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「行かないで」
真鍋くんが目を閉じて低い声で呟く。毛布をかぶっていたためか、額には汗がにじんでいる。
「行かないで、母さん……」
その声に呼応するように記憶が蘇った。
最後に看病された記憶の中には、ママがいた。
ママはあたしの額の汗をふき、氷枕を取り替えると、「ちょっと買い物に行ってくるわね」と言ってうちを出ていった。買い物バッグにはとうていふさわしくない大きなキャリーケースを持って。
キャリーケースの車輪が玄関ドアの溝にひっかかる音が、何度もリフレインする。
「わかった」
意を決してベッドのそばに正座する。あたしがどこにも行かないとわかると手首を掴む彼の力はしだいに弱まっていった。どうやら眠ってしまったらしかった。
これで帰れる。
でもあたしは正座を崩して冷たいフローリングの床にお尻をぺたんとつけた。
帰らないのではない。帰れない。「行かないで」なんて、あんな風にすがりつくように言われてしまったら。
あたしはスマホでお父さんに「クラスの友達の家に泊まる」というメッセージを送った。
その晩、非常に不本意ながらあたしはこの憎たらしい病人の世話をしてあげたのだった。詳しいことは省くが、ナイチンゲールもマザーテレサも真っ青になって逃げ出すほどそれはそれは甲斐甲斐しく、だ!
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