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文化祭の準備が始まる前。
ホームルームで演目と配役が決まって、練習に入るまでの期間で、私は台本をまとめて演技プランを考えたけど、迷っていた。
文化祭の準備が週明けから始まる木曜日の放課後、もう暗くなり始めた校舎の廊下を私は一人、少し緊張しながら歩く。
「北澤先生。ご相談したいことがあるんですけど、いいですか?」
美術部の部活が終わり、まだみんなが後片付けをしている最中に、クラスの担任で美術部の顧問の北澤先生に相談があって、美術室に来た。
クラスメイトに相談して、変なノリで決まってしまうよりも、しっかりとした客観的な意見が聞きたかったのだ。
「いいよ。じゃぁ、隣で。」
美術室の隣の美術準備室は、顧問の部屋にもなっている。
油絵のオイルと絵の具の匂いが染みついた準備室は、沢山の油絵以外にも、美術に関する資料とかモチーフで一杯だった。
小さなデスクに並んで座り、私は先生に身体ごと向けて相談を切り出す。
「文化祭の台本と演出プランなんですけど、これで良いのか自信が持てなくて。演劇部とは違って、クラスでするのに何処まで求めていいのか、分からなくなって来たんです。」
「主役は確か、山岡と波野だった?」
北澤先生はプリントアウトした演出プランと、台本を読みながら、私の話を聞く。
「はい。主役は山岡君と波野さんで。」
楓汰と一緒に主役をするのは、波野遥香。
いつもニコニコしていて、可愛い、女の子らしい女の子。小さいくて華奢な体でも、キラキラとしたオーラがしっかりと存在感を示す。ヒロインをするのに文句の無い存在だ。
私はゆっくりと台本をめくる先生の手元と、文字を追う涼しい目元を交互に何度も見た。
落ち着いた大人の雰囲気に、無駄に整った顔。柔らかい物腰が女子生徒だけでなく、母親たちにもファンが多い北澤先生に私は、今だに少し緊張する。
パーフェクト・イケメンは身近では無く、画面越しくらいで丁度いいと実感させられた人だ。
「クラスの色が出ていて、おもしろそうだ。山岡は何て言ってる?」
「まだ話していません。まずはこれでいいのか、先生のご意見を伺いたくて。」
「そうか。」
先生は少し考えると、迷いが現れている私の目を見て話した。
「主役は山岡と波野で決まりなのか?」
私は先生の言葉の意図を測ろうと頭をフル回転させたけど、分からない。だから、素直に頷くしかない。
「はい。ホームルームでクラスみんなで話し合って決まりました、二人なら、充分できると思いますけど。」
先生は話し終えた私の顔をじっと見て、私が我慢できずに目を逸らしそうになった時、ふっと笑って二回頷いた。
「そうか、分かった。基本的に、自由な発想で作ればいいと思っているし。
俺はこの、野々村の演出が見て見たいと思ったよ。クラスのみんなもやる気満々みたいだし、出来るところまで求めてみればいいと思う。」
北澤先生の言葉は、自分の演出に自信が無くて迷っている私の背中をしっかりと押してくれた。
「クラス委員の山岡としっかり話し合ってみろ。山岡と野々村が同じ方向をむくことが大切だと思う。山岡ならきっと分かってくれるだろう。」
「はい。ありがとうございました。」
何よりも心強い後ろ盾を貰った気分で、私は自然と笑顔でお礼を言った。
先生も微笑みながら台本をめくり、演出の確認をしている時に準備室の扉がノックされてた。
「はい。」
先生が声を張って答えると、「失礼します。」と言って楓汰が顔を覗かせた。
「北澤先生、これ、頼まれていたクラスの紹介文です。」
楓汰は私と先生のわずかな隙間に割り込むように原稿用紙を差し出した。
「あぁ、ありがとう。随分早いね。提出は来週で良かったんだよ。」
先生は楓汰を見上げながら言った。
「忘れないうちに提出しておこうと思って。茉奈は何の用事?」
楓汰の質問に答えるべきか少し悩んでいたら、北澤先生が先に口を開いた。
「文化祭の事で、少し相談を受けていたんだ。野々村、いい機会だから、山岡に話してみればどうだ?」
私はまだ少し迷いながらも先生の優しい眼差しに頷き、決めた。
「はい。そうします。ありがとうございます。」
そう言って、席を立った。
「楓汰、文化祭の事で話があるの。いい?」
私より頭一つ分高い背を見上げながら問いかけた。
「分かった。じゃぁ、一緒に帰るか。」
文化祭の話をするために一緒に帰るだけなのに、私は少し緊張して鼓動が段々と大きくなってきているのを感じた。
「うん。先生、ありがとうございました。失礼します。」
「失礼します。」
私と楓汰は一緒に礼をして、準備室を出た。
もう、暗くなった帰り道。駅までの道を並んで歩きながら、自分の鼓動の早さを押えるように、できるだけゆっくりと話し出した。
「頼まれてた文化祭の台本と演出、考えたんだけど、みんなが賛成してくれるか自信なくて、北澤先生に相談してたの。」
「うん。」
「演目と配役はみんなで決めたけど、楓汰と遥香にはちょっと違う事もやって欲しくて。」
「うん。別の役って事?」
「そうじゃないんだけど、やってみたい演出があって…。」
私は、急に立ち止まった楓汰に驚いて、言葉を切って、振り返った。
「なぁ、俺、すっげぇー腹減った。空腹過ぎて、頭、回んないから、何が食べようぜ。それからちゃんと話、聞くから。」
楓汰は少し不機嫌そうな顔をして、お腹を押えながら訴えた。
外灯の灯りでだけで良かった。
二人きりで一緒に帰るだけじゃ無く、一緒に食事までなんて。
私は嬉しさと恥ずかしさで、頬が赤くなっていくのを自覚しながら、顔を隠すように前を向き歩き出すと、少し大きな声で答えた。
「いいよ。楓汰はお腹が減ると不機嫌になっちゃうからね。」
「何だよ、別に機嫌悪くなって無いだろ。頭、回んないって言ってるんだよ。」
楓汰は直ぐに追いつくと、私の肩を掴んで頭の上から話しかけた。
体全部の神経が楓汰に掴まれた肩に集中して、喉がキュッとしまって酸素が少ししか入って来なくなる。
でも、そんな自分の状態を悟られないように、歩みは止めず、顔も前を向いたまま、面倒くさそうに、掴まれた楓汰の手を払った。
「はいはい。マックで良いよね。」
「いいね。俺、ビッグマック。」
食べ物の話をするだけで機嫌が良くなって、声だけで嬉しそうなのが伝わってくる。
私はまだ頬の熱を感じていて、楓汰の顔は見れないけど、きっとあの人たらしな笑顔になっていると想像しながら、つられるように少し微笑んだ。
「どう思う?」
私は空腹を満たして、平常時の楓汰に戻った頃合いを見て、演出プランを話した。
「やっぱ、茉奈は凄いな。」
楓汰は感心したように、ドリンクのストローを口から外して答える。
「賛成って事?」
空気感は伝わるけれど、ハッキリと言葉で言って欲しくて、食い下がる。
「うん、もちろん。何か、もうワクワクしてきた。」
「ホント?」
「うん。でも、俺はいいけど遥香はちょっと戸惑うかもな。」
「うん。遥香、こいいうの初めてだと思うから戸惑うと思うの。だから、楓汰が色々サポートしてあげて欲しい。」
「もちろん。でも、この役、本当に遥香でいいのか?」
「やっぱり、遥香には難しそうかな?」
「イヤ、そう言う意味じゃ無いんだけど、何となく、茉奈のイメージかなって思って。」
楓汰は真っ直ぐに私を見て、意外な事を言った。
その言葉に、笑い飛ばして応えるべきだったけど、とっさに笑顔は出て来ず、本心を隠すようにテーブルに広げた台本を見ながら言った。
「私は主役に選ばれなかったから出来ないよ。」
「でも、それは配役決める前に俺が茉奈に演出して欲しいって言ったからだろ。この台本見せて、もう一回決め直せば、みんなも納得するんじゃないかな?」
「それに、何より、二人をイメージして演出、考えたの。だから、二人にやって欲しい。」
これは本心だ。
「分かった。じゃぁ、茉奈の演出がすごいって事、俺たちが見せつけてやるよ。」
楓汰の優しくて力強い言葉に顔を上げると、あの人たらしの笑顔で笑っていた。
もう、完全に好きなのに、また好きが溢れてきて、嬉しいはずなのに、胸が痛くて、泣きそうになる。
自分の気持ちを隠すために、わざとらしくらい大きく笑って、わざと強く楓汰の肩を叩いた。
自分の気持ちを誤魔化すために楓汰に触れる手は、自分の心を叩いている様で、痛くて痺れた。
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