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「……まぁ、ウチも他人の家の事言ってられないんだけどね。あんたもどうなの? いい加減、彼女の一人もいないの?」
「うるさいな。どうせそんな話だろうと思ったよ。大きなお世話だって」
「大きなお世話って、あんた……いつまでも独身で一人暮らしする息子を心配する親の気持ちになってみなさいよ。私達だってもう歳なんだから、もしもの事があったりしたらあんただって……」
耳にタコができる程繰り返された話から逃げるように、僕は席を立った。ベランダに出て、むしゃくしゃした気持ちごと煙草をくわえる。
地上四階という、なんとも中途半端な階数。僕がこの家に住んでいた当時はこの辺りでは高い方だったはずなのに、今では次々と建てられた新しいマンションやビルにすっかり抜かされてしまった。
それでも見下ろせば、多少なりとも町の様子が見渡せる。
視線の先には、すっかり古びた勝仁の家が見えた。鉄筋コンクリートの壁は色褪せ、歯科医院の看板もあの頃のままだ。日曜日とあって休診なのだろう。勝仁のものと思しき外車のセダンが一台、駐車場に停まっていた。
無意識に猫の姿を探している自分に気付き、僕はため息とともに煙を吐き出す。
当時出会ったミイという少女の面影を、今もなお追いかけ続けているだなんて、母には決して言えるはずもない。
あの夏の日――一目見た瞬間、僕は恋に堕ちたのだ。
僕の心はミイと名乗った少女に囚われたまま、彼女を探し続けている。いつか彼女のような女性と会える日を、待ち続けているのだ。
きっとこれから先ももう二度と、そんな日は訪れないと知りながら。
いつもよりも苦い気がするニコチンとタールまみれの煙を、僕はため息とともに吐き出した。
〈了〉
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