231人が本棚に入れています
本棚に追加
驚きのあまり言葉を失っている誠を、黒澤が不思議そうに見つめている。
なんでこんなとこにいるんだ、と焦るものの、よく考えたら同じ家に住んでいるのだから、帰路で出会うのは、そうおかしな話ではない。
黙りこくる誠を他所に、黒澤が弾んだ声を上げる。
「え! 黒猫じゃん! かわいいっ!」
黒澤はまるで子供のようにそう言うと、焦げ茶の綺麗な瞳を輝かせる。印象とは異なる反応に、思わず唖然としてしまう。
「あ、志田くんもしかしてこの子拾おうとしてたの?」
急に名前を呼ばれたことに驚きつつも、口と身体に動け!と命令を下す。なんとか、口だけは言うことを聞いてくれるようだ。
「えっと……いや、まぁ……」
しかし肝心の言葉がなかなか出てこない。自分は想像以上に動揺しているようだ。
そして、焦りや困惑という感情は、自覚すると、さらに加速していくものである。
─どうしよう……。これ以上こいつとは関わりたくないけど、黒猫を見捨てるわけにもいかないし……。よしっ! とりあえず黒猫を連れて逃げよう!
誠は困惑のあまり、黒猫に触れることすらできていない現状を忘れ、そんな結論を導き出した。
「あの、ご迷惑おかけしました! とりあえずこの子連れて帰るんで! じゃあ!」
黒猫の上から覆い被さるように、脇のあたりを掴もうとする。その瞬間、右腕に衝撃が走る。
「いっ……!」
発した悲鳴と共に、慌てて右手を上に挙げると、その手を黒澤に力強く掴まれる。
「ちょ、何やってんの!? そんないきなり抱っこしたら警戒するに決まってるじゃん! ほら、とりあえずこれで拭いて!」
黒澤はどこか焦った様子でそう言うと、ポケットからハンカチを取り出し、誠の傷口にそっと当てた。青いハンカチが、傷口に触れた場所から、徐々に赤く染まっていく。
「す、すみません……弁償するんで……」
「いいから。そんなことより志田くん猫慣れてないの?」
誠の言葉をぴしゃりと遮断した後、黒澤は強い眼差しで問いかけてくる。
「触ったこともないです……」
「……はぁー。よくそれで連れて帰ろうと思ったね」
血を流し冷静になったこともあり、本当にその通りだと思った。
自分の衝動的な行動に、じわじわと恥ずかしくなってくる。そして、それを黒澤に指摘されたことが悔しいのか、悲しいのか複雑な気持ちになった。ただ、黒澤に迷惑をかけたことはちゃんと自覚していた。
そこは反省しているので、ここは素直に謝るしかない。
「本当にすみませんで」
「とりあえず、俺が一緒に連れて帰るよ」
言いかけた謝罪に被さるように黒澤が放った言葉に、誠は目を丸くする。
「え?」
「だって志田くん猫、抱っこできないでしょ。俺、実家で猫飼ってたから慣れてるし、一緒に志田くんの部屋まで連れていくよ」
急展開すぎて頭が追いつかない。
再び言葉を失っている誠を他所に、黒澤は黒猫へと近づいていく。
「怖がらないで。大丈夫だよ」
そう言いながら、黒澤は黒猫の頭や顎の下を優しく撫でる。
「急に抱っこするんじゃなくて、こうやって徐々に慣れさせていかないと。この子、人懐っこそうだね。そろそろ平気かな……」
黒澤はそうつぶやくと、慣れた手つきで、ひょいっと黒猫を抱えた。
「え、すごっ……」
誠は思わず感嘆の声を上げてしまう。
「ほら、行くよ」
夜風に髪を靡かせ、黒猫を抱えながら振り返った黒澤の姿は、まるで一枚の絵画のように綺麗だった。
美しい絵画に吸い込まれるかのように、誠は自然と黒澤の後を追いかけていた。
最初のコメントを投稿しよう!