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諦める、という日本語の意味を、私はこれまで深く考えたことはなかった。『言葉』を『歌』に乗せて言霊としてきた彼女だからこそ、辿り着いた彼女の信念。メモを取ろうと視線を落とすと、記事に起こすために回し続けているボイスレコーダーの緑の光に、ふっと……千歳を取材した時のこと、そして先週、待ち伏せをされていた時の記憶が脳裏に蘇る。
――あ。ボイスレコーダー、エラーになってませんか
――僕は、ずっと探してた。やよさんのこと
――ごめん。でも、僕はどうしてもやよさんを諦めたくない
――そんなことある。僕がどれだけやよさんを想ってるか、ずっとやよさんを見てきたか。やよさんがそれを知らないだけ
奥の奥まで射抜かれるような千歳の視線を思い出し、どくん、と心臓が強く収縮した。
先週顔を合わせた千歳からは連絡はないままだ。あの夜に偶然割って入ってくれたマスターからも。
あの時、マスターが千歳を引っ張っていってどんな話をしたのかはわからない。千歳が私に執着しているということはあの場面を見たきっとマスターは理解してしまっただろう。『私を諦めろ』という話を千歳にしたのだろうか。そう考えると理由もなく眦が熱くなってしまうから、ずっとずっと――あの夜のことを考えないように、と、この一週間を過ごしてきた。
(……あき、らめ)
変わらなければ。楽な方向に逃げるのは、もう終わりにしなければ。そう思っていたのに、結局は自分が置かれた環境を憂い、彼と自分の立ち位置に惑い、彼の想いを無視すると決めた。これは、単なる諦めではないのだろうか。逃げ、ではないのだろうか。
(Aliceさん、は)
過去の自分と決別し、自らの足で、歌で――この世界に爪痕を残そうとしている。うまく言葉にできない何かが、私の心の奥深くに渦巻いているようだった。
***
Aliceさんへのインタビューを終え、彼らがにこやかに会釈をして黒いワンボックスカーに乗り込んでいく様子を見送り、小さく吐息を落とす。
インタビューを通し、これまで知らなかった業種や人々に触れることで新たな価値観を得ることも多い。ここ最近の取材では本当にそう思う。Ryuさんの時も、千歳の時も、そして今のAliceさんも。今の私に足りない、足りていない何かしらを……私の心に落として、遺していく。
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