123人が本棚に入れています
本棚に追加
『今平気?』
「はい。一通り終わってこれから帰るところです。旭さんは夕飯いらないんですよね」
電話の向こうから教室と違う雰囲気のざわめきが聞こえてくる中で、旭さんが曖昧に頷いた。
旭さんは現在、将棋の大きな大会でチャンピオンへの挑戦権を得て戦っている最中らしい。五回勝負のじゃんけんと同じで先に三回勝ったほうが勝ちというルールで、明日が三回目の対局だそうだ。そのため今日は会場の近くのホテルに泊まると事前に聞いていた。
『そうなんだけど……』
「どうかしました?」
『実は忘れ物をしちゃって困ってるんだ』
旭さんはちっとも困ってなさそうな軽いため息をついた。
『お気に入りのネクタイなんだけど』
「ネクタイならそっちでも買えますね。お財布とかスマホじゃなくてよかったです」
『大事な対局の時はいつもあれをつけることにしてるのに~』
旭さんは冗談っぽく嘆いたが、伸ばした語尾がビブラートのようにかすかに震えている。大事な対局というだけあって緊張しているのだろうか。
最初のコメントを投稿しよう!