いい女

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いい女

 お皿が、一まい……    お皿が、二まい……  お皿が、三まい……  お皿が()まい……  おしまい。  なーんてね、うふっ♡  お皿が、一まい……    お皿が、二まい……    お皿が、三まい……  お皿が、四まい……  お皿が、五まい……  “5 5 1.5”の肉まん、美味しいのよね。うふっ♡  お皿が、一まい……    お皿が、二まい……    お皿が、三まい……  お皿が、四まい……  お皿が、五まい……  お皿が、六まい……  お皿が、七まい……    ラッキーセブンスターね。ふぅ……  お皿が、八まい……  お皿が、九まい……  あら嫌だ。一枚足りないじゃないの。  女の色っぽい声に、タクヤははっとして目を覚ました。おまけにこのフレーズは、どこかで聞いた覚えがあるとも考えた。 「もしや、あの声の主は、まさかご主人の……、」  自分の立てた小指にタクヤは鼻の下を伸ばしている。声の主が気になって仕方がなくなった。   「あの、すんません! ちょっといいですか?」  タクヤはのれんに向かって呼びかけた。 「あい」  奥から顔を出したのは、皿を手にした和服美人。 「こりゃ、たまげた」  あまりの器量の良さに、タクヤは口をあんぐり開け、ぽっと頬を染めた。 「まぁお客様。失礼しました。わたくし、てっきりゲンさんが帰ってきたのかと思いまして」 「あんた、ここの従業員? それとも……ご主人のオ ン ナ……?」  なんともいえない羨ましさから、最後は声にならなかった。 「お菊と申します」  お菊ははんなりとお辞儀をする。 「わたしは、裏野タクヤといいます。いや、もうかれこれ十年ほどここに寄せてもらっています。ですが、ご主人にこないな綺麗な嫁さんがいはったとは……、っていうか……」 「まぁゲンさんの? でも残念ながら嫁ではないんですのよ」 「ほんまにぃ?」 「ええ」  タクヤは小さく親指を立てて“YES”と呟いた。 「あの! タクと呼んでください」 「タクさんよろしゅうお見知りおきを。ーーそうそう、ゲンさんなのですが、店のワサビを切らしましてね、知り合いの料亭まで借りに出ているんです。戻ってくるまで、私のお酌で我慢なさってくださいましね」 「この際、ご主人なんか、戻ってこなくてもええわいな」  バッチリ目を覚ましたタクヤは、お菊から酌をしてもらうのだった。 「お菊さんは、その……お住まいはどちらに?」 「普段は姫路城の井戸の中におります」 「姫路城の井戸とな?」 「はい」  なんでも緊急事態宣言により、姫路城が閉場しているため、遠縁の子孫にあたる店主のところへ頼ってきたのだという。 「江戸のころより人気の演目、播州皿屋敷ショーができないものですから、こちらのお店でご厄介になっております。でも、つい癖で、十枚目の皿を探してしまうんですのよね」 「播州皿屋敷ショー? って、もしや、本物のお菊さん?」 「へぇ……」  お菊はにかみながら頬染めた。  確かに目の前にいる女人は、足音も立てずに、板場をすーっと移動しいている。こんな美人と一緒にいられるなら、もう一度死んでもかまわないとタクヤは思った。  因みに、播州皿屋敷ショーとは、落語『皿屋敷』のもっとも有名なシーンである。  ある日、皿を数える幽霊の噂を訊きつけた若者が、お菊の幽霊を見に行こうとする。町人から、お菊が九枚まで皿を重ねてしまうと、祟りにより死ぬと云われ、六枚で帰れと教えられる。毎夜毎夜見に行くうちにお菊の美しさが評判となり、やがて興行主が現れ、お菊の小屋は大盛況。  ある晩、お菊が六枚まで数えたとき、それ帰れとばかりに客たちが出口に殺到する。押し合っているから出るに出られない。皿の数は重なり九枚目となり、あわや絶体絶命という事態に陥る。ところが、どういうわけかお菊は快調に十八枚まで数えるのだった。  それを訊いた客の一人が怒って「九枚目で死ぬはずだったのに、なぜ十八枚までかぞえるんだ」と、クレームをつけると、お菊は「今夜は、二日分のショーを演じて、明日はお休み」と、言ったとか。 「そういや、お菊さん。あんたが、九枚目の皿まで数えていましたのを、わたしはここにおって聞いておりましたのや。でも、“僕は死にましぇーん”てな具合に、ぴんぴんしております。これは、どないなわけでしょうかね?」 「それは、そうです。だって、タクさんは一度死んでいるんじゃないですか。すでにはあの世の方ですわ」 「ほう、なるほど」  すぐにっとするのはそのせいだったのかもしれないと、タクヤは納得するのだった。 「タクさんもう一献いかがです?」 「いただきやす……」     美女と酒に酔ったタクヤは、饒舌になりながら横田のばあさんの一億円ものへそくりの裏話を訊かせた。(※詳しくは四十九日の裏話を参照)お菊は面白そうに「へぇ」「まぁ」などと相槌(あいづち)を打つ。そこに邪魔するように一本の電話が鳴った。 「もしやゲンさんかもしれないわ」そう言って、お菊さんはすっとのれんの奥へとひっこんだ。  タクヤは電話口の声に聴き惚れながらとやっている。 「ほんまええ女や。早ようお迎えがこないやろうか。それとも、もう一度マンホールに落ちたろか」  そんなことを考えていると、脳裏に鬼嫁の顔がぽっと浮かんだ。 「家に帰れば眉間にしわが寄りっぱなしの古女房がおる。のれんの向こうにいるお菊は心優しく絶世の美女ときている。あないな恐ろしい嫁のいるところなんぞ、帰れるかいな」タクヤはそう呟くのだった。
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