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子供の頃の思い出だよ。
明るい日差しの中、僕は駆けている。父が久しぶりに家に来るからだ。
僕の父は西の国の王だ。僕は第三王子だけれど、母親は側室でもない、身分の低い妾だ。
十歳になるまでは母と暮らし、十一歳になったら王宮で暮らすことになっていた。
だから、父が平民の暮らしをしている僕らの所に来るのは久しぶりの事で、嬉しくてたまらなかった。
母はこう言った。
「もう一人、偉い方を連れて来られているの。内緒の話をしに来られたみたいだから、あなたは静かにしていなくてはならないのよ」
「解っているよ、でも少しだけなら大丈夫でしょう?」
「それは……ねえ、テト?ちゃんと、空気を読むのよ。お話をされている時は決して邪魔をしてはならないわ。お話が終わっていたら、きちんとご挨拶してからお部屋に入るのよ」
だから僕は廊下を走ったものの、父がいる応接室の近くではぴたりと止まり、ゆっくりと音を立てないように歩いた。
僕の生まれ育った家は、もともとお偉い学者の家で、応接室の中に小さな書庫室がある。小さな小部屋だ。
今は本棚を取り払い、母の趣味のティーカップや父が好きな葡萄酒を少々保存するだけの部屋になっているから、僕はよくそこに潜んで一人きりの時間を過ごしていたりした。
それから。僕はよく覚えている。
そっと部屋を覗き込むと誰もいなかった。
ソファーが相向かいで二脚。その真ん中にテーブルがある。そのテーブルに、ワイングラスが一つと葡萄酒が入ったボトルが一つ。
床にはお母さまが北の国の商人から買った、クリーム色の毛の長い絨毯が敷いてある。
その絨毯に、倒れたワイングラス、赤紫の葡萄酒。ゆっくりと、毒々しい色が絨毯を染めていく。
僕は声を上げようとした。お父様が攫われたと思ったからだ。
でも、できなかった。
小さな小部屋の扉が開いていた。
そして、ずる、ずる、と音がする。
最初は良く解らない。でも、段々解ると、恐ろしくなった。
お父様が倒れている。そして、小部屋の中に引きずり込まれている。
お父様は体格がいい。腰まである若緑の色の髪をいつも軽く一つに結わえている。僕を肩車してくれたりもした。
そのお父様が床に倒れている。意識がないみたいで、ぴくりとも動かない。もしかしたら死んでいるのかも。
そして、ずる、ずる、と。
僕は思った。
小部屋がお父様を食べている。
でも、お父様が全て小部屋に飲み込まれて姿が見えなくなってしまうと、人間の手が見えた。
そして、扉を閉めようと手を伸ばした時。
ふと、その手の持ち主は僕に気が付いたのだ。とても美しい人。まるで女の人みたいな、男の人。
彼は僕に手招きをした。僕が恐々と向かうと、見てごらん、と言う。
父が、寝ていた。
寝ていたのではない。意識が朦朧としていたのだ。
半目になって、こちらを見ているのに、そうではないのだ。
「麻酔を使ったのだよ」
そう、美しい人は言う。
父は、精悍な男だった。今でもそうだ。
彼の性質は、王と言うよりも戦士だ。
だから、家庭的ではなかった。僕が彼に肩車をしてくれたのは、一度だけだ。
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