天才ヴァイオリニストの憂鬱

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天才ヴァイオリニストの憂鬱

  "天才"という言葉が嫌いだ。  勝手に評価されて、決めつけられて。  俺はただ、音楽が好きなだけなのに。  ※※※  地上では杖を持ってひと振りするだけで緑が芽生え、頭上では箒に(また)がり空を飛ぶ人々が毎日見られる。魔法が日常生活に深く食い込んでいる。そんな世界には当然、魔法を学ぶための学校がある。その名は「第三魔法学校」。  魔法学校は生徒の可能性を広げるため、学ぶ系統ごとにクラス分けがされている。  ここは音楽科。人々をおおいに癒やし、楽しませるための「音楽魔法」を学べる場所。 「ねぇ、あそこ! 噂の七海くんじゃない?」 「えっあのヴァイオリンの"天才"!?」  少年は足を止めると少女達をキッと睨む。  "天才"という言葉を向けられれば、この世界のだいたいの人間が賞賛されたと感じるだろう。賞賛されたら誰だって嬉しいし、満更でもないふうな態度をとる。  しかし、その少年にとって、その言葉をかけられるのは苦痛だった。  少年にはいつもそうだった。どこに行っても、どこまで行っても自分は"ヴァイオリンの天才"。演奏を聴いても、周りが褒めそやすから流れで褒めているだけ。本気で演奏なんか聴いちゃいない。  陰で悪口を言われているのだって少年、七海(ななみ)凪雄(なぎお)は知っていた。  どんなに練習をしたって、どんなに努力を重ねたって、彼は"天才"だから、演奏が上手いのは当たり前のことだと思われている。中には、練習をしてないだの、裏口入学しただのと巫山戯(ふざけ)たことを言う生徒もいた。 『彼は天才だから、あんなのできて当たり前』 『あの子は自分と違って天才だから、きっと凡人の気持ちなんて理解できない』 『天才は最初から持ってるものが豪華だから、楽でいいよな』  誰と話しても、誰と演奏しても(まと)わり付くその言葉。"天才"という言葉のせいで、努力は誰にも認められることはなく、周りからどんどん孤立していった。いつしかそれは呪いのように七海の精神を蝕み、塞ぎ込むようになっていく。  七海にとって、"天才"という言葉は賞賛ではなく、彼の音楽に対する情熱を否定する言葉になっていた。  やがて七海は周りの声や評価が頭からこびり付いて離れなくなり、耳を塞いで誰とも話さなくなった。周りは心配したような声をかけて来たが、それさえも白々しく聞こえ、無視を貫く。そうでもしなければ、自分のアイデンティティーを失ってしまいそうだった。 (小さい頃から弾くことが大好きだったヴァイオリン。俺の生きる理由はヴァイオリンしかない)  このまま他人の悪意ある声を聞き続ければ、自分が確実に音楽もヴァイオリンも嫌いになる。七海は本能で悟っていた。  音楽科に入って一ヶ月、授業は有意義だったが、それ以外が退屈でしかたない。  音楽科には授業があり、授業があれば当然試験がある。試験は筆記、実技の試験のふたつだ。七海の目下、悩んでいることは実技試験である。  実技試験は大衆のまえで課題曲を演奏するという内容だ。曲と楽器は自由に選択できるが、最低ふたりで挑まなければならない。そのせいで、どこにいても声をかけられる。おそらく演奏の上手い生徒と組んで、自分の評価を少しでも上げようと目論んでいるのだろう。  ――上手いやつと組んだら、そいつの演奏と比較されて自分の評価を落とされるとか考えないんだろうか。七海の最近よく思うことであった。  ――ああ、つまらない、下らない。  毎日いろいろな生徒に話しかけられ、練習する暇さえ無い日々が続き、七海は心底イラついていた。入学以来、ヘタクソな癖に口だけは達者な奴らが自分に群がる。自分は音楽に触れていたい、音を奏でたいだけなのに。  七海は他人に付きまとわれるのに疲れ、人気の無い場所を探す。無視をしているというのに、毎日毎日どこにいても群がる同級生。  少しでも人気のある場所でヴァイオリンを演奏すれば、さらに人が集まってきてしまうだろうことは予測できる。七海は自身のヴァイオリンの有名さを、(おご)りではなくきちんと理解していた。  そんな時、ふとピアノの音がどこからか聴こえてきた。七海のいるここは旧館で本館からはだいぶ離れており、滅多に人なんか来ないはずの場所だった。  七海はピアノの音に吸い寄せられるように歩き出す。魔法の乗せられてない、ふつうのピアノだ。音が所々跳ねて、テンポも雰囲気もてんでバラバラ。楽譜を丸無視した音だった。  廊下のいちばん奥の部屋、旧音楽室からピアノは聞こえていた。曲はきらきら星だが、聴けば聴くほどアレンジが効きすぎている。  部屋を覗くと、オレンジ髪の生徒がピアノを弾いていた。演奏は心底ヘタクソであったが、オレンジ髪の生徒が楽しそうにピアノを弾く姿を見て、七海は自然と部屋に足を踏み入れていた。 「おい、アレンジし過ぎだヘタクソ」 「うぇっ?」  青空の双眼がこちらを見抜く。少し釣り目の大きな目。ピアノに隠れて見えなかったが、一年生のローブを着ていることから、七海と同級生だということが伺える。 「お前、楽譜見てねぇな?」 「うっ…しょうがねぇじゃん。楽譜読むの苦手なんだよ…というか誰だよお前!!」  七海はオレンジ髪の生徒の反応に目を見開く。 「は、知らないのか?」 「知らねーよ! お前なんか初めて見たわ!」  ここに来てから、七海は自分のことを知らない生徒を初めて見た。この反応から、本当に七海のことを知らないことが事実と分かる。 「で、お前誰なんだよ。名前は?」 「七海凪雄。一年生だ」  七海が名を名乗ると、オレンジ髪の生徒は七海をしっかり視界に捉えた。 「七海な。私は夏那(なつな)向日葵(ひまわり)だ! 同級生だったんだな!」  そう言って彼女は眩しい笑顔を七海に向ける。七海がチラとピアノを見ると、何のメモ書きもない綺麗な楽譜が置いてあるのが見えた。 「お前、説明書とか読まないタイプだろ」 「なんでわかんの!?」 「楽譜、ここの所が跳ねすぎ。アレンジして盛り上げるならここらへんにしとけ」  七海は夏那の楽譜にペンで書き込んで、ハッとした。 (いつものクセで楽譜に書き込んじまった)  これをやって、指示するな、何様だと怒られたことが過去にあったのを、彼は忘れていた。  だが、夏那は感心したように頷くだけで、怒る素振りは無い。どうやら気にしてないようで、ほっとする。 「お前、ピアノ初心者か?」 「そーそー。だから練習してたんだ」  なるほど、と納得する。  だから「きらきら星」かと。   「この楽譜に書いた所を意識して弾いてみろ」 「わかった!」  夏那は楽譜をサッと見て、ピアノを弾き始めた。さっきよりはマシになったように思う。だけど、まだ全然ヘタクソだった。指の運びがたどたどしい。しかも、また勝手にアレンジを加えている。七海はしばらく黙って聴いていたが、とうとう我慢の限界がくる。 「ちょっと貸せ!!」 「のわっ!!」  七海は夏那を押しやり、ピアノを弾き始める。楽譜通りに、丁寧に、しかし自分らしく。 (ピアノを弾くのなんて、いつぶりだろう)  七海が周りから天才と呼ばれるころには、もうバイオリンしか弾いてなかった。鍵盤を指で弾くと、ハンマーが弦を弾く心地よい音が響く。よく調律された、良いピアノだ。  音が、きらきら光る。魔力が音に運ばれ、辺り一面に魔力が広がり満ちていく。七海が人の目を気にせず、好きに演奏したのは久しぶりの事だった。  ――楽しい。  七海の心の内はこの言葉で満たされていた。先程から感じていたイライラはいつの間にか消え去っていた。  曲を弾き終え、夏那の方を見る。目を見開き、唖然としている。  七海は思案する。こいつは自分のピアノをどう思っただろう。自慢していると感じただろうか。見下されていると、思っただろうかと。 (また、俺を"天才"と呼ぶのだろうか)  七海は他人の自分に対する評価や態度にすっかり弱気になっていた。特に、天才という言葉にコンプレックスを抱いている為、余計に賛美の言葉を聞くのにうんざりしていたのだ。しかし、その心配は杞憂に終わる。 「お前のピアノ、凄く綺麗だな!!」 「は?」  七海は言われた言葉に目を瞬く。 「素晴らしい」や「天才的だ」とはよく言われるが、「綺麗だ」なんて初めて言われたのだ。 「魔法が弾けてきらきらしてて、すげぇ綺麗だった! それに、あんな楽しそうにピアノ弾くやつ、この学校に来て初めて見たぞ!」 「……俺、そんなに楽しそうだったか?」 「おう!!」 「そうか」  こんな素直な感想、七海は久しぶりに聞いた。彼の演奏に賞賛の声を送ってくる人物は大抵、取り入ろうとしてくる嘘つきばっかりだった。でも、夏那のこの言葉は紛れもない純粋な賞賛だ。  ──こいつは俺を知らないから、素直な感想をくれる。 「……ピアノ、教えてやろうか?」 「えぇ!? いいの!?」 「ああ」 「やった!! じゃあ昼休みと放課後、ここ集合な」  そう言って手を差し伸べてくる。何故、ピアノを教えてやろうかなんて言ったのか。理由は自分でも分からない。だけど、七海はこれから先の事が少し楽しくなるような気がした。 「これから、よろしく」  彼は夏那の手をとった。
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