半身

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半身

『女の幽霊なんぞにうつつをぬかすとは、まったくもって呆れた男だ』  不意に野太い声が話しかけてきた。驚いたタクヤは辺りをキョロキョロ見回すも、声の主は見当たらない。空耳かと思い、ふたたびとやる。 『おい、なんとか言えよ』と、またしても声がする。  どうやら幻聴ではないらしい。 「声はすれども姿は視えませんが、もしやおたく様も幽霊でおまっしゃろうか……?」  タクヤは恐る恐る尋ねた。 『ちゃう、けども半分なりかけとるわ』 「半分は生きている。半分は死んでいる。わしと同じですな」  酔いが回ったかタクヤは呂律(ろれつ)が回っていなかった。 『とにかく、こっちや、こっち』 「はて、どっち?」 『せやから、こっちやって!』  イラついた声はどうやらカウンターの裏側にある板場から聞こえてきているようだ。タクヤは身を乗り出して覗いてみる。すると、まな板の上に包丁が刺さったままのグロテスクな魚が、胴体を三枚おろしにされた半身の状態で横たわっていた。 「けったいな姿のオコゼやないか!」 『頼むから、この、中途半端な状態をなんとかしてくれ』  オコゼはゼラチン質の唇をパクパク、目玉をキュロキョロと動かして訴えかけた。 「なんとかしてくれって言われても、ご主人はワサビを取りにいってますやろう」 『なんでもええから、とりあえず、こいつを抜いてくれ』  ぎょろりとした目は自分に刺さった包丁を指した。 「抜くってあんた、抜いて血でもドバって出てきたらどうします?」 『血なんかあらへんがな、ごしょうだから抜いておくんなまし』 「おくんなましっていわれてもね……」  半身の状態あるオコゼがなんとも気の毒になったタクヤは、腕を伸ばし刺身包丁を掴むなりグイッと抜いた。 「ほれ、抜きましたがな、これでどうでっしゃろ。ーーそれで、あんたさんは、これからどうします?」 『どうしますも、こうしますも、ここまできたらどうしようもない。骨も抜かれた身で、海に戻って泳ぐわけにもいかないやろう。せやから抜いた包丁で、ひとおもいにブスリとてくれ』 「えぇーっ! やるって、あんた、ヤモリを見殺にしたばかりのあたしに、今度はオコゼのあんたをというのですかい?」 『考えてみ、ここまできて、誰の役にも立てないで果てるより、旨いと言われてあの世にいける方がましや。いっそうのこと、あんたがワシを食ってくれ』 「いやいや、流石にそれはちょっとできかねます」  タクヤがそう言うと、オコゼは長い溜息を漏らした。 『ほんなら、ここで長い時間かかって、あんたに見守られながらじっくり死んでゆくわけですか。あんたもそこそこサイコパスなお人や』 「それは、ここのご主人も同じですわ。そもそも、オコゼのあんたを三枚おろしの半身にした状態で店を飛び出したんですからね」  そんな押し問答が続き、結局タクヤがオコゼを刺身にする事態となった。 「ほないきまっせ」 『いたたたた!』 「痛い?」 『もう少し、すっと引きなはれ』 「ほんなら、いきまっせ」 『いたたたた! あんた痛いがな。もっと上手に切りなはれ』 「そないに痛がったら、やりにくいわ」 『だから、包丁は押すんじゃなく引きなはれ』 「こうでっか?」 『ちゃいますがな、この下手くそ! わしの身がぼろぼろやんけ』 「そないなこと言われてもね、包丁なんぞ握ったこともないわけだから、そないに文句を言うならやめます」 『悪かった、悪かった!ぼろぼろでもええから、食ってみてくれ』 「食ってといわれましてもね、もうなんだか、その、見ているだけで腹がいっぱいというか、正直なところ、食欲がなくなりました」 「あぁ……わしは何のためにこないな姿になってしもうたんや」  あまりにオコゼが嘆くものだから、根負けしたタクヤは一切れ口にしてみた。 『どうや? 旨いか?』 「ええ、そうですね……、きっとワサビがあったら、もっと旨いでしょうね」    
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