第十四話 刺す音

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【強い怨念を持ってあの世にいった者はその念とともに永劫にそこにとどまる。永劫にのがれることはできない】 あの時はたまたまには遅くまでやっていこうと思ったのだ。 いつもはそんな時間までは仕事はしない。 自分には人とは違う物が見える時があるからだ。しかしあれほどにリアルに聞こえたことはなかった。 「珍しいね」 年下の女上司の鴨下さんは嫌味を言わせたらプロみたいな人だ。今、私がやっている仕事だって、彼女がやっても良いくらいなのに手伝いはしない。 ここは雑居ビルが並ぶ商店街の外れ。私は小さなリフォーム会社で働いていた。 表通りに面している入口にはカウンターがあって、来店したお客さんはそこで対応する。奥には事務机が並んでいて、その更に奥が、給湯室とトイレになっている。 ビル入口の横から階段で上の店舗に上がるようになっていて、エレベーターはない。 二階には美容室 三階にはエステサロン 四階は私がここに来てからは空室になっていた。 「じゃあねー」 鴨下さんは鞄を肩に掛けて軽い感じで帰っていった。 時計は10時を過ぎていた。 二階の美容室は遅い時には11時くらいまで灯りが点いている。スタッフ同士で練習したりしているらしい。 その日も11時近くになるまでは数人居たのだろう。しかしその後は物音が一切しなくなった。あの奇妙な音を除いては。 今晩、ここまで遅くまでやらなくていけなかったのは明日の朝一番に見積もりを届けるアポイントがあったからだ。無理ばかり言う人で、元は鴨下さんのお客さんだ。 はー 誰も居ない事務所で声を上げて、両手を伸ばした。 背筋を伸ばして、ゆっくりと立ち上がった。横目で壁の時計を見た。 あと30分だな 12時を少し過ぎていた。 コピー機の上にある唯一の窓はビルの入口と階段の間にあった。針金の入った厚い、曇りガラスだったが、こんな所に、なぜ窓を作ったのかと不思議に思っていた。 そのままトイレに行き、用を済ますと洗面台の鏡を見ながら、頭の上のほうの髪を ツツっ と、引っ張って直した。鏡に背中を向けた時 ブスっ と何かを刺す音がした。それは何か細い物で、枕とかソファーとか、そんな物を刺す音だ。 鏡は振り返らなかったが、トイレのドアを閉める手が止まってしまった。 ブスっ まただ。 今、ここはとても静かな状態だ。日中なら他に音があり、何かと混ざって、よく聞こえない音も鮮明になる。 ブスっブスっ 今度は刺す勢いが増した。 またやつらだ。そう直観した。この感覚は生まれ持ったものだから、仕方がないと諦めてはいるのだが いつもゾッとする。 早く終わらせて帰ろう。 わざと強くドアを閉めた。 席に戻り、椅子を引き、パソコンの前に座った。私の席はトイレから一番遠い所にある。列の一番上座が鴨下さん、私は一番下座でパーテーションが右側にあり、その向こうはカウンターだ。 数秒は聞き耳を立てた。 もしあれがこの世の物ではなかったとしても私に危害を加えてこないこともわかっていた。 トイレにいるだから。 そう言い聞かせて、キーボードに手を置いた瞬間 ブスっ と、頭の上でなった。 ヤツは上にいる。 じっと動かず、キーボードの上に置いた手を握りしめた。 ブスっブスっ 今度はカウンターのほうで鳴った。それは私の頭の上で移動したのだ。 そして次は ブスっブスっブスっブスっ と、さっきより力強く何かを刺している。 しばらくすると音は止む、そう信じるしかなかった。体は固まったままだ。 ああ、ダメだ。 さっきより感覚が鋭くなっているのがわかった。その音に体が反応して もう存在を完全に意識してしまっている。こうなると自分自身が持っていかれないように逃げるしかない。 私は知らないふりをしてゆっくりと席を立った。パソコンの電源は付けたままにした。 机に置いてあるスマホとハンカチを鞄に入れた。 あとは電気を消すだけだ。 この事務所には電気のスイッチが数カ所ある。 事務所とカウンターはコピー機の隣の壁にある。他はトイレの中だ。 電気を消したら、トイレと給湯室の横を通り、裏口から出ればいい。 そう思い、まずコピー機の隣のスイッチを消そうと向きを変えた。 今、どこにいるんだ? もう数分は音はしてない。いや1分も経っていなかったかもしれない。とにかく長く感じたのだ。 どこからか急に出てこないか そんな緊張感で全身がさらに硬くなっていた。 窓は見たくない。 もしその曇りガラスの向こうに何かが張り付いていたりしたらと思うと生きた心地はしない。 壁のスイッチだけを見て、コピー機の横に手を伸ばした。 カチ 小さな音が事務所の中に響いた。 そのまままっすぐにトイレに行きかけた。 ブスっ 奥歯をグッと噛んだ。今度は上からじゃない。私の居た、机の下あたりから聞こえたのだ。 ヤツはこの部屋の中にいる。 その時、それが何の音であるかがわかった。 この事務所にもいくつもあるもの。 トライバーだ。そう、ネジを回すのに使う、あのドライバーだ。 それで何かを強く、しつこく刺しているのだ。 ブスっ ブスっ ブスっ 今度は間隔が一定になってきた。私はその情景を想像した。手に強くドライバーを握りしめ、目標に向かって、勢いをつけて、刺している。生きている人間なら普通じゃない。 人とは違う感覚というのはこういうことだ。 霊が見えるとか金縛りにあうとか、そういう単純なことではなくて、何か強い念を感じることがあるのだ。 もうここには居られない。 私の机の辺りから聞こえてくるその音から早く逃げないといけない。それでも気づかないふりをして、裏口に向かった。トイレの電気は点けたままでいい、あのドアを開けて、もしこれ以上の苦痛があったら、耐えられない。 私は裏口のドアノブを持って、ゆっくり引いた。そして鍵を閉めるために事務所のほうを振り返ると ずっと奥のほうで ブスっ ブスっ ブスっ という同じ間隔で、小さく聞こえた。 数日後、それでも私はその会社に勤めていた。こんなことくらいで辞めていたら切りがないないからだ。ただ一人にはならないように気をつけている。 あの現象は何なのか、このビルで昔、何があったのか、それとも私に憑いてしまった物なのか。 鴨下さんは相変わらず帰るのは私より先だ。最近は7時にまで居たことがない。夜は私と若手2人がいつも残っている。 しかし、その音は鴨下さんの足元でも鳴ることがある。 ブスっブスっブスっブスっ 力強く、何度も何度も刺している。 しかし彼女は気づいていない。
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