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放課後の図書館。書架の間に『史香』の姿を見つけた。
重そうな分厚い本を開いて、僕と話す時とは全然違う真剣な表情で溜息をついている。
「こんにちは」
声をかけると、顔を上げてにこりと笑ってくれる。
「お疲れさま。2年生なのに毎日偉いねえ」
そう言われると若干気が咎めて、僕は意味のない笑みを浮かべた。
半分は自分の用もあるが半分は違う目的だ。
「テーマ、決まったんですか。今日ゼミの日でしたよね」
彼女は相変わらず紅の薄れた唇で小さく息をつく。
「結局ダメ出しでねえ……マイナー過ぎて比較対象がないから難しいかもしれないって言われて。好きな物語やりたいってだけじゃ難しいのかなってとこで」
「……けど、論文にし易いからといって興味の無い文献を選んでもモチベーションがもたなそうですよね」
「そう!それなのよ!これから12月までの長丁場でしょ?」
「でも、そこを乗り切るのが4年生じゃないんですか」
う、と唇を結んで悔しそうに上目に見上げる表情が、何度見ても可愛いのだが、あまり繰り返すと嫌われそうだから気を付けようと思う。
はぁ、と彼女は本を抱えてまた溜息をつく。
「……ホントに卒業出来るのかな。内定もらって卒業出来なかったら笑えるわ」
「ついでにもう一年居てくれたら同じ学年になれるんですが」
「いやいや、そんな学費払える余裕無いから……」
よし、と呟いて
「そうだ。次につかえてる妹のためにも、予定通り卒業しなきゃいけないし、やらないと」
独りごとのように彼女は言う。
彼女には3歳下の妹が居るらしく、時々耳にする限り関係は良好そうだ。
僕には5歳下で腹違いの弟が居る。
弟との関係は悪くないが、僕の母と入れ替わりに来た義母は僕に消えて欲しいと思っている。
疎ましいとかそういう比喩でなく、財産分与といった面で文字通りそう思っているという意味だ。
だから、今も家を離れて一人暮らしをしているし、このまま実家に帰ることは多分無い。
「それじゃ、妹さんのために頑張ってください」
「ありがと」
離れて、振り返った時にはもう彼女は自分の世界に入っている表情を浮かべていた。
もっと色んな表情が見たい。
声が聞きたい。
言葉が聞きたい。
この人のことが知りたい。
騒ぐ胸のうちを落ち着かせるように息を吐いて、自分の用のある書棚に向かった。
目の前から消えた途端に心は彼女を探し始める。
その意味にはまだ気づいていなくとも、しばらく僕はこの探し物を辞めることは無いのだろうという予感はしていた。
『探す』了
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