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 演目は「美女と野獣。」  全体的にコミカルな雰囲気にして、重要な場面は歌を入れて、ミュージカル風な世界観でメリハリをつけることにした。  練習2日目にして、楓汰は器用に何でもこなし、歌も、ちゃんとミュージカル風に歌えている。  心配していた遥香は、演技よりも歌の方が自然と出来ていて、見せ場の一つをちゃんと作ってくれている。  私が心配していたよりも、みんなは楽しく取り組んでくれて、演出は楽しい。  でも、好きな人が、演技とはいえど、私以外の人を好きになる役を演じているのを目の当たりにする事は、想像していたよりも、生々しく、二人が楽しそうに演技をすればするほど、私の心は針で刺されたような小さな穴がいくつもあいて、真剣な表情の裏側で、痛みで顔を歪めていた。  後半、二人の恋が動き出す場面に差し掛かると、その痛みはどんどん増す。  「遥香、ここは恋が芽生えて行く場面なんだから、もっと『愛おしい』を前面に出して。今のじゃ、インスタ映えのスイーツを見つけた。くらいにしか見えない。」  だから、つい、口調もきつくなってしまう。  「ごめん。」  同じ場面を繰り返し注意されて、笑顔がトレードマークの遥香も、さすがに落ち込んでいる様に見える。  今のは、私情が入っていたかもしれない。  私は重くなった空気をどうにかしようと、助けを求めるように楓汰へ話題を変えた。  「楓汰、この場面はもっと格好悪く演じて。見ている人、みんなが分かるくらいメロメロな感じで。」  「俺の『好き』はカッコ悪いのかよ。せっかくの雰囲気イケメンが台無しじゃねーか。これでモテ期逃したら、茉奈が責任とれよ。」  私が矛先を変えた意図を、的確に察している楓汰は、少しふざけた口調で空気を変えると、私も巻き込んできた。  楓汰の言葉に大きく心臓が跳ねたけど、何でもないように軽く笑って、楓汰の事は友達以上に思えないと自分にも言い聞かすように返した。  「楓汰がモテないのは、これが原因じゃないでしょ。だから私が責任とる必要も無いのよ。逆にこの演劇が成功したら、モテ期が来るかもよ。」  本音とは違う言葉がスラスラ出てくる自分を、少し哀れに思いながらも、本音が漏れていない事に安心する。  「よーし、じゃ、俺のモテ期のために、練習再開。みんな、協力お願いします。」  少し落ちていた空気を、直ぐに明るい空気に変えて、みんなの視線を自分に集めた。私の言葉で落ち込んでいる遥香を密かに気遣う楓汰を、また、好きだと言う気持ちが湧き出て、苦しくなった。  練習が終わって帰る準備をしている遥香に「一緒に帰ろう。」と声を掛けた。  私の顔を見た遥香は、また少し落ち込んだ顔をしたけど、笑顔で「うん。」と返事をして、いつもの自分を取り繕った。  そう、遥香は感情がすぐに分かるくらい顔に出る。だから、この役も、きっとできる。  暗くなった帰り道、私の頭一つ分低い遥香と並んで歩く。  「主人公の役柄はちゃんと遥香に入ってるから、恋をしてからの気持ちの変化を、動きとか声とかにもっと大げさなくらい表せれば、絶対にうまくいくと思うの。」  「うん、ありがとう。でも、恋する気持ちを表現するって、難しい。」  「そうだね。じゃぁ、まずは、遥香の好きな人の事考えてみて。芸能人とか憧れの人でもいい。その人の事を考えて、出て来た感情を私に教える。みたいな感覚でやってみない?」  「好きな人。」  遥香は私の言葉を必死に理解しようと、大きな目で一生懸命私を見つめて聞いている。そして、少し考えるように俯くと、少し前を歩いている楓汰の後ろ姿を見た。  「うん。頑張る。」   遥香の視線と言葉の意味を、私は何通りも考えた。でも、たどり着くのは「好きな人は楓汰。」だって事。  そんなの、私の勝手な解釈に過ぎないけど、一度頭に浮かんだことは、そう簡単に消えない。それを確かめる勇気も無いのに、馬鹿なアイディアが浮かんで来て、演出家の自分を試そうとする。  私は帰る方向の違う遥香とは改札で別れ、同じホームで電車を待っている楓汰に話しかけた。  「楓汰、ちょっと話があるんだけど、いい?」  もう、電車はやって来るけど、私は楓汰を引き留めた。  「うん。俺も話したいと思ってたんだ。」  私達は再び改札を出て、駅前にある小さな噴水の前のベンチに並んで座った。  「今日、ありがとね。私が悪くした空気変えてくれて。」  「いや、茉奈は間違った事言ってないし、あれは遥香とって必要だったと思うよ。」  「そうか。」  自分でも判断できない感情が正しかったと、楓汰が認めてくれて、安心して、泣きそうになった。  でも、泣いてはいけない。  私は静かな噴水を見ながら、浮かんだ馬鹿なアイデアを話した。  「遥香って感情が表に出やすい子でしょ。」  「そうだな。」  「それでね、楓汰の事、好きになったら、あの場面、凄く良くなると思うの。」  静かな噴水を見ながら、楓汰の言葉を待った。  でも、楓汰は口をつぐんだまま、言葉をくれない。  私は自分の馬鹿なアイデアを話したことを後悔し始めて、沈黙に我慢できず、隣に座る楓汰を見た。  楓汰は、じっと私を見ていて、その目は暗くても分かるほどに怒っていた。  「ごめん。」  楓汰の視線に耐えられず、視線を落として謝った。  何に謝ったんだろう。  馬鹿なアイデアを話した事。  馬鹿なアイデアが浮かんだ事。  めったに怒らない楓汰を怒らせた事。  遥香の気持ちを利用しようとしてる事。  心当たり全部に、罪悪感が生れて、心の中でもう一度謝った。  ごめん。  「それ、俺に遥香の事、落とせって言ってるの。」  いつに無く、きつい口調の楓汰は、やっぱり怒っている。  「そこまで言ってない。遥香ともう少し親しくなれれば、もっと良い雰囲気が出ると思ったの。でも、ごめん。変な事言って。」  やっぱり顔を見られなくて、視線を落としたまま取り消した。  「俺と遥香って、普通に親しいと思ってるんだけど。」  「そうだよね、ごめん。何かあせちゃってて。  まだ練習時間はあるし、きっと遥香なら出来るようになるよね。人を好きになった事だってあるだろうし、楓汰がそんな事しなくても。」  言っていて、少し心が軽くなったのは、楓汰が遥香に近づく機会が減ったからだと、イヤなくらい分かった。  「茉奈はあるのかよ。」  「へっ?」  楓汰の質問の意味が分からなくて、思わず顔を上げて聞き返した。  「人を好きになった事。」  もう、怒っていない声で。でも、いつもより真剣な顔で私を見て質問する。  「そりゃあ、ねぇ。」  明らかに誤魔化した言い方に、変な笑顔を作ってしまって、一瞬で自己嫌悪に陥った。  私はまた静かな噴水に目をやって、早くなって来た鼓動を無理やり落ち着かせようと、何か別の話題を探した。  「今、いるんだ。好きな人。」  私の気持ちとは裏腹に、楓汰はまだ質問を投げかける。  私は反応したくないのに、分かりやすく反応してしまって、自分をコントロールできなくて、戸惑う。  「な、なんでそんな事。今の話の流れで、私の事は関係ないでしょ。」  「あるよ。」  「どこがっ。」  段々ヤケになって来て、しつこい楓汰を睨むように見た。  「人を好きな気持ちって、隠したいもんだろ。相手の気持ちが分からなければ分からないほど。それを、リアルな気持ちを出せって言われても、なかなか出来るもんじゃない。だから、茉奈は出来るのかって言いたいんだよ。」  そんなの、出来るわけない。  私が好きなのは、目の前にいる楓汰なんだから。  でも、好きを隠して、必死に楓汰の事を友達だとしか思っていない私を演じているんだから。  「私がこの役を演じるんなら、出来る。」  気持ちとは裏腹に、元演劇部としてのプライドが口をついて出た。  「だったら、何で茉奈がやらないんだよ。」  「それは、演出だから。」  「両方やればいいだろ。」  睨むようにお互いを見ていたけど、いつの間にかいつもの二人に戻っていて、楓汰は私の本音を引き出そうと、穏やかに話を進める。  「そんな器用な事出来ない。それに、この役に選ばれたのは遥香だから。」  楓汰は何も言わず、しばらく私をじっと見ると顔を逸らして、静かな噴水を見た。  「分かった。ごめん。言いがかりみたいなこと言って。」  「ううん。変な事、言い出したのは私だから。」  「本当だよ。でも安心しろ、ちゃんと遥香とはコミュニケーションとるから。」  「うん。」  いつも冗談ばかり言い合っている私達が、こんなに真面目な顔をして話をしたのは、初めてかもしれない。  私はどんな顔をして楓汰を見ればいいのか分からなくて、静かな噴水を見続けた。  「俺さ、ミュージカル俳優、目指そうかな。」  「何?突然。」  楓汰の突拍子もない言葉に思わず顔を楓汰に向けた。  「意外と様になってると思うんだ。」  楓汰は話しながら、私の視線から逃れるように立ち上がると、劇中歌を歌いながらクルクルと踊り出した。  それは、野獣とベルがお互いの気持ちを確かめ合うように歌い踊る場面だった。  突然の楓汰の行動は、真剣モードの私達をいつものふざけモードに戻すためだって分かっていたけど、楓汰の歌声は優しく、愛おしいベルに愛を囁いているようで、私には、ここにはいない遥香が微笑みながら楓汰の愛を受け入れている姿が見えて、苦しくなった胸を思わず掴んだ。  制服のシャツの胸を力一杯握りながら、楓汰の歌い踊る姿を見ていると、もうこれ以上平気な顔は出来ないと思った。  私は立ち上がり、まだ歌っている楓汰に背を向けて、わざと大きな声で言った。  「上手い、上手い。楓汰なら何でもなれるよ。頑張って。私、帰るわ。」  言い終わらないうちに歩き出して、駅に向かった。  「おい。待てよ。」  楓汰は私の背中に声を掛けながら追いかけて来たけど、私は歩を速めて更に先を行く。  それでも楓汰は直ぐに追いついて横に並ぶ、私は小走りでまた先に進むと、楓汰もすぐに追いつく、そうやって、先を競りながら駅のホームまで来ると、息が弾んでいるお互いの姿を見て、笑った。  良く分からないけど、無意味に体を動かして、何が可笑しいのか分からないけど笑えれば、またいつもの自分に戻れる。  今までも、友達の顔の自分を見失いそうになった時、こんな風に取り戻してきた。  私達は、いつもの私達に戻って家路についた。        
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