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「え…これって…」
私が思わず呟くと、祐輔さんは顔をあげて私を見て手を止め、スケッチブックを下ろした。
「ああ…その人は壱弥さんの婚約者だった知世さん。
元々、この紫陽花をお祖父さんとやってたんだけど、3年前病気で亡くなった」
「…」
私は言葉を失くす。
マスターの纏っている、拭いようのない淋しさや物憂げな空気は、そこからきていたのだ。
…私と、同じだわ。
私はもう一度写真に見入る。
写真の中のマスターは輝くような笑顔で、心から青春を謳歌しているように見える。
知世さんは緩くウェーブした茶色い髪を華奢な身体にまとわらせた可愛らしい人だった。
「景那ちゃんはそんなことないと思うけどさ。
壱弥さんは止めた方がいいよ。
あの人は誰のことも好きにならない。
知世さんのことだけをこの先ずっと一生、想って生きてく人だから」
私は無意識に胸の前で両手を握りしめる。
「わ…私だって、そうだから。
もう誰のことも好きになんてなれない。
光貴を忘れるなんてできない」
「へえ、光貴っていうんだ。
景那ちゃんの彼氏」
スケッチブックを閉じて、あまり興味もなさそうに祐輔さんは呟いた。
「ねえ、コーヒー冷めちゃったよ。
もう一度もらってきてあげるね」
そう言って祐輔さんがコーヒーカップを持って部屋を出て行った後も、私は胸を塞ぐような重い気持ちを持て余しながらマスターと知世さんという儚げな雰囲気の女性の写真をずっと見ていた。
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