夏の残照

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夏の残照

     もう何度目になるのか、田舎に向かう列車に揺られながら車窓から見える深緑に、そういえばこの前帰った時は辺り一面銀世界だったと懐かしく思い出していた。  違っているのは外の景色だけじゃない。  向かい合って座る同行人に視線を移し、場違いな気分でカップホルダーのお茶に手を伸ばした。  今回の帰省は四人。  俺と北斗、それから駿と久住だ。  どうしてこのメンバーになったかと言えば、理由は簡単。  吉野の家に遊びに来た二人に、田舎への帰省を誘ったからだ。  山崎にも電話で声を掛けてみたけど、やっぱり四時間の旅は苦痛なようで、 「滅多に帰れないんだ、二人水入らずで羽根伸ばして来いよ」  などと見え見えの言い訳を付けて断られた。  広島から戻った日。  西城市民病院で首の治療を終えた後、和美おばさん―北斗の母さんと食事をした。  その時、途中で合流した仁科さんから怪我の症状が落ち着くまでの一週間バイト禁止令を出され、お盆の間する事がなくなってしまった。  同じく、「きりがいいから盆明けから頼む」とマリンパークの責任者の人に言われ、野球部の練習も盆明けまで休みな為、暇になった北斗と、急遽帰省を決めたのは駿達が来る三十分前だった。  その前夜には「起きられるかどうか自信ない」とか言ってたくせに、身体に染み付いているのか、俺が起きるとすでにランディーを散歩させてきた後で、駿たちが来る前にマリンパークに行って来ると言ってまた出掛けてしまった。  あまりにも慌しい様子に夕べの諸々を思い出す間もなく一人残され、いつもならがっかりするところなのに、ちょっとホッとしていた。  避けられてないとわかっていても、昨夜の今朝で二人きりだとなんか居心地悪い、っていうか正直何を話していいかわからない。  ただし北斗はどうか知らないけど、風呂での事は俺的には全然気になってない。  それどころかすごくさっぱりしたような、大袈裟に言えば生まれ変わった気分。  付き合わせてもらって感謝してるくらいだ。  ただ、それがあるから夢の中の出来事は一刻も早く忘れたい。  夢は夢。他愛ない事で、久しぶりに会えたのと、他の諸々が重なってあんな内容になっただけだ。  そう思いたかった。  一人物思いに沈むくらいならと、広島からの荷物が届いたのを幸い、中身の洗濯に片付け、留守の間締め切っていた部屋の空気の入れ替え等々、あれこれしている内に北斗が帰り、仕掛けていた炊き立てのご飯と有り合わせとはいえ久し振りの味噌汁で、簡単な昼食を取った。  駿達が来たらちょっと話して、体調さえよければ買い物も兼ねて街に出掛ける予定にしていた。  何せ一週間近く留守にしてたんだ。食べ物なんか残しておけない。  全部片付けて大会に行ったから、冷蔵庫の中は一人暮らししていた時に近い状態になっていた。  違うのはドアポケットに並ぶ数種類の調味料くらいだろうか?  それはともかく、その昼飯を食べながら北斗のバイト再開が盆明けからになった事を聞き、どうせ暇なら田舎に帰ろうかという話になった。  で、いい機会だからと遊びに来た二人にも声を掛けてみたんだ。  あまり乗り気でなかった駿も、久住が興味を示した事で渋々ながら付き合うことになった。  それに、駿の母親が観戦に来られなかったのを気にした北斗が、顔を見せるように進言したのも大いなる要因だと思う。  駿にとっての帰省は精神的にかなりきついかもしれない。  それでも久住が一緒なら、それはまた違ったものになるはずだ。  俺の時みたいに和解までできるとは思ってない。  ただ、田舎に戻る一つのきっかけになればと密かに願っている。  それにしても、去年の俺は北斗と出会ってすぐに悩みを打ち明ける事ができたけど、目の前のこの二人はどうなんだろう。  もし久住が駿の田舎での生活を知っていたなら、たとえ誘ったのが俺達―先輩―だったとしても、行ってみたいとは言わなかったんじゃないだろうか。  そこに思い至り、ふと、真向かいに座る後輩を盗み見た。  時折どちらからともなく話しかけては密かに笑い合ったり、ぷいっと視線を逸らしたり。  その程度の反応しか見せないけど、寛いでいるのは自然と伝わってくる。  駿の暗い過去を――家族になったばかりの人達の相次ぐ死と、それによって生じた地域からの孤立、同級生との亀裂は、容易く口外できるものじゃない。  今思えば、駿の方が遥かに深く傷付いたはずで、未だ打ち明けていないなら、それを知った久住が同級生と同じ態度を取らないとも言い切れない。  やっと見つけた友人が、また自分の前からいなくなる。  その恐怖は、俺も去年経験したばかりだ。  今回の田舎への帰省で、それだけが唯一気掛かりだった。  聞き覚えのある駅名が次々アナウンスされ、その都度久住が肘で隣をつつき、あとどのくらいか訊いてくる。  ここからだと、まだ一時間は優にかかるだろう。  笑いを堪え、トンネルを抜ける毎、自然の多くなる景色を眩しく見つめながら、前に座る、北斗の信頼する後輩と過ごした先日の数時間を、ゆっくりと思い返していた。           ・          ・          ・ 「ワンワン、ワン!」 「瑞希、駿達 来たんじゃないか?」  昼食を終え、リビングで寛いでいた俺は、キッチンから掛けられた声より先に、玄関に向かった。  前夜、吉野の家に駿と久住を招待したと言った北斗の言葉通り、翌日の昼過ぎに二人訪ねて来た。  駿は受験以来、久住に至っては当然今回が初めての来訪で、緊張しているだろう心情を思い先に出迎えようとしたわけだけど、玄関のドアを開けてもそこに姿はなく、カーポートの方に回って、ランディーの小屋の前で笑い合う穏やかな横顔を見つけた。 「駿! 久住も、何で先にランディーんとこ行くんだよ」 「先輩!?」  揃って顔を向けた二人が、それぞれの反応を見せた。  ぺこっと頭を下げる久住の隣で、駿がすっくと立ち上がる。  左腕を肩から吊ったその姿に、言葉を飲み込んでしまった。 「怪我、大丈夫なんですか?」  言いながら駆け寄ってくる駿にはっとして、慌てて止めた。 「こら、怪我人のくせに走るな。それにその台詞そっくり返すよ。駿こそどうなんだ? どれくらいで完治するって?」  気になってしょうがなかった事を聞くと、痛めた左肩に右手を添え、 「全治一ヵ月です」  人事のように答えた。「先輩、成先輩に訊かなかったんですか?」  不思議そうに首を傾げられ、「あっ」と気付いた。  そうだった、病院には北斗と一緒に行ってたんだ。  けど昨日ははっきり言って、それどころじゃなかった。 「――うん、まあ。昨日は疲れてて、北斗も俺も早々に寝ちゃったんだ」  ごにょごにょと誤魔化すように言ったのが聞こえたのか、俺達の傍まで来ていた久住が、「えっ」と声を上げた。 「あの、それ…って、どういう意味ですか?」  滅多な事では表情一つ変えないのに、妙に歯切れ悪く言い難そうに訊かれ、そんな見慣れない様子に俺の方が戸惑った。 「――『どういう意味』って、何が?」 「あの! すみません先輩」  俺達の会話に割り込んだ駿が、一瞬だけ気まずそうな表情を友人に向けた。「俺、詳しい事情 久住…あ、(あつし)に話してなくて」 「はあっ?」  その言葉に驚いたものの、北斗との同居が極秘なのは駿もよく知っている。  たとえ一番仲のいい久住にでも俺達の事情を優先していたと察すれば、正直有難い。  と同時に、巻き込んでしまっている事を申し訳なく思うのも事実で、駿の友人兼、未来の女房役でもある久住に俺と北斗の過去を明かす為、取り合えず家の中へと誘った。  さっきまで寛いでいた二人掛けのソファに後輩を座らせ、反対側の一人掛けに先に座る。  暑い中、駅から徒歩で来た二人の為にと、アイスコーヒーにミルクとシロップを添えて出した北斗が、俺の前にだけ冷えたお茶を置いていった。  疲れているのは同じなのに、相変わらずマメな奴。  というのも出されたコーヒーに浮かんでる氷が、水じゃなくコーヒーを凍らせたものにしてあるからだ。  もちろん俺のお茶も素材(?)の違いはあるものの、同じ仕様だ。  朝のうちに用意していたのは一目瞭然。俺の家の冷蔵庫ではそんなに早く氷なんか作れない。  前にどこかでそれを出されたんだろう。  いいと思った事や物、方法はどんどん取り入れていく。  この前向きな姿勢や思考は、出会ってから少しも変わらない。  実際、同居を始めてからも幾度となく驚かされた。  それに、相手が後輩でも全く関係ない気遣い。  未だに本当に同い年かと疑いたくなる。  前はそこで落ち込んでいた俺も、ここまで性格に差があれば気にしても意味ないと、最近では開き直ることにしている。  北斗を相手にそんな事で一々落ち込んでたら、浮上する時がないと気付いたからだ。  それはともかく、ここが学校ではないからか、それとも甲子園が終わってそれなりに精神的重圧から解放されたのか、久し振りに会った二人はこれまでと感じが少し違っていた。  親しさが増したような、もう何年も前からの友人みたいな感じ。  そう言えば、さっき久住のことを『敦』と名前で呼び直してたっけ。  駿が友人を名前で呼ぶのを聞いたのは三年前、彼の義父が亡くなって以来だ。  いつの間にか、ここでの生活にもすっかり馴染んだ。  それをよかったと思いながらも、同郷のたった一人の後輩が俺から離れていく淋しさはやっぱり拭いきれなくて、そんな気持ちを押しやるように淡々と話し始めた。
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