三回表

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三回表

 次の週の木曜日、私は仙台に降り立った。結局あの日の試合に勝ったファルコンズは首位に浮上し、首位タイのまま今日まで踏ん張っていた。  仙台駅では至る所で七夕祭りのポスターを見かけ、そういえばちょうどその時期だったと思い出した。伊達政宗のステンドグラスの手前には吹き流しが飾られていて、商店街のアーケードで色とりどりの大きな吹き流しが風に揺られている懐かしい景色が目に浮かんだ。  ――六年前、あの日もこんな暑い日だった。  その時、つい学生時代最後の夏休みに思いを馳せそうになった私を、後輩の高い声が引き戻した。 「……先輩!古屋先輩、聞いてます?」 「あ、ごめん。聞いてなかった」 「また正直な……青春の思い出にでも浸ってるような顔しちゃってましたよ?」  入社四年目の後輩、中原絵梨は呆れた声で言った。彼女は会社で猫をかぶっている私の素を見抜いた一人で、失くしたボールペンが胸ポケットに刺さっているのを見つけてもらって以来、私もなんとなく心を許していた。元陸上部のせいか、とかく突っ走りがちな私を冷静にフォローしてくれる頼れる後輩だ。遠巻きにしている後輩たちにも真相を秘密にしてくれているいいやつでもある。 「青春の思い出?まあそんな所かな。で、何の話?」 「何の話も何も、噂になってますよ」  やっぱり気づいてなかったか、と言いたげな様子で絵梨は軽く頭を抱えた。 「え、どんな?」  こう見えて会社では、プライベートが謎に包まれたミステリアスな女、古屋(たまき)で通っているのだ。噂になる材料を提供した覚えはない。  荷物をフロントに預けるため駅前のホテルに向かいながら、絵梨はため息をついた。 「だから、先輩がこっちに転勤になるかもしれないって噂ですよ。今回の出張はその布石だって」 「ああ、そのこと……」  まだ正式な内示は出ていないものの、噂は事実だった。まだ恋人にも知らせていないのに、絵梨によると光の速さで情報は広まっているらしい。  私と絵梨が勤務しているのは業界二位の飲料メーカーだ。  私がアルバイトをしていたフェニックスドームではそれぞれ売り子の担当するメーカーが決まっており、その縁で今の会社への入社が決まった。球場で培った体力やコミュニケーション力を見込まれた結果だが、それらはたしかに営業の仕事に生かされ、今回めでたく昇進を兼ねた転勤の話が舞い込んだのだった。  努力した結果や成果が評価されるのは正直嬉しかった。転勤先も応援しているファルコンズの地元、仙台。  それなのに、どこか手放しで喜べない自分がいた。  (さち)にも仕事があるから遠距離は必至、だとするとどうしても自分にそこまでの価値があるとは思えないのだ。かと言って自分から別れを切り出すなんてできるはずがない。  もし男性だったら福にプロポーズするなり、ついて来てほしいと言うなりできただろうか。詰まる所、私は福にどう切り出したものか、まだ決めかねているのだった。  仙台にある自社工場での勉強会に参加した後、私たちは仙台支社に顔を出した。新入社員の頃お世話になった先輩がこちらに転勤になっていたのだ。 「おおー、久しぶりだな。古屋!」  向こうから片手を大きく振ってやってきたのは、いかにもスポーツマンといった感じの男性社員だ。絵梨も彼のことはよく知っていて、私と一緒に懐かしそうに頭を下げた。  彼――大路(おおじ)(たすく)は私より三年先輩だった。  入社当時、私が気難しいOJT担当者にひそかに参っているのを察して、事あるごとにフォローを入れてくれていた。豪快なイメージとは裏腹に、仕事に関しては周りをよく見て細かく気を遣う、面倒見のいい兄貴分だった。  昼休みにフェニックスドームで働いていたことを話すと、彼は得意そうにスマホの画面を見せてきた。そこには、見慣れたファルコンズのユニフォームをお揃いで着た、デレっとした顔の大路と彼の彼女が並んで写っていた。 「かわいいだろ~。仙台に出張中に出会ったんだけど、お互い一目惚れ。さすが王子こと俺……」  渾身のギャグを聞き流し、私はつい前のめりになった。東京でファルコンズのファンに出会うなんて、運のない私にしては奇跡みたいな事件だ。  そこ?と少しガッカリした顔で、大路は頷いた。仙台在住の彼女に染められたらしい。その後、ファルコンズの話題で盛り上がり、彼が主催していた野球好きが集まる社内サークルのランチ会に誘われたりもした。  そして二年後、どうやって途方もない競争率を突破したのか、大路は遠距離だった彼女に始球式でプロポーズした。仙台への転勤願いを提出したその日、彼の顔は希望に満ちあふれ輝いていた。  その頃の私は取り繕うことなく、素直に自分を出せていたと思う。もちろんセクシュアリティは別だけれど、福がいればしつこい合コンや飲み会の誘いを断ったり、プライベートな質問をかわすことも何てことなかった。  だが大路が転勤になり後輩も増えてくると、知らず知らずのうちに「ミステリアスな古屋先輩」が定着し、しだいに違う一面を晒すのをためらうようになった。もちろんそのほうが突っ込んだことを聞かれる心配もなく、楽だったからという事情もあったが。  大学の友人とはとっくに会わなくなっていたし、社内サークルも大路がいなくなって下火になり、野球好きな素を見せられるのは福の前だけだった。  今回の出張は偶然の巡り合わせだったけれど、二カ月もしないうちにここで働くのかと思うと不思議な気分だった。  一方絵梨は国分町に興味津々だったものの、明日も勉強会の二日目があるので渋々引き下がった。代わりにおいしい牛タンの店にでも連れて行こうと支社を出ると、後ろから大路が追いかけてきた。 「古屋、もしかしてこれからスタジアム行くのか?」 「いえ、どうせなら牛タンでも食べに行こうかと」  スタジアム、と聞いて絵梨は意外そうな顔をした。彼女は私がファルコンズのファンで野球好きとは知らないのだ。 「せっかく仙台に来たのに?俺がいないのが寂しくてファンやめたのか?」  大路は大げさに驚いてみせた。こんな軽いやり取りが懐かしくもあり、咄嗟に昔のように言い返したくなった。今のキャラとは違うけれど、絵梨も大路もそんなことは気にしないだろう。 「今も昔も私はれっきとしたファルコンズファンです!ただ明日も仕事だし、先輩と違って真面目なので」 「あーあ、せっかくチケットあるのに。愛想のない後輩にはやらないぞー」  聞くと、仕事終わりに家族三人で球場に行くつもりが、三歳の息子が熱を出したため延期になったらしい。 「それなら私、スタジアムに行ってみたいです!牛タン屋さんは明日にして今日はそっちにしません?」  絵梨は目を輝かせて言った。普段しっかり者の彼女も羽を伸ばしたいのだろう。いつも落ち着いている絵梨がたまに年齢相応にはしゃぐ姿を見ると、ついこちらも絆されてしまう。結局、私たちはありがたくチケットを譲り受け、球場方面の電車に乗り込んだのだった。六年前に来た時は、次に来るタイミングも何もかも、こんな形になるとは思ってもいなかった。  電車内には私たちのようなスーツ姿に交じってお揃いのユニフォームを着た家族連れがちらほらいて、幼い息子の手を引いて家族で球場に向かう大路の姿が目に浮かぶようだった。  時間は試合開始の三十分前で、電車に揺られながら今日のスタメンを確認していると思われる人も多い。懐かしさが込み上げて、知らず知らずのうちに私の目はその中に福の年季の入った背番号47を探していた。いるわけがない、そう自分に呆れて私はハッとした。  私はどんな福を思い浮かべた?学生時代の?今の?  隣に私はいる?それとも――。  嫌な想像が駆け巡る。  肩を叩かれ我に返ると、絵梨が心配そうにこちらを見ていた。 「先輩、今日はどうしたんです?また黄昏てると思ったら、今度は百面相して」 「あ、あはは。いや、意外と変わってないもんだなあって懐かしくて」  反射的にそう誤魔化した。  私は六年前のことを思い出していた。あの時も目の前には同じ光景が広がっていた。
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