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狐と狸の化かし合い
「狐と狸の化かし合い」
意味:ずる賢いもの同士が互いに騙し合うこと。
「先生! 昴くんが私にバカって言った!」
泣きながら先生に訴える女の子の名前はなんて言っただろうか。似たようなことを言われすぎて覚えていない。
「昴くん! そんなこと言ったらダメでしょ! 謝りなさい!」
テンプレのようにそう言う先生に、昴は首を傾げる。
「なんで? 2年生で習う漢字なのに読めないからバカって言っただけだよ。バカにバカって言って何が悪いの?」
小学3年生にしてそう言い放った自分に、2人が怯えたような表情を浮かべていたのを今でも覚えている。
自分は基本的に嘘がつけない。もちろん、さすがにここまで馬鹿正直に言うことは、もうしないが。人間関係を構築するにはそれなりの嘘は必要だ。
でも、根本的な考え方は大学2年生の現在でも変わっていない。最終的には自分の意志は曲げないし、言いたいことは言う。
そんな自分が好きだし、変わりたいと思ったことはなかった。
それなのに、近頃その考えが変わりつつある。
自分の目の前で惚気続けている、この友人のせいで。
「それで、その時に黒澤がさ」
大学の門をくぐってから、延々に聞かさている友人の惚気に、伊藤 昴は、思わず口から溢れそうなため息を堪える。
最近、友人に彼氏ができた。この無自覚に惚気続ける友人は志田 誠、性別は男。つまり男同士のカップルだ。
自分もどっちもいけるので、偏見は全くない。
自分の場合、相手の性別はその時の気分で決める。でも、男の方が割合としては高いかもしれない。理由は単純で男の方が後腐れなく終われるからだ。性に対する考え方は、やはり男同士の方が合うのだ。
でも、誠は根っからのゲイで、女子は苦手らしい。軽い付き合いなんてできるタイプではなく、一途で乙女思考の奴だ。自分とは正反対なタイプの人間だが、だからこそ仲がいいのかもしれない。
そんな誠の恋のキューピットは自分だったりする。もちろん俺のおかげだけとは言わないが、それでも後押ししたのは確実だ。
出会った当初よりはるかに幸せそうな友人を見ていると、キューピットとして素直に嬉しく思う気持ちと、どこか解せない気持ちとがひしめき合う。
誠は彼氏と出会うまでは、人の顔色を伺い、どこか本心が見えない奴だった。それが、今では感情が全てダダ漏れだ。言いたいことはちゃんと言うようになってきたし、出会った当初の誠とはまるで別人だ。
特定の相手なんかめんどくさいだけだったはずなのに。常に仮面をつけていた友人が恋によって素顔を見せたことを目の当たりにし、生まれてはじめて恋に興味を持ち出したのだ。
自分を変えられるほどの恋とはどんな感じなのだろうか。
最近ではそんな風に思ってしまう。
「誠、惚気はもうその辺で勘弁して」
「は!? 惚気てなんかないよ!」
女みたいに真っ白で丸い輪郭の小さい顔が、どんどん朱色に染まっていく。
ほんとに見ていて飽きない奴だ。
「はいはい、それより例の紹介の件、どうなった?」
「なぁ、ほんとに会うの……? 黒澤はそれでお礼になるなら紹介するって言ってはいるけど……」
「なるなる! 黒澤の先輩なんて絶対レベル高いじゃん! 年上憧れるし!」
誠の彼氏の黒澤 陽太は、モデルのような身長とアイドルなような甘いマスクを兼ね備えている、学内でも有名なイケメンだ。男女共に友人が多い。ちなみにゲイであることも有名で、それでも人気を保持できるほどの人間的信頼を勝ち取っている奴だ。
そんな彼がお世話になっていたという男性の先輩を、自分に紹介してくれると言うのだ。
普通に過ごしていたら出会うことはないだろう人を紹介してくれるなんて、飯を奢ってもらうより、高い洋服を買って貰うより断然嬉しい。
「わかった……。じゃあ黒澤に伝えとくよ。でも紹介してもらうからにはちゃんとしろよ」
「ちゃんとって?」
「いや、遊びとかじゃなくて、真摯に向き合えよって」
誠のまっすぐな言葉に少し胸が痛む。この痛みの要因が罪悪感なのか、自分とは正反対な友人に対する嫉妬なのかはわからない。
所詮は男同士だ。正直、両方いける自分的には末永く付き合おうとは思えない。
反面、男同士でも全てを曝け出せるような相手と出会い、心底幸せそうな目の前の友人を見ると、やはり羨ましくも思う。そこに性別は関係ないようにも思う。
昴はマーブル模様のように渦巻く複雑な感情を飲み込み「わかってる」とつぶやいた。
帰宅すると、すぐに黒澤から連絡先が送られてきた。早速メッセージを送ってみる。
[はじめまして。黒澤くんの友達の昴です。とりあえず、来週辺り会いませんか?]
性急すぎるかとも思ったが、メッセージは苦手だ。会わなきゃ何もわからない。すぐにスマホが光る。
[はじめまして。春樹です。何曜日にする?]
-あ、同じ人種かも。
直感的にそう思った。
その後もメッセージは淡々と進み、来週の金曜日に会うことで話がまとまった。日時が決まってからは、無駄なメッセージはなく、さっそく好感度が高まった。
待ち合わせ場所の駅前のカフェに着くと、帰宅ラッシュと重なり、あたりは混雑していた。見つけられるだろうか、そんな不安がよぎったが、杞憂だった。
スーツを着こなしている高身長の男性は、混雑する道中で一際目立っている。清潔感のある黒い髪は、前髪を横に流したショートマッシュに整えられ、尖った顎、切れ長な瞳を持つ美しい男性に思わず見惚れてしまう。黒澤からはアラサーと聞いていたが、とてもそうは見えない。
軽いパーマのかかったショートヘアの自分の髪型が、途端に子供っぽいように感じる。気休め程度に前髪を軽く手で整え、小さく深呼吸をした。
「春樹さんですか?」
「あ、昴くん?」
スマホから顔を上げた春樹は特に表情を変えずに、こちらを見る。
真正面から見ると、彼の顔が整っていることをより一層実感する。
「そうです。お仕事帰りにわざわざ来てもらっちゃってすみません」
「あれ、そんな気遣うタイプって聞いてなかったけど」
「あ、じゃあもう素でいくっす」
そう言うと、春樹の薄い唇の両端が少し上がった。
綺麗だ。素直にそう思った。
カフェに入ってから、まずはありがちな話題で盛り上がる。趣味とか、大学の話とか、仕事の話とか。
さすがに社会人なだけあり、どの話題にも春樹はうまく返してくれ、話していて心地がいい。
「昴くんはどんな恋愛してきたの?」
平和な話題がひとくぎりついたところで、春樹が本題といった風に聞いてきた。
「どんなって、別に普通ですよ。どっちもいけるんで付き合ってた数的には多めかもですけど」
「そっか、若くていいね」
春樹は静かに微笑んだ。でも、目は笑っていない。だからといって、怒ったり悲しんでいる様子もない。
それなのに、どこか距離を取られた感じがした。
「春樹さんこそモテるでしょ?」
「まぁ、否定はしないかな。長くは続かないけど」
「それは相手が選び放題だからってこと?」
言ってから、少しデリカシーがなかったかなと感じる。こういうふとした所で、正直者の自分が姿を現す。
春樹は乾いた笑いを浮かべる。
「違う違う。フラれるのは大体俺の方だよ」
「え、なん」
「そろそろ混んできたし、出よっか」
逃げるように話を遮られた。春樹は席を立ち上がり、昴に有無を言わせない。
自分は察しがいい方だ。でも、この人の感情はとにかく読めない。
昴はこれまでにない戸惑いを感じた。
とりあえず今日はここまでだろう。贅沢を言えば、次回の約束を取り付けたいところだが。
春樹のことをもっと知りたい、戸惑いの中、この感情だけはたしかだった。
「春樹さん、次なんですけど」
「とりあえずホテル行く?」
「え」
あまりに唐突な提案に思考が停止する。
「そのつもりで来たんでしょ? 俺もちょうどワリキリの関係の人欲しくてさ」
その指摘は間違いではない。でも間違いでもある。言い換えれば理想と現実だ。理想は特定の相手と、自分を変えられるほどの恋をしてみたい。でも現実は性的嗜好の合う男性と軽い関係を続ける方が楽だ。
そして、春樹にとって、自分は圧倒的に後者の役回りなのだろう。
自分にとってはどうだろうか。
それがわからない。普段だったら圧倒的に後者を求めるだろう。でも、このほんの1時間足らずで春樹には今までにない魅力を感じた。自分にも本気の恋ができるのでは、そんな浮ついた予感すら覚えている。
同時に、セフレとしても理想的な男性であるという確信に似た予感もある。
矛盾した2つの予感。いや、もしかしたらこの2つは必ずしも二律背反な事象とは言えないのではないだろうか。
身体からはじまる本気の恋だってあるのではないだろうか。
そうだ、ここで断ってしまったら、そもそも何もはじまらないかもしれない。
都合よく思考が巡っていく。
「行きましょう、ホテル」
自分の欲望に必死に言い訳をし、してしまったこの選択を、俺は酷く後悔することになる。
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