第1話 降ってきた災難

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第1話 降ってきた災難

 机の上には書類の山。 思わずため息がもれる。 仕方が無い、今日は直属の上司から総務部長、支社長にまで呼び出され、再三説教を喰らっていたのだ。 とても仕事どころではなかった。 丸一日費やして、俺は無実の罪に弁解の余地も無く、ひたすら頭を下げていた。 あまりにも情けない。 仕事の遅れをどうやって取り戻すか考えながら、とりあえずパソコンのメールを開く。 「げ。」 一目でウィルスと分かる添付ファイルつきのメールやら正体不明の嫌がらせメールで受信ボックスは溢れんばかりだった。 (これ、全部社のやつから送られてきたものだよな…) そうとしか考えられない状況に、うんざりする。 当分俺は会社でさらし者だ。 誰が敵味方かも分からない。いや、味方はいないと見たほうがいいだろう。 はあ、とため息をついて机に突っ伏する。 周りの人間の視線を痛いほど感じる。 『あれ、やっぱり本当なのかな』 『人は見かけによらないって言うよなあ。後藤のやつ、あんな善良そうな顏して。』 『リカさん、可哀想〜。婚約破棄だってよ。』 誰か、俺に真実を語らせてくれ。 いや、語りたくても語れないんだけどさ。 落ち込んでいる暇は無い。 やばそうなメールを削除しなきゃ、それに今日の分の仕事。 失った信用は仕事で取り戻すしか無いだろう。 気を取り直してコーヒーでも飲もうと席を立つ。 俺が移動すると、みんな同じ空気を吸うのは嫌だと言わんばかりに、さっと避けていく。 しかし視線は注がれたままだ。 今日から俺は病原菌扱いだ。 ひそひそひそひそ。 特に女性社員からの視線が痛い。 昨日まではこの視線は友好的なものだった。 俺は針のむしろで、終電までひたすら仕事に没頭した。 「洋介、ねー、洋介ってばー、朝だよ、起きてよー」 甘えたように耳に絡み付いてくる、ハスキーな声。 「ねえ、洋介ー。腹減ったー。メシ−。メシ−。」 まだ窓の外はうす暗い。 「…お前な、いま何時だと思ってんだ?」 「えー、もう朝じゃん。俺、働いていま帰ってきたばかりで、くたくたなんだよね。何か食わせてよ。」 諸悪の根源、悪魔の手先を睨み付ける。 「あのな、俺だって毎日くたくたになるまで働いて、ゆうべは仕事を持ち帰って二時まで起きてたんだ。俺の安眠妨害するな!!」 「いいじゃん、どうせあと1時間もすれば起きて会社に行くんだから。早起きは三文の得って言うだろ。だいたい仕事で夜更かししたのってそっちの都合じゃん、時間内にテキパキ終わらせられない方が悪い。」 「誰のせいだと思ってるんだ?!お前のおかげで俺はえらい目にあったんだぞ。」 「誰ってー、あの女でしょ。」 「裕樹、あのな…。」 あまりにも悪びれない口調に呆れ返って、弟を見やる。 いや、かつて弟だった、というべきか。 ふんわりと顔の周りでカールした金髪。 ぽってりとピンク色に塗られた唇。 ブルゾンの下は、へその見える短いトップにレザーパンツ。 タンクトップのロゴを押し上げるようにまるく突き出た胸。そう、おっぱい。 「あの女が兄貴のことを信じなかったのが悪いんじゃん。ま、ホントのことが分かったとしても、変態の弟なんて嫌だろうから、結果は同じだったかもしれないけれど。」 俺は大きくため息をついた。 宇宙人と話したって仕方が無い。 無駄なことをするよりは、一分一秒でも寝ていたかった。 「メシぐらい自分で作れ。」 俺はそれだけ言うと、布団に潜り込んだ。  裕樹はそれ以上俺に絡むことなく、俺は睡眠を確保できた。 と思ったら甘かった。 俺は午前中いっぱい快く惰眠を貪り、会社に遅刻してしまったのだ。 俺は泣きたいような気分で出社し、再び呼び出され遅刻のお小言を喰らった。 目覚まし時計を止めたのも、御丁寧に自宅の電話やスマホの着信音を『消音』にセットしたのも、裕樹以外にあり得ない。 だが当然そんなこと弁解できるはずも無く、俺は解放されるとへなへなと自分の席に腰を下ろした。 おのれ、裕樹〜。 俺は心の中で呪詛を唱える。 全ての元凶、天使の皮をかぶった悪魔。 モト弟の裕樹。 思えば俺はいつもあいつに泣かされてきた。 あいつも可哀想な奴ではあったのだけれど。 俺たちの両親は、俺が高1の時に事故で亡くなった。 以来、俺は5つ年下の弟と肩を寄せ合って生きてきた。 なんて言うと聞こえは良いが、俺は実際、裕樹の面倒などこれっぽっちも見てやらなかったのである。 建て替えたばかりの家のローンで遺産はあっと言う間に飛んでいってしまった。 俺はアルバイトで生活費を稼ぐ傍ら、奨学金をもらえるように必死で勉学に勤しんだ。 掃除も洗濯も、家事は全てこなした。 疎遠な親戚に頼るよりも、自力で生活していくことを、裕樹も俺も望んだからだ。 『両親がいない』ということを言い訳に、引け目を感じたくなかったため、あるゆることに努力をした。 そうやって毎日必死だったわけだが、そのせいで心にゆとりが無かったのだろう。 両親の愛情に飢え、俺にも構ってもらえず寂しかったのか、いつの間にか裕樹はグレていた。 とは言え、それほど悪質な子供だったわけじゃない。 仲間とつるんで学校をサボったりすることはあっても、人を傷つけたりするような子では無かったし、俺の親友にも『根は素直な良い子だ』とかわいがられていた。 ようやく不良仲間と手を切り更正したと思っていたら、ある日突然性転換してしまった。 詳しくはよく分からないが、ホルモンの注射を受け、睾丸も取ってしまったらしい。(怖くてこの目で確かめたわけではない) 俺はつき合い始めたばかりの彼女に、『実はオカマの弟がいるんだ』と切り出せずにいた。 やがて彼女の両親にも紹介され、結婚の話も出始めたときに打ち明けるべきだったのだろう。 だが俺は弟の存在を上手く隠し通せるかもしれない、と甘い期待にすがってしまった。 というのも、裕樹が性転換したことで俺たち兄弟の間の溝は決定的なものとなり、彼は家を出ていってしまったのだ。 裕樹が懐いていた俺の親友から、たまに元気でやっているらしいと報告を受けることはあったものの、ずっと音信不通だったのだ。 まさかある日何の前触れも無く突然帰ってきて、彼女と鉢合わせすることになるとは、誰が予想できただろう? (親友の話によると、どうも裕樹は同棲相手に部屋を追い出されたらしい) いかにも水商売の女、という外見の裕樹に、彼女は当惑したことだろう。 こともあろうに裕樹は彼女に向かって、キャバクラでナンパされて以来3年間ずっとつき合っている、と嘯き、更に妊娠したので俺と別れて欲しい、とまで言ったらしいのだ。 本気にした彼女は俺に別れを叩き付け、彼女の両親が『騙された』と会社に押しかけてくる事態にまで発展してしまった。 というのも、彼女は会社の上司の姪でもあり、俺と彼女は結婚まで秒読みの、公認の仲だったのだ。 もちろん今さらあれはオカマの弟の冗談だ、などと言っても信じてもらえるわけもなく、当の裕樹に誤解を解くように頼んでも、『やなこった』の一点張りであった。  俺は『人当たりの良い働き者の後藤さん(はぁと)』から一転、『女を騙した悪い男』のレッテルを貼られてしまった。 当分誤解は解けそうに無い。 とにかく仕事で認めてもらうしか無いのだ。 俺は目下、周囲の冷ややかな視線や誹謗中傷を意識の外に追いやり、息をつく暇も無く仕事に没頭している。 仕事はえらいことになってるし、あの日以来家に居座っている裕樹に、日常生活も引っ掻き回されっぱなしだ。 あいつは家事の類いは一切やらないし、オカマバーで働いた給料も家に入れようとしない。 まるで戦場にいるような1週間だった。 この調子じゃ土日も出勤しないと、やはり遅れは取り戻せそうにない。 とりあえずそろそろ終電の時間だから切り上げるか、と重い腰をあげる。 と、その時スマホが着信を知らせた。 既に俺の他には人のいないオフィスに、間抜けな電子音がやけに響く。 液晶に表示された名前に、俺は慌てて通話ボタンを押した。 「もしもし。隆之?」 心無しか声が弾む。 『よお、洋介、久しぶり。元気か?』 こんな友好的に誰かに話し掛けられたのは、一体何日ぶりだろう。俺は涙が出そうになった 「たかゆき〜。俺、もうくたばりそう。」 思わず情けない声で電話の主にすがってしまった。
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