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「ピィ先輩、お忙しいところすみませんが、少しいいですか? 折り入ってお願いがあります」
「お願い? なに?」
その真剣な口調に思わずこちらも真面目に問い返すと、パチン、とスイッチを押すような音がした。黒縁メガネの奥で瞳の色が変わる。夕仁くんが一度またばきをすると、右目から大粒の涙がこぼれて頬を伝っていった。
あたしはぎょっとして夕仁くんに駆け寄った。
「大丈夫? ゴミでも入ったの?」
「違うんです」
涙はどんどん溢れてきて、それを拭う夕仁くんの手の甲はあっという間にびしょ濡れになってしまう。どうしたのだろう。何か悲しいことでもあったのだろうか。
「あたしでいいなら話ぐらいは聞くよ?」
「実は……」
夕仁くんはすんっと鼻をすすった。
「僕とお付き合いしてくれませんか?」
「へ?」
思わずすっとんきょうな声が出てしまう。似たようなセリフを昼間に聞いたからだ。
「僕、今、オーディション二十五連敗中なんです。事務所の先輩には『人生経験にともなって演技に深みも増してくるだろうから』と励ましてもらいました。でもそれって、僕の演技は浅いってことじゃないですか」
「それと付き合うことに何の関係が?」
「人生経験のために恋がしたいんです。でも僕、夕仁さまって呼んでちやほやしてくるような女子って苦手で……。だから、ピィ先輩、僕に恋を教えてくれないでしょうか?」
むちゃくちゃな理論だったが、夕仁くんの口調には冗談のような軽い響きは一切なかった。彼は本気で恋を知りたいと思っているのだ。
でも流されるわけにはいかない。意を決して夕仁くんと向き合う。
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