五回裏

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五回裏

 八年前、私と福は高速バスで仙台に向かった。宿泊費を節約するため、初の遠征は日帰りだった。早朝に東京を出発し、到着したのは昼過ぎだった。  ちょうど七夕祭りの頃だった。駅のコインロッカーに荷物を預け、私たちはナイトゲームの前に商店街に繰り出した。風に揺れる大きな吹き流しをくぐり抜けると、その先の勾当台公園には屋台が出ていて、仮設のステージからは楽団が仙台ゆかりの曲を演奏する音色も聞こえてきた。 「七夕祭りの時期でラッキーだったね」  福は七色のかき氷を手に満面の笑みを浮かべた。シロップはセルフだったので、しっかり全種類かけてきたらしい。真夏の強い日差しを受け、混ぜるたびに虹色の氷が溶け合っていく様は、まるでぐちゃぐちゃにかき回される胸の内を見るようだった。  写真撮ろう!と言う福に従って、私は牛タンの串を片手にピースした。プライベート用のアカウントに投稿するだけだと思っていたので映えも何もあまり気にしなかったが、福はバイト用のほうにも同じ写真を上げていて正直驚いた。福のバイト用のアカウントは売り子全員の集合写真を除いて、ほとんどが一人で写ったセルフィ―だったから。 「私一緒に写っちゃっていいの?」 「環が写ってるからいいの。仲良しアピールなんて好きじゃないけど、このくらいやり返してもいいでしょ」  そう、人間関係には人一倍気を遣っている福にしては珍しいことだ。でもそれならもっとふさわしい姉御的な先輩だっているのに。首を捻っている私に福は呆れた顔を見せた。 「言っとくけど環は優しいから、味方にしたい人多いんだからね」 「そりゃ困ってる人がいたら力になりたいって思うでしょ」 「……環は私が困ってたから助けてくれたんだね。どうせ困ってたら千紘さんだって助けてあげるんでしょ」  福がどうしてこんな言い方をするのか正直分からなかった。でも、もし女友達にありがちな特別扱いを望んでいるのであれば、それがたとえ親友としてであっても嬉しかった。 「まあまあ、私だって一緒に遠征までする友達なんて福しかいないよ。せっかくだから私も仲良しアピールしちゃおうかな」  あえて“友達”を強調し、それ以上の期待を抱かないよう自分に言い聞かせた。勘違いさせられて、人知れず傷ついたことは何度もあったから。  すると福は不満そうに眉を寄せた。 「ねえ聞いたことなかったけど、休みの日とか何してるの?」  とうとう来たと思った。  一緒に旅行なんてすれば、どうしたって距離は縮まる。胸の奥にひた隠してきたことだって気づかれてしまうかもしれない。そんなことは分かっていたのに、福と近づきたいという願望も手伝って、あの夜涙ぐむ彼女を見ていたらつい仙台行きへ誘ってしまったのだ。  ――大丈夫。何のために模範解答を考えてきたの。  そう、こんなこともあろうかと、私はどう見ても紛うことなき野球ファンとしか思われないように準備してきた。その甲斐あって、私は福の前でもまごつくことなく、スルスルとその台詞を紡いだ。 「休みの日はねえ、野球中継観ながらゴロゴロするか、プロ野球魂やってる」  プロ野球魂とは、実在のプロ野球選手そっくりにデザインされたキャラクターが登場するテレビゲームだ。各選手の個性が変化球や打撃フォームなどに細かく反映されており、対戦モードに加え育成モードも搭載しているプロ野球ファン御用達のゲームである。  これで完璧だろうと思っていたら、福の反応は想像とは一味違った。 「そういえば私、プロ野球魂ってやったことないんだ。環は一人暮らしだったよね。今度やらせて欲しいな。遊びに行っていい?」 「え……家に?」  福の迫力に押され、私が固まった途端、福の表情は曇った。表情豊かな彼女は思っていることがすぐ顔に出るのだ。 「迷惑?」 「そんなことないけど、家片付いてないからさ……」 「やっぱり来て欲しくないんだ」 「そ、そんなことあるわけないよ」 「じゃあ私がビール担当に昇格したらお祝いして欲しいな。環の部屋で」  矢継ぎ早に畳みかけられ困惑している私をよそに、最後の一押しとばかりに福はニコリと微笑んだ。  私は渋々頷いた。これ以上旅を微妙な雰囲気にしたくなかったし、どうせすぐに忘れるだろうと楽観的に思っていた。  その日の夜は雨の予報だったが、幸いプレーボールまで天気はもった。  始球式はよく覚えている。地元のカップルだろうか、女性が見守る横で男性はマウンドに立ち、大きく振りかぶった。バッターが大げさに空振り、山なりの球はキャッチャーのミットに収まった。球審のストライクコールがあった後で、男性はガッツポーズすると女性に跪いた。  始球式でプロポーズするのはバイト先のフェニックスドームでもよく見かけたし、別に珍しいことではない。そうは言っても、私が男性からこんな風にプロポーズされる光景なんて想像もできなかったけれど。  そわそわと落ち着かない私を誤解したのか、福は楽しそうに笑顔を向けた。 「環もああいうプロポーズ憧れる?」 「うーん、福と彼氏がマウンドにいるのは想像できるけど……」  “彼氏”というワードを福の前で言ったのは初めてで、ひそかに緊張していた私を横目に福はどこか遠くを見ていた。 「私は誰かにしてもらうより、自分でやりたいの」  ああ、マウンドでこの子にプロポーズされるのはどんな男なんだろう――。  こんな風に考えてしまう自分はおかしい。そう感情を抑え込もうとすればするほど、やるせなさが込み上げてきた。  深入りしないように気をつけて接していたつもりが、いつの間にか福は胸の一番深い所に入り込んでいた。
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