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 短時間とは言え母親が寝ている間に家出しただけあって、帰宅するなりこっぴどく叱られた。そのあと、心配したんだからと少しだけ目尻に涙が溜まっていたのが見えたのと、普段優しいだけの再婚相手が珍しく怒っていたことにも驚いた。   どこで何をしていたのか、説明を求められ簡単に公園でのことを話し、お説教の間忘れられていたラベンダーの花束を2つ手渡す。 「一緒に作った人が、これはお祝いだって。昔もラベンダーの花束をあげたことがあるって言ってたよ」  白いリボンの花束を指差しながら伝えれば、しばらく放心したように固まった後、突然はらはらと泣き出した。  母親がこんなに涙を流すところなんて初めてで、私はどうしたら良いのか分からずただ呆然とすることしか出来ず、義夫は何かを察したのか、落ち着くまでただそっと寄り添っていた。 「その人、どんな格好をしてた?」  伸ばしっぱなしのボサボサの髪に、くたびれて適当な格好をした馴れ馴れしくて変な人だったと答えれば、泣いて赤くなった目を細め静かに微笑む。  お母さんが過去にラベンダーの花束をもらったのは、人生でただ1人に、人生で一度だけ。  下手くそなプロポーズの言葉と共に、雰囲気もクソもないただの公園で。しかも髪も服も適当なのに、手渡された花束は手汗と体温でしっとり生暖かくて緊張しているのは丸わかりだった。その姿がどうにも可愛くて、お母さんは死んだお父さんと結婚することにしたのだという。 「ねえ、本当は、再婚するの嫌だった?」  腕に抱えたラベンダーの花束2つを順番に見た後、私を見る。再婚したい人がいると言われた時よりもずっと、母親の瞳は不安そうに揺れていた。  私は1つ、深呼吸をする。言葉を選ぶように、ゆっくりと時間をかけて。 「相手の人って、どんな人?嫌な人?」  母親は隣に座る義夫を見た後、また私へと視線を戻した。 「あなたの事も何より大切にしてくれる、良い人よ」  公園でのやりとりを思い出す。私が母親にしたのと同じ質問を、男は私にもした。その後、男はどんな風になんて答えたろうか。  そういえば、父親の顔なんて全く覚えていなかったけれど、私の顔は父親似なのだといつも母親は言っていた。髪も服もズボラな男の顔は、私と似ていたんだろうか。 「じゃあ良いじゃん」  一瞬驚いたような顔をした後、母親はクスクスと肩を震わせて笑う。義夫は父親の話を聞いていたのか、ただ静かに微笑んでいた。この穏やかな人と、あの騒がしくてすぐ可愛こぶる男は似ても似つかない。本人に会ったら尚更、母親の趣味がよく分からなくなった。そう思ったらなんだか私まで笑えてきてしまう。  いつの間にか、親子で馬鹿みたいに笑っていた。母親が笑うたびに揺られて、ラベンダーはふわふわと香る。  今度は笑いすぎて出た涙を拭いながら、嬉しそうに、そしてどこか懐かしそうに母親は言う。 「ふふ、その言い方、お父さんにそっくり」  6月の雨の日、明け方こっそりと家出をした。  ラベンダーの季節になるたび、多分きっと思い出す。  忘れられない、この先ずっと忘れることはない、梅雨の日の思い出。
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