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プロローグ
俺は・・・普通に生きたいと願っていた。特別扱いなんてしてほしくない。奇異の目を向けられたくない。―――――他人からだけでなく、身内にだって。
俺を特別視せず、守屋俊太郎というひとりの人間として受け入れてくれる、そんな世界が欲しかった。
当て所もなく家を出て、俺を知らない街を彷徨い、その日知り合った見ず知らずの女や・・時には男と一夜を共にし、俺を必要としてくれる人間を無作為に探し続けた。・・・が、そもそも俺自身、望んでいるほどの熱を持ち切れていなかったのだろう。そんな状態で見つけることなんてできるはずもなく。
無駄に精神をすり減らし続ける日々を半年ほど過ごし、終着点の見えない毎日に疲弊し始めた頃、逃げ切ったと思い込んでいた息苦しい“家”からタイミングを見計らったかのように迎えが現れ。――――結局俺は、“家”の長の掌の上で、仮初の自由を味わったつもりでいただけだったのだ。今でもあの瞬間を思い出しただけであまりの滑稽さにげんなりしてしまう。
ああ、このまま俺は、“家”の言うなりになって、ごく普通に生きるという道を閉ざされてしまうんだな、と言い様のない絶望感に苛まれた。――――――しかし。
“お前か?我儘で贅沢な反抗期のお坊ちゃんってのは。”
そう小バカにしたような口調で俺の前に立ったその男は、明らかに普通からはかけ離れた闇の雰囲気を持っていた。けれど、俺の知っている“家”の者とはどことなく違ってもいた。
“―――あんた、誰だよ”―――そう聞いた俺を呆れた様に見下ろして、後ろに控える俺の知っている“家”の者に、“コレ、本当に俺がもらっていいの?躾け甲斐はありそうだけど・・、何かすげぇひ弱そう。3日で、お家に帰る~・・って、泣くんじゃねぇ?”なんて、鼻で哂いながらそう言った。
見かけだけならひ弱そうにはとても見えない俺をつかまえ、なんてことを言いやがるんだ。確かにその男よりは多少体格は劣るが、一般男性の標準はゆうに越えている。それに俺は弱くなんてない。自分の身を守れる以上―――人にかなりのダメージを負わせるだけの武術の嗜みがある。
そんな俺に向かって何なんだよこいつ、といきり立ち一歩踏み出した俺に気付き、ニヤッと人の悪そうな笑みを浮かべると、
“――俺は響尾伴。たった今からお前のお守り役だ。世間知らずのお坊ちゃんにイチから常識を叩っ込む大事な役目を仰せつかった。――――安心しろ。お前の憧れる『普通の生活』、骨の髄まで堪能させてやるよ。よろしくな、俊太郎。”
何が何だかわからないまま、俺は響尾伴と名乗ったいけ好かない男に引き摺られるようにして車に乗せられ、そのまま繁華街の中にある古びたマンションの一室に押し込められた。
6畳一間に梱包されたままの布団一式とたった3段のプラスチック製収納ボックスしかない、怖ろしく味気ない、寒々しい部屋。
“今からここがお前の部屋だ”
“・・・冗談だろ?――あ、金か?金ならあるからもっといい部屋に・・・”
“ほう。・・・それは、てめぇが汗水流して稼いだ金か?”
“・・・”
“イイコトを教えてやるよ。お前は恵まれすぎて知らなかっただろうからな。――――言ってみりゃ、お前は今、無一文みてぇなもんだ。自分で金を稼いだこともない。苦労のくの字も知らない。正真正銘、生粋のお坊ちゃまだ。お前の言う『普通』の世界ではなァ、無一文のヤツはこんな部屋にだって住むことは出来ねぇんだよ。雨風凌げるだけありがたいと思え。この世間知らずが。”
ちくしょう、――と思っても口にはできなかった。悔しいけど、言われたことに反抗するだけの知識も知恵もあの頃の俺にはなかったし、目の前の偉そうに俺を見下すその男に勝てる要素を見出せなかった。
ぐっ、と口を噤んだ俺を面白そうに眺めつつ、男は言った。
“身分証になるもの以外、全部没収だ。このまま逃げられたら俺の面目丸つぶれだしな。―――で。今から、お前を店に連れて行く。しっかり働けよ?”
“・・店って、何だよ”
“気になるか?―――そうだな、一言で言えば接客業。世間一般では、手っ取り早く稼ぐにはこれ、みてぇなイメージがあるんじゃねぇの?・・・つーか、その筋のことなら、お前の方がよく知ってるだろ?”
ぼやかすようなその口ぶりに、俺は悔しくも慄きを隠しきれなかった。
『その筋』とか『てっとり早く稼ぐ』とか、その手の『接客業』は思い当たりすぎてゾッとした。
それって所謂・・・。
“―――ま、いくら顔が良くても、おまえみたいなでけぇナリの野郎じゃ『アッチ』の仕事は客付かないだろうからな。せいぜい金と時間に余裕があって、愛情に飢えまくってる世の女性たちからお零れちょーだい、するんだな。”
“・・・って、ホストかよッ!”
“そーだけど?・・・なに?お前、不満なわけ?俺の店、結構人気あるぞ?”
“アンタ、んな怖ぇ顔してホストとかしてるの?”
“俺はホストなんてしたことない。経営が本業だからな。―――けど、少なくとも今のお前よりはずっとウマくできるね。”
“経営って・・・。あんた、オーナーなわけ?”
“ああ。――――ちなみに、お前の貰ってた『お小遣い』、間違いなく俺の店からのアガリ、混じってるだろうな。”
“・・・“家”で持ってる店なのか?”
“いーや。俺の店だ。――――でも、そうだな・・・、元手は、お前の“家”からだろうな。・・ああ、言っておくが、俺は堅気だぞ?”
“――――でも、繋がりは残ってる・・。やっぱりあんた、普通じゃないじゃん。”
“そうか?俺はいたって普通のつもりだぞ。―――――ま、人にどう思われようと気にならんけどな。”
とりあえずお前は下っ端のまた下っ端からスタートだ。と小バカにしたようなあの笑みを浮かべ、収納ボックスの中のジャージを投げ寄越し、さっさと着替えてついて来い、と煙草を銜えて顎をしゃくった。
ヨレヨレのジャージを着て俺が足を踏み入れた場所。
そこは、酒と香水と煙草の匂いが充満したままの、閉店後の静まり返ったホストクラブ『響』だった。
身包み剥がされたような状態で、俺はその流れに抗えないまま、『普通』よりどうやら少し恵まれた環境の中、新たな生活が幕を開けたらしい。
俺が捜し求めていた、俺を受け入れてくれる世界となる、この場所から。
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