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文化祭当日。
上演は上手くいった。
遥香のベルはチャーミングで舞台に登場するだけで視線を集めた。
楓汰の野獣はコミカルで、狙い通りの笑いを起こし、舞台に熱を与えた。
愛を伝え合う舞踏会のシーンは、二人の綺麗なハーモニーに重なり合うように、二人の心が重なった様に見えた。
今までで一番の演技で、舞台は終わった。
舞台袖から見ていても、観客の感動が伝わってきて、「頑張ってきてよかった。」と心から思った。
上演直後、遥香と楓汰が暗転した舞台から袖に下がってきたのは、背景画に隠れた私の目の前だった。
舞台袖に下がると、二人が囁くように話している声が聞こえた。
「遥香、ありがとう。凄く良かった。」
「ううん。楓汰君が私を引き出してくれたおかげ。本当にありがとう。」
気まずくて、そっとその場を離れようとした時に、視界に二人の姿が映った。
まるで恋人同士の様に手を取り合って、微笑みながら見つめ合う二人。
あぁ、それは演出家としての私が望んだ姿ではあるけれど、野々村茉奈としては、見たくない姿だった。
今の私は完全に後者で、さっきまで演じていた演出家の自分はもう何処にもいなかった。
「北澤先生は茉奈の事、どう思ってるんですか。」
「野々村の事は生徒としか見ていない。」
「本当ですか?そんな風には見えなかったです。」
「そんな風に見えないのは、山岡が野々村を特別な感情で見ているからじゃないのか。」
「言い掛かりですか?」
「言い掛かりなのか?そもそも、山岡のライバルは俺じゃ無くて、野々村だと思うけど。」
「それ、どういう事ですか?」
「どう言う事なのかは、二人で見つけろ。とにかく、俺は二人とは同じ舞台には立っていない。勝手に舞台に上げられるのは、いい迷惑だ。」
「勝手にって。」
「まぁ、人生の先輩として相談は乗ってやるから、悩みが出来たらいつでも来い。」
「何ですか、それ。」
「自分で考えろ。あぁ、そうだ。野々村は空き教室に小道具運びに行ったはずだぞ。」
「空き教室…。」
遥香と私は二人で空き教室に衣装を運んでいた。
終演後に見た、舞台袖の二人の様子が頭から離れずに、私は嫉妬や羨望や、失望や敗北感が渦巻いている胸の中を何とか平常に戻そうと、必死にもがいていた。
だから、遥香が目を潤ませていることなんて、気が付かなかった。
校舎の一番端にある空き教室に、各クラスで使われた小道具がクラスごとに分けて積まれている。私達も自分のクラスのスペースに抱えていた衣装を置いた。
簡易式のハンガーパイプに衣装を掛けながら、まだ渦巻いている感情を力づくで抑え込もうとしていた。
「茉奈ちゃん、この役させてくれて、ありがとう。」
私の背中に遥香が声を掛ける。
「何?お礼なんて。」
私は背を向けたまま、出来るだけ明るい声を出す。
力づくでも抑えきれていない、ドロドロとした感情が遥香の言葉に敏感に反応して、意識しないと、棘のある口調になる。
私がこの役を与えたんじゃないのに、そんな風に言うなんて、嫌味にしか聞こえない。
「舞台上だけでも、幸せになれたから。」
謙遜?自慢?
遥香の言葉に抑えきれない苛立ちを感じて、睨むように振り向いた。
振り向いて見た遥香の顔は、いつものニコニコとした笑顔では無く、真っ直ぐに私を見ていて、睨んでいる様にも見えた。
「楓汰君はね、ちゃんと私の気持ちに応えてくれたよ。」
遥香は大きな目を少し赤くして、私を真っ直ぐに見て言った。
「そう。」
本当は目を逸らしたかったけど、グッと堪えて、何でもない顔を作って答えた。
「茉奈ちゃんはいつまで演技するの?」
「演技?」
「そう。その顔も、楓汰君への態度も、全部演技でしょ。」
「何で私が演技なんてしなきゃいけないの?そんな必要性は無いでしょ。」
心は動揺して、鼓動はうるさいくらいに鳴っているのに、一度作った表情はそう簡単に崩せない。
「ここは舞台じゃ無いから、茉奈ちゃんは自分を演じなくてもいいんじゃない?」
全て見透かされてい言いる事に、動揺が隠せず、私は顔を背けて、どうすればいいのか考えた。
「私、ちょっと意地悪言ったの。
楓汰君が受け入れてくれたのは、舞台の上だけ。舞台を降りて現実に戻ったら、私の気持ちは追い出されてたわ。」
「それ、どう言う…。」
茉奈の顔を再び見たら、大きな目から涙がこぼれていた。
キレイな大粒の涙が、頬を伝っている。
「私は楓汰君が好き。
だから、同じ思いを隠している茉奈ちゃんの気持ちが分かるの。
でも、私の気持ちは受け入れてもらえない事が、演じた事でハッキリ分かったの。ちゃんと告白もして無いのに、もう、振られちゃった。」
遥香の涙は楓汰への思いなのかもしれないと思った。
それなら、私はその思いの全てを見届けなけければと思った。
「叶わないのに、まだ好きなの。でも、諦めなきゃいけないって、分かってる。だから、茉奈ちゃん。素顔の茉奈ちゃんを見せてくれないかな。」
「私の素顔?」
「そう。頑張った私へのご褒美に、茉奈ちゃんの素顔を見せて。そうしたら、この気持ちは、きっと思い出になる。」
遥香は泣きながら、ニッコリと笑った。
こんなに切ない笑顔は、初めて見た。
切ない思いをしていたのは私だけじゃ無かったのだと、今更分かった。
「遥香、ごめん。」
私は遥香を力いっぱい抱きしめて、震える声で謝った。
自分の事しか考えて無くて、遥香の痛みに気が付かなくて。
いっぱい、いっぱい羨んで、一方的に嫉妬して、ごめん。
なのに、いっぱい、いっぱい背中を押してくれて、ありがとう。
私と遥香が、目元を拭いながら、笑い合っていると、楓汰が空き教室に駆け込んできた。
「茉奈、ちょっといい?」
驚いて楓汰を見ている私達に、楓汰は息を切らせて言った。
「うん、いいよ。私、先に戻ってるね。」
遥香は私の代わりに答えると直ぐに教室を出て行った。
私は泣いていた顔を見られたく無くて、楓汰に背を向けて、ハンガーにかかった衣装を整える振りをした。
「何?打ち上げの相談?」
背を向けたまま、ぶっきら棒に楓汰に言葉を掛ける。
そして、自分の心に問いかける。
今さら、素直になれる?
友達を諦められる?
告白出来る?
「いや、北澤先生から茉奈がここに居るって聞いて。」
「だから、何?」
まだ迷う心が、友達の自分を選ぶ。
背を向けたまま、もどかしい自分の心を恨む。
「俺、茉奈は北澤先生が好きなんだと思ってた。」
「はぁ?」
突拍子もない言葉に、心の迷いは消えて、純粋に疑問だけが浮かぶ。
「だって、先生は、大人で、イケメンで、知的で、紳士で。女子、みんなが好きだろ。」
はぁ、まぁ。間違いでは無いけど。
「それに茉奈。先生とは親密そうにしてたから。」
親密そうにしてたかな?
「先生も茉奈の事、よく見てたし。」
そりゃぁ、あんなボロボロの私を知ってるんだから、心配もするだろうね。
「だから、俺、北澤先生も茉奈の事、好きなんじゃないかって思ってた。」
「はぁ?それ、本気で言ってるの?」
楓汰の勝手な妄想が、あまりにも的外れで、背を向けていた体を振り返り、楓汰を見た。
後一歩踏み出したたらぶつかりそうな距離に立つ楓汰に驚いて、思わず一歩後退りした。
頭一つ分高い所にある楓汰の顔は、少し高揚していて、目は少し潤んでいた。
何、カッコいい。
いつもの楓汰だけど、いつもの楓汰じゃ無い雰囲気に、胸が大きく高鳴った。
「さっき先生に言われたんだ。俺のライバルは先生じゃ無くて、茉奈だって。」
楓汰のライバルは私?
「なぁ、それってどういう意味なんだ。」
その前に、楓汰は先生がライバルだと思ってた?
それって、それって、都合よく解釈してもいいのかな?
「なぁ、それって都合よく考えてもいいヤツかな?」
楓汰が話をするたびに、私の鼓動は早くなり、焦燥感に似た期待が胸いっぱいに広がっていく。
ねぇ、遥香。きっと今だよね。
今、私は演技をしちゃいけないよね。
お願い。もう一度、私の背中を押して。
心の中で遥香に話しかけて、勇気を貰った。
「私、ホントは楓汰の事、友達だなんて思ってない。
楓汰の事、好きなの。」
完
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