰かにメッセージをするのが……あたしなりのやり方というか」
男女問わず若年層から支持を集めている若手ロックシンガーAlice。20歳でメジャーデビューを果たし、その類いまれなる声質で時代の寵愛を受けている。腹から響く迫力のある歌声からウィスパーな歌声までを網羅した圧倒的な歌唱力は世界中を魅了し、今年の夏からは日本武道館を皮切りとした世界ツアーを控えている。特筆すべきはビジュアルを一切出さないということだ。ライブ時でも照明を背中から当て、逆光が落とす彼女の影しか見せない。テレビや動画配信サービスでの音楽番組への出演もひな壇には座らず、トークは一切公開しない――謎のヴェールに包まれたロックシンガーなのだ。
そんな彼女は今年デビュー1周年を迎え、どの雑誌もここぞとばかりにインタビューを申し込んでいた。写真を撮らないというのがどの雑誌にも提示された条件だったそうで、それは私が所属する星霜出版社へも同様だ。そのため、今回はカメラマンを同行せず私一人での取材となった。
大人の女性をターゲットにしたライフスタイルマガジンの担当である私は、既存の音楽雑誌とは違う着眼点でのインタビューを立案していた。そんな企画である以上、何度も投げかけられた一辺倒な質問では彼女も回答に困るだろうと考え彼女の原点であるインディーズ時代の楽曲を聴きこんでいたが、どうやらその選択は正解だったらしい。投げかけた質問に、強めに引かれた黒いアイライナーが印象的な彼女がそっと微笑んだ。
「選べなかった道を後悔しないためにも……選び取った道に、掴み取った日々に胸を張りたい。あの楽曲はあたしなりの、過去のあたしとの決別の歌です」
「と、いいますと……」
「人生って、選択の積み重ねですよね。人生を送るにあたって、たくさんの分岐があって。幾億、幾兆の選択の上に成り立っている」
整えられた黒のネイルにラインストーンが煌めく指先が、ふい、と虚空を彷徨う。
最初のコメントを投稿しよう!