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夏祭りの喧騒 5
山を下り、じいさんの軽トラに揺られること十五分。
その間に荷台で長靴から運動靴に履き替え、委員長に電話して、駿が見つかった事を伝えた。
「よかったー」と喜ぶ二人に、先に回していた捜索願い(?)への礼だけ頼み、今からなら十分花火見物できると、俺も胸を撫で下ろした。
こんな事に巻き込んで、せっかく綺麗に着飾った姿を誰にも見てもらえないなんて、悲しすぎる……というか俺が心苦し過ぎる。
下山する間に辺りは夜の帳が下りて、点在する外灯の明かりが国道沿いをかろうじて照らしている。
田んぼの真ん中を通る農道を飛ばし、ようやく久住が「光ったのを見た」と言った、相原の作業場に到着した。
ただし私有地の為、建物まで続く道は農道から分かれた所で杭と鎖によって封鎖され、歩きでないと入れない。
ヘッドライトに照らされた前方に、止めてある二台の自転車を見つけ、少しほっとして荷台から降り、運転席に声を掛けた。
「おじいさん、ほんとありがと、助かった。急に無理言ってごめん」
還暦をとうに過ぎたじいさんをタクシー代わりにした事を謝ると、
「お前の突飛な行動は今に始まったことじゃないだろう?」
苦笑いで返され、もう一度「ごめん」と顔の前で両手を合わせた。
「で、このまま帰っていいのか? 荷台なら八人くらい乗ってもかまわないが」
――いや、それ違反だから。
心の中で突っ込んで、「ありがと」と答えた。
「大丈夫。自転車の奴もいるし、みんなで花火見物でもしながら帰るよ」
あくまで希望だけど、と、これも胸の内で思う。
「そうか。なら気を付けてな」
「あの、色々と助けていただいて、ありがとうございました」
隣から久住もぺこっと頭を下げた。「お借りした上着も汚してしまって……」
申し訳なさそうに頭を垂れる久住に、じいさんが窓越しに目を細めた。
「何、構わんよ。それより怪我でもしてたらいかん、帰ってちゃんと見てもらうように」
「はい。すみませんでした、先輩まで巻き込んで」
身内に気を遣っているのか、重ねて謝罪するのを豪快に笑い飛ばした。
「ハッハッ、山道でスライディングか、グラウンドより迫力があったろう」
呑気とも思えるそのからかいに、
「ええ。怖かったです」
真剣そのもので答える久住に、じいさんも「いやいや」と顎を撫でた。
「下りで三メートルは近すぎたな」
自分の助言を振り返り、「若い者の勢いを忘れとった」
と、苦笑混じりに呟いたのが俺達にもしっかり聞こえ、二人顔を見合わせて苦笑いが浮かんだ。
「あまり遅くなるなよ」と声を掛けて車を発進させる。
少しだけ見送って鎖を跨いだ。
「急ごう久住」
「はい、…タタッ」
同じように鎖を超えかけた久住の口から、呻き声が漏れた。
「あっ、悪い、大丈夫か?」
急かした事を謝ると、
「平気です、行きましょう」
痛みに顔を顰めながらも小走りで駿の元へ急ぐ。その後を追って俺も駆け出した。
緩い坂道を走ること一分弱、木立の奥にライトの明かりを見つけた。
「やっと来た。遅いんだよ、お前ら」
先に声を掛けられて、「雅也?」と声の主を確認した。
「駿は!? いたのか? まだいるんだろ?」
一番気になって仕方なかった事を口早に訊くと、別の声が答えた。
「いるのは確認できたけど……」
言葉尻を濁した孝史が懐中電灯の明かりを俺に向け、「ワッ!」と声を上げた。
「どうしたんだ瑞希!? そのカッコ」
結構なボリュームで叫ばれて、照らされた自分の姿を見下ろした。
「そんなに酷い?」
近付きながら訊いてみると、
「僻地からの生還? みたいになってんぞ」
雅也も呆れ声で言う。
それがどんなものなのか今一図りかねるけど、今はそれどころじゃない。
「ちょっとしたハプニングだよ。山を下りてる途中で転んだんだ」
適当に言い訳したら、雅也がすかさず突っ込んできた。
「瑞希が? マジかよ」
言いながら、俺の服に付いた泥や草の実を叩き落とす。
「いえ、俺が先に滑って、吉野先輩に後ろから蹴り入れたみたいになったんです」
すみません、と馬鹿正直に話す後輩に、苦笑しつつ手を振った。
「気にするな、怪我したのは久住―って、俺達の事はいいから、駿、どうなったって?」
取り合えず北斗が着いたならこっちも心配いらないと思うものの、状況はやっぱり気になる。
「それが、返事がないんでわからないんだ」
心配そうな孝史の説明に、首を捻った。
「何でそれで中にいるってわかったんだ?」
「ここに着いた時、外の様子はまだぼんやり見えてた。で、建物の正面から裏の入り口まで、人が通った跡みたいに草が踏まれてるのに気付いて、間違いないって結論に達した」
「……返事がないって、…生きてるよな?」
恐る恐る一番の心配を口にする。
途端「アホ」と、額を人差し指で弾かれた。
「心配いらねえよ。それより成瀬がやばい」
一笑に付した雅也の口から出たのは、別の――思いもしない北斗の不調だった。
「え、北斗? どうかしたのか?」
全面的に当てにしていたのにあっさり裏切られ、何がやばいのか見当もつかない。
「さあ?」
首を傾げた孝史に続き、
「デジャビュがどうとか言ってたけど」
雅也が、ここに着いてからの様子を簡潔に伝えた。「入り口のドア叩いて呼び掛けてる内に、気分悪くなったって座り込んじまった」
それを聞いて、言いようのない不安に襲われる。
まさか本当に、墓地をうろうろしたせいで悪い霊にでも取り憑かれた、なんて事ないよな。
一年前の、和彦の一件とダブったなどとは思いもせず、つい自分の苦手なものを想像して結び付けてしまう。
この暗がりが、恐怖心に拍車をかけていた。
とにかく会わないと始まらない。
そう思い勇気を奮い起こして、二人に訊いた。
「今どこ?」
「裏の事務所? の入り口。正面のシャッターは鍵掛かってて、足跡を辿って裏に回ったところで普通のドアを見つけたんだ。けどそっちも鍵が掛かっててお手上げ状態ってわけ」
事情を聞きながら、四人揃って歩き出す。
懐中電灯を持つ俺と雅也が先に、その後ろに久住と孝史がついて来た。
雅也の持つ懐中電灯で足元を、俺はその先を照らしながら、逸る気持ちと、腰が引けそうな身体、相反する自身を宥めつつ、闇の中を慎重に進む。
どちらもピンポイントしか照らさないタイプらしく、範囲が極めて限られてしまう。
外灯もなく、木立が枝葉を茂らせている為、外部からの微かな明かりさえほとんど届かない。
そして何より、みんななぜか一言も口を利かない。
押し黙った中、草の擦れる音だけが異様に大きく聞こえた。
建物の側面から裏に回った途端、本当にもう何も見えなくなった。
指を伸ばしても、何かものに触れるまでその存在にも気付かないほど暗い。
引き込まれそうな闇の中、一足一足慎重に進む。
前方にばかり気を取られていた俺は、すぐ横、建物の基礎になっているコンクリートの段にうずくまる人影に、びくっと怯えた。
二つの塊が同時に動く。
雅也がライトを向けた瞬間、心臓が止まりかけた。
「ッ!? ギャ―――ッ」
上げた大絶叫は、後ろからの大きな手によって遮断された。
半分涙目で振り仰ぎ、辺りに可愛くもない悲鳴が響くのを久住が咄嗟に止めたと察し、ふーっと倒れそうになる。
口元を赤紫に変色させた智哉の顔が、怖すぎた。
「先輩っ! しっかりして下さい」
後ろから抱きかかえるように支える久住に、成す術なくしなだれかかった。
「バカ瑞希! なんて声出すんだ、びっくりすんだろッ」
俺のオカルト嫌いは同級生には周知の事実。
容赦ない突っ込みを入れる雅也の隣で、取り落としてしまった俺の懐中電灯を拾い上げた孝史が、心配そうに顔をのぞき込んだ。
「大丈夫か? 瑞希」
「……は、ハハ、アハハハ」
驚きすぎて笑えてくる。
「不気味な笑い止めろ」
雅也に嫌そうに言われても、半分腰が抜けかけて一人で立つこともままならない。
「だって~~、怖かったよぉ」
力の入らない膝を自覚して、情けない姿でこんな目に遭わせた張本人に文句だけは言う。
「智哉ぁ、その顔こっち向けんなよ~」
完璧な八つ当たり。にしたって愚痴の一つも言わずにいられない。
「俺のせいじゃねえし」
ボソッと零した智哉の隣で、クックッと笑いを堪えてる奴が、見えないけどわかる。
……こいつ、気分悪いとか言ってなかったか?
ジロッと暗闇に向かって睨みかけた時、身体がふわっと宙に浮いた。
「うわっ」
思わず声を上げて、傍にあるものに必死にしがみ付いた。
久住が俺を抱き上げたとわかるまでに数秒。
しかも、まさかのお姫様抱っこ。
「ちょっ、…おいっ、待て久住! お前…そんな軽々と……」
俺のプライド、男心は?
「しゃべらないで、舌噛みますよ」
「ぐっ………」
確かに、このまままま歩かれたら舌も噛むだろう。
そう思い、つい素直に口を閉ざした。
雅也が、久住の動きを助けるように足元を照らす。
一体どこに連れて行くんだと思いきや、数歩だけ歩いて立ち止まった。
「成先輩、腕、貸して下さい」
言いながら座り込む北斗の膝の上に俺を下ろす。
あわわ、と、うろたえている間に両腕でしっかり受け止められ、膝の中にすっぽり収まった。
「なっ、何でわざわざこんなとこに下ろすんだよッ、そこら辺でいいだろ」
喚く俺に、孝史がスポットライトの如く光りを当てて、プッと噴き出す。
同じく、ライトアップされた俺達を見下ろして、久住が満足そうに笑った。
「先輩、くらげみたいになってるんで、適当な場所に下ろして引っくり返られるよりその方が安全でしょ」
「だ、大丈夫」
「じゃなさそうだったから預けたんです。それに今は二人共、はっきり言って邪魔です」
「邪魔って……」
酷い、あんまりだ。居場所を推察してやったのは俺なのに。
そんな苦情もはばかられるほど、態度を一変させた久住が真剣な面持ちで先に来ていた北斗に尋ねた。
「それより駿から返事、一度もないんですか?」
「…ああ、声は聞いてない。けど、いるのは間違いないと思う」
「何故です?」
「んー、人の気配、っていうの? なんか感じる」
「それでそんなに気分悪くなるって、…駿の身に何か……」
「いや、これは――」
ガターンッ!
北斗が言いかけたところで中から大きな音が響いて、ビクッと身体が竦んだ。
机かイスのような、大きな物が倒れた音。
すぐに押し寄せる嫌な予感。
「今の音、まさか…踏み台――とか」
孝史の呟きに、みんなの顔から一瞬にして血の気が引いた。
誰よりも先に行きたいのに、未だ力の入らない俺と、巻き添えを食って動けない北斗。
「駄目だ駿ッ!!」
勝手口の位置を先に把握していたのか、久住が迷うことなく駆け寄りドアを力任せに叩き始めた。
「駿! 駿ッ! 返事してくれ駿ッ!!」
絶叫に近い叫び、だった。
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