出会い

1/1
前へ
/64ページ
次へ

出会い

「モリー!お前、今月の売上、あとちょっとでケイさんに並ぶじゃん!すごーい」 久々にアフターなしで帰宅できるとのんびり事務所で煙草を吸っていた俺の背後から、伸びやかな声がかけられる。相変わらずの口癖に苦笑しつつ、「みてぇだな」と返せば、「うわ・・、なにその言い方。僻むぞ!」とわけのわからない言葉が戻ってくる。 「サク。お前だっていい感じで売上伸びてんじゃん。・・つーか、トータルで言ったら、俺よりずっとお前の方が稼いでんだろ?俺は夜だけ。お前は昼もがんばってんじゃん。・・・ほら、呼ばれてるぞ」 うー・・と何かまだ言い足りないというような顔でこっちを見ていた同僚は、指名のかかった声にパッと顔を上げ、短く返事をしてからもう一度俺に向き直り、「僻みパワーでがんばってくる!お疲れ!」と、明るく言って、言葉通りの元気な足取りでフロアへと向かって行った。 少し開いた扉の隙間から、サクちゃーん、と甲高い声が複数聞こえて来る。 ――――恵まれてるよな、俺。 大きく紫煙を吐き出して、俺は過去の自分を思い出し、あまりの情けなさに苦笑が漏れる。 “世間知らずのお坊ちゃま”――――そう呼ばれ続けた恥かしくも懐かしい日々から、すでに4年の月日が経っている。 人を顎で使うような生活しかしたことのなかった俺が、叱られ馬鹿にされ笑われながら裏方の仕事でこき使われるなんて、全くちっとも想像していなかったあの頃。 未成年だったからフロアに立つことはできなかった。ただひたすら床をピカピカに磨き上げ、椅子やソファの足の裏まで拭いて回り、トイレに這い蹲って塵の一つも残さず掃除する。それが俺に課せられた生きるための仕事。それでも腐らず続けてきたのは、同時期に働き始めたマチとサクがいたから。口は悪いけど面倒見のいいケイさんがいてくれたから。そして何より、どうしようもなく甘ちゃんだった俺をいつでも見守ってくれた伴さんがいたからだろう。 俺は4年という年月をかけて世の中の厳しさを知り、住む場所のある幸せ、職に就ける幸運さを知った。信頼できる仲間を得て、仲間から信頼され、背景の見えない<守屋俊太郎>というひとりの男を、特別視することなく受け入れてくれるこの環境で、未だ嘗てなく満たされ俺は生きている。 「――――お、モリ~、今日はもう上がりか?」 「おう。マチは?」 「今日は最後まで。―――――先週バタバタしちゃったからさ」 「・・・あー、引越しか。どうだ?新居」 「サイコー。もう最高なんだよ、モリ!桐がさあ、もうとんでもなく甲斐甲斐しく世話してくれんの」 「・・・ふーん」 「しかも!『蝶』辞めて、昼のバイト一本にしてくれたから、家に帰れば“おかえりなさい”って迎えてくれるんだぜ。――――やべぇ・・・俺ってば超シアワセ」 「・・・よかったな」 「え・・・、何その気持ちの入ってない返事。もっと食いついていろいろ聞けよ」 「・・・いや、いい。胸焼けしそうだし、お前の話」 「っんだよ。言わせろよ」 「遠慮する。―――つーか、俺帰る。オツカレ」 「誰も待ってない部屋にか?」 ――――余計なお世話だっつーの。 いらんことを言いやがる、幸せボケしているアホのケツを無言で蹴り上げ、俺は若干イラつき気味に裏口へと向かった。背後から文句を垂れる声が聞こえだけれどガン無視で外へと踏み出す。 いつも通り一旦外付けの階段を降り、それから同じ建物にあるマンションのエントランスへ向かっていると、『SILK』とビルに挟まれたごく狭い小道から、クーン、と明らかに犬が鼻を鳴らす音が聞こえた。マチに言われた“誰も待っていない”・・云々に触発されたわけではないが、元々生き物は嫌いじゃない。犬くらい部屋で飼うのも癒されるかも・・なんて考えながら俺は足を止め、肩の高さのブロック塀からチラリと小道を覗き込み――――そこに見えた現実に目を瞠り、絶句した。 「―――――このこ、ひろう?ぼくも、いっしょに、ひろう?」 5月になり、日中はだいぶ暖かくなったとはいえまだ夜は冷え込んでいる。しかも現在の時刻は午前1時。胸元の肌蹴たシャツの隙間から肌を撫でる夜の風はなかなか冷たく、立ち止まっているとあっという間に体温が奪われてしまいそうだ。――――――なのに。 「―――おま・・・、なんつーカッコしてんだよ」 塀越しに見つけた大きめの段ボール箱の中にいたのは、黒と白の斑模様の小さな犬と、・・・襟ぐりの大きく開いたTシャツに女物っぽいショートパンツ、そして足元は裸足という寒々しい格好をした、異様に痩せっぽっちのガキだった。 「なんつうかっこ?」 初めて聞く言語をそのまま繰り返すような言い方でガキはこてん、と首を傾げる。 気が動転していたのか、無意識下で何か思う所があったのか・・・自分でもよくわからないのだけれど、俺は着ていた上着を脱ぎながら犬とガキの所へ駆け寄って、思った通り冷え切っていた小さな体を上着で包み込み、犬と一緒に抱えて大急ぎで部屋まで戻った。 ―――――その1時間後。人通りのない小道に残された不自然な段ボールと、その中に置かれていた走り書きのメモを『SILK』のマスターが見つけ、ちょっとした騒ぎになっていたことを、俺は翌朝になってから知ることとなる。 “――――この子を、救ってください。” “――――この子を、愛してください。” “――――美しく弱いこの子を・・・珀を、どうか、生かして下さい。”
/64ページ

最初のコメントを投稿しよう!

99人が本棚に入れています
本棚に追加