4. ピラミッドを建てよう・建築編

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4. ピラミッドを建てよう・建築編

 ピラミッドは切り出した石を積み上げて造る。  正確に直方体な石を切り出す必要がある。使う道具は、糸巻きと錘で作る垂直線だ。  上面と下面には、滑らかな平面が必要だ。妙な出っ張りがあると、石を水平に積み上げられない。積み重ねていくと、出っ張りがつぶれて、石が傾く。ひいては、石積みが倒壊してしまう。荒削りな石は高く積み上げられない。  使う道具は、水だ!  荒削りした上面に水を張る。水面から出たところを削る。石を削って出た砂は、研ぎ粉として使う。つるつるに磨いて、真っ平らになった面と面を合わせれば、摩擦面積は最大となる。4000年経っても崩れない建築は、磨きの技術のたまものだ。  水研ぎの技術は、現代ではとても洗練された。ミクロンの単位までデコボコを除去するほど。カメラのレンズの研磨や、車軸の仕上げ研磨、あらゆる場所に研磨がある。  ピラミッドの中心には、磨き込まれた花崗岩を積んだタワーがある。通年雇いの職人集団が造った。  その周囲に、ちょっと荒削りな石灰岩が積まれている。ナイル川が氾濫した時期の、季節工たちが造った。  中心に硬く重い花崗岩を使い、周囲には柔らかめで軽めな石を使う。鉄筋コンクリートの元祖な構造と見ることもできる。  周囲の石灰岩部分が崩れて、中心の花崗岩タワーが露出したピラミッドが残っている。大雨が降ったのか、地震に遇ったのか。  石を持ち上げ、積んでいく過程では、テコが使われた。石の右側と左側にテコを置き、少しずつ持ち上げる。右に左に揺らして、1回の揺らしで数センチずつ持ち上げる。  イギリスのストーンヘンジで、人力でテコを使い、石組みを作る実験が行われた。参加したのは30人ほど。数トンの石を5メートルの高さに持ち上げるのに、半日ほどでオッケーだった。  我に不動の支点あらば、大地をも動かす! と豪語したギリシャの賢人もいた。  強力な金属ワイヤーが発達して、現代の建築現場ではクレーンが一般的になった。テコを使う技術は失われた。ま、クレーンの中にもテコの原理は生きているけどね。  南太平洋のイースター島で、山で切り出されたモアイ像は海岸まで歩いて行った。像の頭部にロープをかけ、左右に振って歩かせた。  これもテコの原理の応用だ。  巨人がのっしのっしと歩く光景は、正しくお祭りのハイライトだったろう。  古代の巨石文明は、実はテコ動力の文明であった。  高く石を積み上げると、その重みで地面が少しだけ沈む。  石を水平に積んだはずが、出来てみれば、ミラミッドの中心に向かって石組みは傾いていた。まあ、当然だね。  初期のピラミッドでは、地盤が軟らかくて、石組みの傾きが大きくなりがちだった。後期のピラミッドでは、地盤の選択が慎重になり、固い地盤の上で石組みの傾きは小さくなる。  中心に向かって平均に地面が傾くのは良いのだけれど・・・世の中は、なかなかうまくいかない。時には、右か左に偏ってしまう場合が。そんなピラミッドは早期に倒壊するだけだ。無様にも傾いたピラミッドは建設中断。たちまち解体されて、次のピラミッドの材料になったはず。  傾かないようにするのが、建築屋の頭の使いどころ。  何より、中心のタワーが真っ直ぐ建っていれば、周囲が傾いても修正はできる。中心のタワーの垂直を、いかに確認するか?  使う道具は糸巻きと錘だ。  タワーの中心に垂直の穴を作っておこう。穴の上から錘を付けた糸を垂らす。糸の強度を考えれば、長さは5メートルくらいか。丈夫な糸を使えば、10メートルくらいも可能だろう。  穴の底には、水桶を置こう。木の水桶では、軽いから動きやすい、重い石の器を置こう。  錘の先が水面に触れるようにしておく。タワーが傾けば、錘は器の端へ移動する。  ピラミッドの高さが100メートルを超えるなら、錘が1センチ動いても大事件だ。  建築の始めに、20メートルくらいの花崗岩の中心タワーを建てる。そして、数年は放置する。地面の沈下はゆっくり起こるので、この時間が重要。  タワーの垂直が崩れないと確認したら、周囲の石積みを行う。  ピラミッドの高さが30メートルくらいまでなら、こんな垂直保証装置は底に1箇所あれば良いだろう。でも、クフ王のピラミッドは高さ150メートル、垂直保証装置は上と下で2箇所くらい欲しい。  後世の墓場泥棒たちは、そこを王の間と呼んだ。天上が高いだけで、何の飾りも無い不思議な部屋だ。その部屋にある最も貴重な財産は垂直と水平、金だけが目当ての泥棒には見えない宝であった。  こうして造られたピラミッドだが・・・このままでは、1000年と保たないだろうなあ。  現代では乾燥したエジプトだけど、建設当時は緑豊かで、けっこう雨も降っていた。雨はピラミッドの表面から内部に浸透して、石と石の間隔をじわじわと押し広げるのだ。そして、ピラミッドは内部から破裂するように、ひでぶっ、と倒壊してしまう。  水抜きの穴を作っておこう。日本みたく雨の多い所じゃないから、そんなに多くはいらない。  石積みの中段から、斜めに中心へ向かう穴を作る。穴はピラミッドの下へと続き、地下のトンネルをナイル川へつなぐ。これにて、ピラミッドの中にしみ込んだ水は、石組みを締めながら中心部に集まり、ナイル川へ流れていく。  こうして、建設から4000年、ピラミッドはエジプトのアイコンとして偉容を誇っている。  すごいぞファラオ、すごいぞエジプト人!  やがて、エジプト人は小さな石を積み上げるのに飽きてしまう。より大きな石を切り出し、移動して、積み上げる技術が確立すると、巨石列柱建築の時代へ移行するのだ。  しかし、ローマ帝国がエジプトを支配すると、巨石建築は解体されて、地中海の対岸へ運び去られてしまう。現在でも、ローマの市内にはエジプトの巨石列柱建築のなごりが見て取れる。   ローマ時代の後半、コンクリートが発明された。軽いコンクリートなら、内部空間が大きくとれるドームが造れた。巨石建築は時代遅れになって、それにまつわる技術は忘れられる。
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