とりかえばやのその先に

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 一つの小国が、隣国に攻め込まれた。  隣国は銃火器をもって、小国の騎馬兵団を次々と撃ち倒し、圧倒してゆく。  小国の王都まで敵が迫った時、国王の双子の王女と王子の内、弟王子は、残る精鋭兵を率いて隣国兵を迎え討ったが、凶弾に顔を撃ち抜かれあっけなく落馬した。  最後の砦を失った王都は隣国兵に蹂躙され、王の首は謁見の間の床に落ち、その背後にいた姉姫は、隣国の王への土産として虜囚となった。  敗戦国の王族の生殺与奪は、勝利国の主の思いのまま。よくある話だ。  その身をどうするかも。  身体が沈むほど柔らかいベッドに抑え込まれたミアーハは、琥珀色の瞳で、自分の上に覆いかぶさる征服者の顔を見つめた。  日に焼けた肌は褐色、高い位置で束ねた黄金の髪は獅子のように跳ね、獲物を狙う肉食獣のごとくぎらついた瞳の色は濃紫。男にしては細めの眉からすらりと流れる鼻梁の線は美しく、非常に均整の取れた顔をしている。  それが今、ミアーハを征服しようとしている隣国シャルラッハの王、ディアンの容姿であった。 「俺を前にして恐れを見せぬか」低いながらも艶を持った声が耳朶を震わせる。「あの小心な王の娘にしては、肝の据わった女だ」  恐れる必要など無い。どうせこの男に自分を征服する事は出来ない。  何故なら。 「しかし、命乞い一つしないとは、可愛げが無いぞ。媚びでも罵倒でも、何か言ってみせたらどうだ」  それを聞いて、ミアーハはすっと目を細め、薄い唇で三日月の弧を作ると、シャルラッハに連れて来られてから初めて、口を開いた。 「妻となる価値も無い『王女』に、何の意味がありましょうか」  それを聞いて、ディアンの翠の瞳が驚きに見開かれる。対してミアーハは、してやったりとばかりに笑みを深くする。  今、ミアーハの口から紡ぎ出されたのは、ディアンよりは高いが、決して女性には持ち得ぬ、男声。 「お前」  ディアンがしばしあっけに取られた後、慌ててミアーハの身体をまさぐる。たっぷりと生地を使った故国フェイオンのドレスに隠されて、ここまでの道程でシャルラッハ兵の誰も気づかなかった真実を悟り、相手が絶句するのを、ミアーハは胸のすく思いで見すえていた。  王子アミッドと、双子の姉ミアーハは、赤ん坊の頃からまるで男女正反対のような性格をしていた。  姉が乳母の乳を求めてぎゃんぎゃん泣きわめく間も、弟は呑気にすうすう寝息を立て。走り回れるようになってからは、走って転んでは膝をすりむき、木登りから落ちてあざを作っては周囲をひやひやさせる姉に対し、弟は木陰で静かに本を広げて、一心に読みふけって。姉弟に剣術や馬術を教えるに至った時も、より熱心に師に食らいついたのは、王女の方だった。 『姫様はあんなにお転婆なのに、殿下の大人しさといったら』 『いっそ性別をお取り替えしたら良かったのにねえ』  侍女達は陰に陽に噂して、兵士達の人気も、頼りない王子より勇ましい王女に集まった。  それを憂いた父王は、遂に決断した。ある日、姉弟を執務室に呼び出し、 『そなたら、入れ替われ』  と告げたのである。 『相応しい者が相応しい位置にいた方が、フェイオンの為だ』  その鶴の一声で、アミッドとミアーハは、名前ごと立場を入れ替わった。勇ましく剣を振るう『王子』アミッドと、深窓の『王女』ミアーハの誕生であった。 「面白い」  ミアーハを組み伏せた体勢のまま、シャルラッハの王は、しかし八重歯を見せて笑ってみせるのだ。 「フェイオンのミアーハ王女は大人しいが勤勉と聞いた。俺は子を残す事に興味は無い。お前は」  そうして、ミアーハの耳元に唇を寄せて、誘惑するように囁いた。 「偽りの妻で構わん。俺の隣にいて、俺を助けてみせろ」  ミアーハの心臓が、どくん、と大きく脈打つ。貞操の危機を感じたからではない。一人の人間として求められた。今までに無かった経験が、彼に昂揚感をもたらしていた。
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