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シャルラッハにおけるミアーハの扱いは、敗戦国の王女に対して、にしては上々すぎるものであった。王妃の部屋があてがわれ、侍女がかしずき、茶菓子、シャルラッハの歴史書から哲学書、娯楽の楽器、求める物が全て用意される。必ず警護の兵がつくものの、部屋の外を出歩く事も禁じられない。黒曜石で防衛を目的に入り組んで造られたシャルラッハの城内を、思う存分探索する事が出来た。
その際、ミアーハの服装は、フェイオンの王侯貴族が着るような、布をたっぷり使ったドレスではなく、絹のシャツに黒いベストとスラックスという、シャルラッハの男性の格好をしていた。
「ミアーハ王女は奥ゆかしい性格だと噂されていたが、思いの外行動派のようだ」
「あれだけ美しい顔をしているのに、体形が惜しい」
城内でミアーハを見かける兵士達は、好き勝手にそう囁き交わしたものだが、王女に仕える侍女や守役の兵士といった少人数だけは、ミアーハに隠された秘密を知っていた。
ある日の湯浴みの後。
ミアーハは、裾の長いドレスを着せられ、鏡の前で黒髪を盛るように結い上げて、金のサークレットを額に渡される。首からは、丁寧に磨き上げられた大粒のルビーを抱くネックレスがさげられた。
用意されたヒールの高い靴に己の足を合わせる。フェイオンの姫として振る舞っていた時、女性の履物も履いていた事がある。そのまま背筋を伸ばしてすらりと立つ事は、しっかりと身に染みついて苦ではなかった。
侍女に案内されて通された先は、王族の食堂だった。
「来たか」
上座にいるディアン王が、褐色の肌とは対照的な白い歯を見せて笑う。
「そこに座れ」
王の指し示すまま、彼の向かいに座すると、給仕が手早く料理を運んで来る。
海に面したシャルラッハらしく、帆立の貝柱のカルパッチョに、あさりを惜しげなく投入したクラムチャウダー、白ワインソースをかけた白身魚のソテー。魚介類づくしだ。
「口に合うかは知らんがな」
ディアンはそう言ってまた白い歯を見せると、早速料理に手を伸ばす。ミアーハもナイフとフォークを手に取ると、帆立を食べやすい大きさに切って、口に運ぶ。途端、甘酸っぱい味つけを施された、とろけるような舌触りが口内に広がり、えもいわれぬ美味に、目を白黒させる羽目になった。
クラムチャウダーは身を温め、ソテーも魚の身とソースが絡み合って、絶妙な味加減であった。
「シャルラッハの食事はお前の気に食わぬかと思って、控えさせていたが」
すっかり満たされて、オレンジとクリームを挟んだミルフィユも美味しくいただいていると、ディアンが満足げに呟いた。
「これなら、部屋で一人侘しい思いをさせずとも、俺と共に食事を取る事も可能だな」
ミアーハが王の意外な気遣いにきょとんとしている間に、彼は手元にあった、水の入ったグラスをあおると、静かにそれを置き、卓の上に肘をついて、組んだ手に顎を乗せ、
「聡明なミアーハ王女に訊きたい」
と話の口火を切った。
「ある集落が、今年の麦を差し出す事を渋ってきた。思ったような収穫が出来なかったというのが奴らの理由だ。例年通りの貢租を出させるには、どうすれば良い」
デザートを食する手を止め、ミアーハは考える。ディアンは自分を試しているのだ。「俺の隣にいて、俺を助けてみせろ」という、最初の宣告通りに。
ここで愚劣な答えを返せば、彼を失望させる。いや、「フェイオンの姫は役立たず」と、首を落とされても文句を言えないだろう。しばし考え、ミアーハは口を開いた。
「その集落には、兵役を課していますでしょうか」
「無論だ。シャルラッハの男は雄々しく戦うのが常だからな」
「では、麦の納める量を減らす代わりに、向こう一年の兵役に就く者を増やすのはいかがでしょう。毎年男手を取られてはその集落も困りますでしょうから、麦の穫れた年には兵役を減らして麦の量を増やす、といった具合に、一定の上限を設けて、その中でつり合いを取ればよろしいかと思います」
その答えを聞いて、ディアンは目を丸くしてミアーハを見つめた。
「成程」
面白い、とばかりに平手で膝を叩いて王は笑い、そうして、更に身を乗り出して来た。
「ではこれはどうだ。キャルライン特産の織物を、女手が足りぬから差し出す量を減らせと言われた」
ミアーハは思考を巡らせ、キャルライン地方の絹糸を用いた織物の話が本に出て来たのを思い出す。女衆が糸を染め一枚一枚丹念に織り上げた布は、模様が同じ物が決して無く、シャルラッハ特産物のひとつになっていると。同時に、若い娘が地方を出て都会に行ってしまうので、後継に悩んでいるとも。
今まで得た知識を総動員して、ミアーハは答えを導き出した。
「女性のみに課すから人手が足りなくなるのでありましょう。伝統にこだわる事無く、手先が器用ならば、若い男性にも技術を伝える事を考えてみても良いのではないでしょうか」
興味深そうに笑みを浮かべるディアンの瞳をまっすぐに見つめて、「それに」とミアーハは語を継いだ。
「キャルラインは金飴林檎の産地でもあります」
金飴林檎は、名前通り艶々の黄色をした林檎である。日持ちが大変良く、甘い蜜を含有する量は他の林檎の追随を許さない。そちらの納める量を増やし、他国に輸出すれば、織物と同等の収入を得られるだろう。
ミアーハの言葉に、ディアンは虚を衝かれたようにぽかんと口を開け、それから、感服した様子で頭を振りながら笑みを洩らした。
「さすがだな。ここに来てからの知識も活かしたか。男女どちらの目線にも立てるし、お前は底が知れぬ」
そうして王は、最後に運ばれて来たレモングラスの茶を一気に飲み干すと、音を立ててカップをソーサーに置き、ミアーハを指差して来る。
「お前、これからは俺の執務に付き合え。俺は政治が苦手だが、お前の意見を聞けば、新しい目が開きそうだ」
王子として役に立たぬと放っておかれた自分が、人に必要とされた。その嬉しさがミアーハの心に大波として訪れ、彼は満面の笑みで「はい!」とうなずいてみせるのだった。
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