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一回表
――あの七夕の日、私たちは手を繋いで誓い合った。夜空に並ぶ星たちのように、絶対にこの手を離したりしないと。
目の前には希望しかなかった。
時は巡り、もう何度目かの七夕の季節。
私たちの軌道は今もあの頃のまま重なっているだろうか。それとも、今ではもうそれ始めているのに目を背けているだけなのだろうか。
夜空に問いかけても答えはない。
星々は空を巡り、ただ静かに瞬いていた。
*
人身事故により三十分程度の遅延――。
何度見ても駅の電光掲示板にはそう表示されていて、相変わらずの運のなさに私は大きくため息をついた。というのも今日は金曜日、つまり週末。そして何より、学生時代から応援しているプロ野球チーム「ファルコンズ」と首位のチームとの首位攻防戦なのだ。
ファルコンズの本拠地仙台はもちろん、関東近郊のビジターゲームにも何度も行った。だが学生時代ならいざ知らず、就職後は仕事を覚えるのに必死でしだいに球場からは足が遠のいた。
だからせめて、野球中継だけは観たい。野球に熱中している間は悩みや仕事のストレス、実家からの「彼氏はいないのか」「結婚の予定はまだか」といった煩わしい話題を忘れることができた。
今シーズン、ファルコンズは序盤の負け越しを地道に返し、八月に入ってついに首位に肉薄する位置にまでつけていた。ゲーム差は0.5。今日勝てば順位は逆転する。
だからできるだけ早く帰りたいのに。
舌打ちしたいのをすんでの所で堪え、スマホのアプリを開く。イライラと更新ボタンを連打しているうちに一回は両チーム無得点で終わり、タイミングよく乗客を満載した車両がホームに姿を現した。この混雑ではスマホを見ることさえできないだろうと心の中でため息をつき、私は人波に身体をすべり込ませた。
肉の塊にみっしりと囲まれた圧迫感を耐え、最寄りの駅でドアから吐き出された瞬間、私は速報を確認するのも忘れて自宅のマンションまで走った。元陸上部の脚力も今ではこんな所でしか生かせない。
勢い余って何度かつまずきそうになりながらやっと帰宅すると、奥のリビングからはすでに野球中継の音声が聞こえてくる。ファルコンズのオープン戦からリーグ戦、交流戦、プレーオフに至るまで余すところなく観るため、入居してすぐ野球中継を放映するいくつかのCSチャンネルをまとめて契約したのだ。
足もとを見ると、先に帰宅していた同居人――もとい恋人の福も考えていたことは同じようで、玄関には通勤用のヒールが乱雑に投げ出されていた。
「おかえりー」
扉の開く音を聞きつけたのだろう、どこか心ここにあらずな声が響いた。福の鍵――ファルコンズのキャラクターや背番号「47」の星型のキーホルダーでやたらとジャラジャラしている――が無造作に置かれたプレートに鍵を放り、私はリビングに駆け込んだ。クーラーのひんやりした風が汗ばんだ肌に心地よく、外でピンと張りつめていたものが少しずつほぐれていく。
「点、入った!?ていうか今何回?」
「今、三回裏になったところ。二回表に一点入ってリードしてる」
福の実況によると、私がアプリを閉じた直後に点が入ったというわけだ。また私が観ていない時に限って――。
がっくりきた私を横目に福はグビリと缶ビールをあおり、上唇に白い泡をつけたままおかしそうに笑った。もういつものことなので、何も言わなくても考えていることは伝わっているらしい。
顔を上げテレビ画面を見ると、送りバント成功でワンアウト二三塁。今日の試合は相手チームの本拠地で行われていて、三回裏の今は相手チームの攻撃だ。つまり、逆転のピンチである。
「ほら、環が帰ってきた途端ピンチになる~」
福が吹き出した拍子に、ちょんまげにした前髪が楽しげに揺れた。同棲して三年、家での彼女はこの髪型に背番号47のTシャツ、グレーのスウェット姿が基本スタイルだった。
悔しいけれど福の言う通り、たしかに私が観ている最中はろくなことがない。特に球場で観戦しているような時は。
エラーにエラーが重なりトリプルプレーという年末の珍プレー番組で放送されるくらいの珍事が目の前で起こったり、九回裏ツーアウトで逆転満塁ホームランを打たれたりと、軽くトラウマものだ。逆に席を外した時には味方の打線が爆発したり、ファインプレーが飛び出したり、呪われているとしか思えない。
学生時代はよく二人で球場を巡っていたから、福は嫌というほどそんな現場を目撃してきたはずだ。けれど幸か不幸か、最近はもっぱら自宅観戦ばかりなので私も少しは勝利に貢献しているのかもしれない。負け惜しみと笑われそうだから言わないけれど。
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