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ハグ
「――――5月、3日・・・って、はく、お前、今日が誕生日か?」
「ごがつ、さん。それ、きょう?じゃ、ぼく、Seventeen」
「・・・は?」
は?セブンティーン・・・だと?
あまりの衝撃に祝う言葉をかけるのも忘れ唖然としてはくを見つめる。
この、ちっせぇ体で?その、幼い顔つきで?7歳・・・は言い過ぎかもしれないが、せいぜい小学校の高学年程度の発育状態にしか見えないぞ。17歳なんて・・・ちょっと俄かには信じられない。
「――はく、学校は?」
「にほんの、いかない。でも、Middle School、いった」
「日本に来たのは、いつだ?」
「Fifteen」
―――2年前までは、外国で暮らしてたってことか。
「じゃあ、日本ではばあさんと暮らしてたのか?」
「んー・・・さいしょ、ばば、いた。でも、あー・・・move・・サヨナラね、した」
昆布の佃煮のおにぎりを皿に乗せ、「食っていいぞ」とテーブルの前に大人しく座っていたはくに渡すと、嬉しそうに手を伸ばしむしゃむしゃと口を動かす。
「しょっぱくて、あまい。おいしいね」と、満足気にそう言って、はくは俺に満面の笑みを向けて寄越す。俺が今まで出会ったことのない、邪気のない無垢な笑みだった。
「――――はく、ばあさんの家に行く道、知ってるか?」
「しらない。いつも、にぃにきて、ねてるあいだ、つく」
・・・また新たな人物登場だ。にぃに。―――まぁ、男だろうな。ばばはばあさん、かかは母親、だったら父親は“ちち”か“とと”だろう。だったら“にぃに”は?母親の兄弟か、まさか、はくの兄貴?―――わからないが、車の運転ができるくらいの年齢ではあるのだろう。はくの兄貴でも、何ら不思議はないのだが、何か釈然としない。おぼろげに背景が見えるようで、実は何一つはっきりしていないのだ。
犬に薄めた牛乳を与え、はくの前に温かい烏龍茶を置く。
「まだ熱いから、少し冷ましてから飲めよ」
「うん。ね、なまえ、なに?」
ぴん、と人差し指を鼻先に向けられ、期待に満ちた瞳で見つめられる。
そういえば、自分の名前はまだ告げていなかったなと今さらながら気づき、俺は苦笑を浮かべ答えた。
「俺は、守屋俊太郎」
「もりや・・、しゅ・・たろ?」
「長ぇからな。―――モリでもシュンでも、はくの呼びやすい名前でいいよ」
「しゅん?」
「ああ、それでいい」
「ふふ。しゅん、おにぎり、おいし」
「ああ・・・いっぱい食えよ」
不思議な気分だった。
22年の人生の中で、ガキを可愛いと思ったことなんて一度もなかった。・・・というより、その存在を目にする機会などほとんどありえなかった。
俺がガキの頃でさえ、特殊すぎる“家”の看板に恐れを為して、友達なんて言うステキな存在は皆無だったし、“家”にいる人間は、ガキとは無縁のむさ苦しい連中ばかりだったし・・・いずれ、まともな子供時代を過ごしていない俺にとって、ガキって言う生き物は、地球外生物とイコールの存在だった。
それにのに、今俺は、その不思議な生き物を手にしてしまった。しかも、確実に愛着を持っている。――――掛け値なしに可愛いと思ってしまったし、目を逸らせない庇護欲も芽生えてしまった。
はくを、俺が守ってやりたい。
この無垢な笑顔を消したくない。
――――このまま、誰の目にも触れさせず、俺だけのものにしてしまいたい。
そんな、狂気めいた感情を、俺ははっきりと自覚してしまった。
小さな唇の端についた白い米粒を指先で取り、それをはくの口の中に指ごと入れてみる。
ふふ、と擽ったそうに目を細め、ぺろりと舌先で絡められた瞬間、俺の体の奥に明らかな熱が灯った。ぽわんとした目で俺を見続けるはくから視線を逸らさず、俺はその距離を縮め・・・、指に吸いつくように窄められた唇と感触に、瞼の奥で何かが弾けた。
ハッと気付いた時、俺は、両手を米粒だらけにしている華奢な躰を腕の中に閉じ込めていた。
「――しゅん?ハグ?」
「・・・」
「かなしい?さむい?」
「・・・」
「しゅん・・・?」
はくは、誰かからこうして抱きしめられたことがあるのだろう。それは、悲しい時や、寒い時、縋るように抱きしめられたのではないだろうか。まるで慰めるように、宥めるように、はくの小さな手が俺の背を優しく撫でて、「だいじょぶ、かなしく、ない」と優しく囁く。
何の計算も下心もない、純粋な情が、その掌にはあった。深い、慈しみの感情が、溢れている様だった。
それに比べて俺のこのどす黒い感情は何だ?
独り占めしたいんだ。はくを。誰にも知られたくない。この美しい子を、自分だけのものにしたい。
なんて汚い感情だろう。なんて不純で醜い情だろう。
それでも。それでも俺は・・・・・・。
着地点のない思いに堕ちかける俺を現実に引き戻したのは、けたたましく鳴り響く呼び鈴の音だった。
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