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火曜日には、いつも、兄の部屋から『G線上のアリア』が聴こえた。
清らかに柔らかく……ときおり、ほんの少しだけ、ススリ泣くように震えながら……巧緻で無邪気なヴァイオリンの旋律が、僕の魂を侵食した。
僕の、気付かぬうちに。
あの頃、6歳年上だった兄の朝彦は、毎週1回・火曜日の午後に、父が科長をつとめる国立病院の脳神経科に通院していた。
兄は、いわゆる「サヴァン症候群」だと言われていた。
映画「レインマン」に出てくる重度の自閉症の主人公のように、精神的な発達障害を抱えながら、同時に、特定の分野に関しては常人を凌駕する天才的な能力を持つという、奇跡のような人種の1人だったのだ。
ダスティン・ホフマンが演じていた「レインマン」の主人公の場合は、数字に関して驚異的な速算能力を披露していたが、兄の朝彦の場合、それは、音楽の分野に関して著しく発揮された。
兄と別離した13年前の日……あの当時、兄は18歳で、身体的には年相応に伸びやかに発達していたものの、学力的には、幼児向けのヒラガナの絵本をたどたどしく音読するのが精一杯だった。
音楽に関しても、ベートーベンやモーツァルトの名前も知らず、第九やトルコ行進曲などの有名な名曲のタイトルすら一つも覚えることはできなかった。
にも関わらず、朝彦は、たった一度だけ曲を聴けば、その旋律を少しの間違いもなく完璧に五線譜に書き起こすことができた。
また、たった一瞬だけ楽譜を目にすれば、まるっきり同じ楽譜を複製することができたし、楽器があれば、譜面どおりの旋律を即座に演奏することもできたのだ。
ピアノ、ギター、フルート……誰に教えられるでもなく、兄は、どんな楽器を与えられても、たちまち自在に演奏することができた。
それも、一流の音楽家をうならせるほど完成度の高い腕前で演じ上げたのだ。
もっとも、トランペットやサックスの管楽器だけは、演奏するのをイヤがった。
兄いわく、「カミナリのような音が出るから怖い」のだそうだったが。
そんな兄が最も愛好した楽器は、ヴァイオリンだった。
僕の部屋よりずっと広かった兄の部屋には、たくさんの楽器が置かれていた。
医学者であった父が、もっぱら「サヴァン症候群」の顕著な症例を身近で観察する目的のためにそれらを惜しみなく買い与えたのだったが、ヴァイオリンだけは、母からのプレゼントだった。
母は旧華族の名家の出身で、そのグァルネリ・デル・ジェスの名器は、外交官僚だった曾祖父がイタリア渡航の際に入手した逸品であり、いわば、戦後に没落した名門の家柄にただ一つ残されていた家宝だった。
母は、彼女自身の繊細な美貌に生き映しの長男の朝彦を、大変に溺愛していた。
なにより、汚れを知らない無垢な赤ん坊のままの兄の無邪気さを、こよなく慈しんでいた。
兄の部屋の窓辺の揺り椅子に座り、幼い子供向けの玩具や絵本に夢中になって興じる兄の姿を、優しく微笑んで見つめながら、毎日の大半の時間を過ごしていたのだ。
かたや、両親のどちらにも全く外見が似ていなかった僕は、母の鋭敏な感受性も、父の優秀な頭脳も受け継がせてはもらえず、十人並みの器量に凡庸な知能を持った平凡な少年の見本のようなものだった。
父は、自分の優れた才気の因子が少しも僕に遺伝しなかったと早々に悟ると、僕への期待も興味も完全に失った。
父にとって、僕は、しかるべき時期まで保護者として養育すべき義務を父に負わせただけの対象であり、それ以上でもそれ以下でもなくなったのだ。
つまり、僕は、物心ついたときから父に無視され続けて過ごした。
しかし、それすらも、兄を偏愛するあまりに、弟である僕をこれ見よがしに冷遇した母の偏狭に比べれば、よほどマシだったのだから。
思い返せば、幼少期の僕は、今の僕の性格からは想像もつかない、ずいぶん活発でヤンチャな子供だったのだ。
学区内の公立小学校に入学してから間もなくの授業参観で、僕のクラスは、国語の教科書に取り上げられていた童話を題材にして、寸劇を披露することになった。
そのとき、僕は、同級生たちの支持を受けて、ヒロインの王女を悪い魔女から救い出す王子の役に抜擢された。
僕は、得意満面で、その役を演じた。
子供なりに、台本どおりに堂々と演技をしたものである。
事実、教室の後ろに集まっていた父兄たちは、オザナリの社交辞令を超える拍手喝采を浴びせてくれた。
担任の教師も同級生たちも同様に、その日の寸劇の成功は僕の活躍によるところが大きいと口々にホメそやしてくれたのだ。
だが、しかし、上機嫌で下校した僕に、先に帰宅して待ちかまえていた母は、玄関先でいきなり、
「あなたのお兄さんは、普通に学校に通うこともできず一人きりで毎日寂しく過ごしているのに。いい気なものだわね、夕司は。お兄さんが不憫じゃないのかしら」
と、長いマツ毛に涙をためながら、ヒステリックにわめいたものだ。
「調子に乗って出しゃばって、みんなにチヤホヤされて。さぞや楽しかったんでしょうね。お母さんは情けなかったわ。まるで道化を見ているみたいで。いたたまれなかったわ」
白くなめらかな頬は悲しみと怒りに紅潮して、小刻みに痙攣さえしていた。
あの日を境に、僕は、集団の中で頭角を現そうとするような言動をいっさい自分に禁じた。
謙虚に控え目に大人しく、絶対に他人より目立たないようにしようと……ベッドにもぐりこみ、枕に顔を埋めてムセび泣きながら……そう心に決めたのだった。
我が家の中心は、兄だった。
父は、兄の特殊な能力に尽きせぬ期待と興味を持ち、母は、兄の不憫さと、赤子のままの純粋さを盲目的に可愛がった。
そして、僕は……
僕は、オカド違いにも、兄の非凡さと無邪気な心とをねたみ、憎しみ、嫌悪して。
同時に、焦がれるほどに崇拝し、枯渇するほどに欲していた。
誰よりも忌まわしく憎悪する存在を、誰よりもヨリドコロにしてしまう悲劇。
とはいえ、屈折してイジケきった惨めな僕には、それは、まんざら苦しいばかりでもなく、ステバチで自嘲的で卑屈な自己陶酔に、自虐的な愉悦を覚えることも少なくはなかった。
まるで、不毛な麻薬におぼれるみたいに。
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